素にもどれる「裏」を大切に

作詞家・精神科医・白鴎大学長の きたやまおさむさんの「わたし流」です。本名は北山修、1965年フォーク・クルセダーズ参加、「戦争を知らない子供たち」等を作詞。この世代の方には懐かしいお名前です。

そのバンド・フォーク・クルセダーズの時、京都府立医科大の医学部一年生だったそう。2年後、解散記念で製作したレコード「帰ってきたヨッパライ」が300万枚売れてデビュー。医大を休学しコンサート活動していたが、ひどい忙しさの上、観衆やマスメディアの要求にこたえる日々が苦痛になり、これ以上続けると逃げ場がなくなると感じて、1年で医学部に戻ったそうです。

音楽に熱中し、休学してデビューもしたけれど、合わないと悩んだとき、ご自分には帰る場所があった。「放り出した」「ずるい」などいろいろ言われたが、表舞台を下りても受け入れてくれる人たちが居た。実にありがたかったと。

「裏」は大事です。「楽屋」と言ってもいいのだが、すべて表だと人は辛くなります。外に向けた顔から素顔の自分に戻り、自分を保つ場所が誰しも必要。それが自分にとっては大学だったと。不特定多数とやり取りする表ではひらがなの名前を使い、裏で漢字の表記を用いるのも根っこは同じだそうです。

京都から札幌医大に移り、心療内科・精神科の道を歩み、同時に作詞や音楽活動も続けてらっしゃるようです。「あれもこれも」って悪いイメージだけど2足のわらじ、「あれとか、これとか」でいい、潔く生きないのがポリシーだとも。

人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、虚しさを抱える。だから、学生には遊びや余裕を大事にと伝えます。試行錯誤するモラトリウムの時間も必要でしょう、学長としては授業に来なくてもいいとは言えませんが・・と結んでいます。近著は「ハブられても生き残るための深層心理学」だそうです。

                  新聞記事「進路 わたし流」より

完璧すぎるとつまらない

NHK・Eテレの「ピタゴラスイッチ」が20周年を迎えたそうです。「だんご3兄弟」で知られたクリエーターの佐藤雅彦さんが慶応大学教授だった当時、研究室のメンバーと作ったアニメーションなどが源流です。

一つは先ずは全体を貫く規格を立て、その設計に合わせてつくっていくパターン。もう一つは、様々なものを手で動かしながら、本来と違う使い方の、面白い動きを発見し、それをつなげて装置にするパターンだそうです。

前者の場合、設計の段階で、物理の基本は踏まえておいて、具体的な距離は試しながら決めていくそうです。平均して、30テイクぐらいは撮り直すとか。精度よく作りこむとつまらくなるからと。10年ほど前に、みんなが装置作りを「うまくなり過ぎた」時期があり面白くなかった・・反省のようです。

重たい球を速く動かすと成功率は高まるが、軽い球がふらつきながらも無事ゴールするからこそ、グッとくるんですよね。だから最初から完璧を狙いすぎずにやってます・・と。

ピタゴラスイッチをつくる上で大事にしてる価値観は、世の中や、普通の生活の中に潜んでいる様々な「考え方」を伝えることを目指しているんだそうです。何かが「わかった!」と言う瞬間に私たちが感じる気持ちよさや充実感を、子ども達にも映像通して感じて欲しいと言っておられます。

商品化の誘いもあるが、「家にあるもので作るのが面白いと思うんです」を理由にお断りしてるとか、例えば本を立てると、それだけで球が転がるレールになります。視点を変えて、本に新しい役割を再発見する。予想と現実は違う。それに気がついて想像力の解像度を上げていくのがおもしろいんです。

そうおっしゃる番組作りに携わる方の意図に、今日もぴったしハマって!「ああじゃない、こうじゃない・・、じゃ~んけんぽん!パーだ、ヤッタァ!」といつもハラハラドキドキの我が家です。短い時間ですがいい歳の大人も夢中!
ずっと続けて欲しい番組です。

 

アンパンマン

ビックリするほど、子ども達はアンパンマンが大好きだ。未だ片言しか話せない幼児も、目をきらきらとさせながら食い入るようにあの顔を見つめる。やなせたかしさんが生んだ優しいヒーローは、世代を超えて人々に愛され続けている。

砂漠の真ん中で倒れていた旅人や、森で迷った子供に、自分の顔を食べさせる。顔が全部なくなったアンパンマンは、パン作りのおじさんに新しい顔をつくってもらい、再び「おなかのすいたひと」を助けるために空に飛び立つ。

やなせさん生前のインタビューによると、出版直後の反響は芳しくなく「顔を食べさせるなんて残酷だ」「図書館に置くべきではない」と批判され、出版社からも「こんな絵本はもう描かないで下さい」と言われたという。

それでも、子ども達の間でじわじわと支持され、88年のアニメ放送をきっかけに一気に全国の人気者になった。作家として売れる売れないにかかわらず、「どうしてもアンパンマンに託したメッセージを世に残したいとと言う強いメッセージを感じる」とアンパンマンミュージアムの事務局長は言う。

アンパンマンは弱点の多いヒーローだとも言う。顔が欠けたり、水にぬれたりするとすぐに力が出なくなってしまう。「完全無欠ではない存在が、大それた正義でなく、困っている人に手を差し伸べ、分け与えるという身近な正義を実行している。そんな部分が、人々の共感を呼ぶのではないか」とも言っておられる。

漫画家の里中満智子さんは、
やなせさんは何でも本気の人。「子どもだから、こういう表現をしないとわからないだろう」と言う遠慮は一切なくて、作詞した「アンパンマンのマーチ」も「なんのために生まれて なにをして生きるのか」って、すごい歌詞ですよね。むしろ子供が相手だからこそ、ちゃんとしたことを伝えなきゃという思いはいつも感じましたと。

「グロテスクだ」という批判もあったそうですが、やなせさんはめげずに描き続けた。飢えがどんなに辛いか、戦中に自身が体験したからこそ、目の前で飢えている人がいたならば、顔を分け与えるのは当たり前の行為なんだと、信念をもっていらしたと。

アンパンマンは戦いもするが、「分け与える」ことが主になっていると思う。東日本大震災の時、アンパンマンのポスターを、どこでどう使ってもいいからと提供なさって、被災地では「アンパンマンのマーチ」が流れると、子ども達がみんな歌うのを見て、大変な状況の中でも、みんなが助け合い分かち合う。あの時、歌詞の意味を改めて考えさせられました、「分かち合う」ことは、人と人とのつながりの基本と、里中さんはおっしゃっておられます。

不変な人気の、アンパンマンの魅力を垣間見た良い記事に出会い、時代を超えて大切なことは何も変わらないと思うと同時に、子ども達の目はちゃんと見ている、心はちゃんと感じてると、そのことを、周りに居る我々が大事にしなければと思ったことでした。

違う(どこからか言葉が 谷川俊太郎)

違う

小さな
水色の

小さな黄色の
花が
春先の庭の
雑草の緑の中に
点々と
咲いている

去年の春も咲いていたのだろうが
目をとめなかった
今もそれを
じっくり観察はしない
もう小学生ではないのだから

ウクライナと呼ばれる地方にも
きっと小さな花は咲いている
それに目をとめる心と体のゆとりは
誰にもないとしても

巨大で複雑に絡み合う世界に
私たちは圧倒されているが
そのほとんどを言語と映像で知っているに過ぎない
私の目の前で咲いている小さな花は
違う

スマートな社会の果て (小さな新聞記事より・・)

ある日の新聞記事が目に留まりました。(荒井裕樹の生きていく言葉より)

某地のホスピスを訪ねた時のこと。単線電車に延々揺られて目的の駅に着いた。私の前には降車に難儀する高齢の男性がいた。片足が不自由なようで心配になり、降り切れるまでドア付近で待つことにした。

次の瞬間、男性は私をにらんで叫んだ。「なんでそんな意地悪するんだ!」
ぽかんとする私に怒声は続いた。「別のドアから降りればいいだろう!」

どうやら降車に手間取る高齢者に対し、私が「さっさと降りろ」と圧をかけているように受け止められたようだった。

その場では「なんだか気難しい人だな」としか思わなかったが、帰りの電車でふと気づいた。身体の不自由な人は日常的にこうした圧に晒されているのだと。

世間には「スムーズでない人」へ圧が溢れている。電車で人身事故が起きれば、SNS上には「電車をとめた人」への誹謗中傷が飛び交う。かく言う私も、改札やレジで手間取る人をじれったく思うことがある。

こうした苛立ちの底には「社会は円滑であらねばならぬ」と言う義務感があるように思う。この感覚が「私も効率よく動かねばならぬ」という焦燥感となり、「私を滞らせる者」へのいらだちとなるのだろう。

近年あちこちで「スマートさ」が賞揚される。だが、今以上にスマートを追求した社会は「歩調を合わせられない人」にとって超高圧な社会になるだろう。
         (障害者文化論研究者・荒井裕樹の生きていく言葉より)

みなづき

この「みなづき」と言う和菓子。我が家の初夏の定番です。

下がういろうで小豆がのっただけじゃないか?と思われますがとても美味しいのです。スタンダードは下が白いういろうみたいですが、我が家はこの黒糖味が好き。6月中旬にはお茶のういろう版もいっとき出るので毎年楽しみです。

ところで「水無月」は水の無い月ではなく、陰暦では水の月、田んぼに水を引く必要のある月。即ち「無」は「の」を意味する連体助詞の「な」なのであるとお客様に教えて頂きました、ありがとうございました、と添えられた栞を読みながら、ほんわかした気持ちで、みどりの田んぼを思い描きながら、今年も頂きます。

 

お茶を入れる

新茶の季節になりました。
きれいな色と香りに、一瞬でゆったりした空気感にひたれます・・。
10年くらい前の新聞記事だったかと記憶している、その時も結構驚いたので覚えていますし、先日もまたどなたかが仰っていて思い出したお茶の話です。

と言うのは(その10年位前の記事によれば)、ある講演者が小学校?でお話をしたとき、「お茶って自分の家で作れるんですか?」と聞かれたと。「はい」とその演者が答えると「私のお母さんがお茶を作ってるところ、見たことがない。いつもペットボトルのお茶を飲んできた」と。彼女はどうやら、お茶を「いれる」と言う言い方も知らないらしい・・と言うものでした。

その頃、期せずして料理教室の先生に急須を「これはなんですか?」と聞く受講生が居たと聞いた覚えもありました。また、高校の家庭科授業で、急須を直接火にかけようとする生徒もいた!と言う話もその頃聞いて驚いた記憶もありました。

茶畑の多い埼玉だから、五月の新茶の季節になって、新聞の埼玉版には茶どころの話題が満載。しかしよくよく読むと、お茶人気が低迷しているので、紅茶にチャレンジとか、スイーツと手を組みお茶がもっと親しみやすく広まるように・・とか。それはそれでいいとしても、お茶そのものの魅力、文化や歴史をまとう「お茶」の本来の美味しさと魅力を伝えてからじゃないのかなぁ・・と思うのですが、今の時代に合わないのでしょうか・・。

高級茶でなくとも丁寧に入れたお茶には、心和むものがあります。
器や急須を温めてちょっとした時間を置く。その一瞬のことだけでも、フ~ッと落ち着き、いただくお茶がよりおいしく香りよく感じるものです。

とは言うものの、私もティーバッグのお茶も使うし、ペットボトルのお茶も便利に使うことの多い今日この頃。
そんな日々だからこそ、急須で、土瓶で「入れる」お茶はなんとも美味しい。

そう言えばしばらく「茶柱が立つ」なんてこと言ってないなぁ~。それに今まさに新茶の季節を迎え、きれいな色と香りを楽しむ頃。食後のほうじ茶の香ばしさもいいですよね。

最近マイボトルで飲み物持参する方も多いと言われていて、一時はマイボトルを持ってくとお茶屋さんが、入れたての香り高いお茶を分けてくれるサービスを聞いた覚えがあります。でもコロナ禍で出勤も減って、お茶屋さんも少ないし・・で。

お茶だけでなく、コンビニエンスと引き換えに忘れそうなものってありますね。でも「お茶はいれる」と伝えたい。「茶葉」はつくるだけれど・・。そんなことどうでもいいのかなぁ~。なんだかなぁ~。

恐竜研究が新しいステージに入る!?

先日、恐竜ものどの痛み・・云々ご紹介しました。
又プロフェッショナルで見て、北大に小林先生と仰る、素晴らしい恐竜研究のパイオニアがいらっしゃることもしりました。

そうしたら今度は、岡山大学にも、恐竜研究の素晴らしい先生方がいらして、何と恐竜は生ものである!等と楽しそうに仰っておられるのです。
恐竜とは過去に生きていた生物で形しかわからなかった、化石(骨)ととらえられていたが、生物学的な恐竜学として、化石研究が新しいステージに入った!と言うのです。

その根拠は、岡山大学の先生が、恐竜の骨からコラーゲン(タンパク質)を発見されたというのですから・・。モンゴルの化石からと仰っていました。

恐竜は化石(骨)とでしか思っておらず、形しかわからなかったのが、過去に生きていた「生物学的な恐竜」として研究が発展していくようです。

形しかわからなかった恐竜の骨からコラーゲンのバンドが出て、タンパク質が発見されたのですから大変な発見です。タンパク質(アミノ酸)の配列を他の動物と比較したら、マッチする動物は一つもなかったそうです。そして未知のタンパク質が数百も出てきた由。何と言っても一億年経っているのですから・・。想像以上に特別なたんぱく質・・のようです。

恐竜研究と生物学が共同研究すれば大きなパラダイムシフトになり、化石の研究が新しいステージに入ると、岡山大の先生方は目を輝かせていました。

単なる興味本位でしかない私ですが、小学生から、この化石の分野に興味を持つ子供たちが増えていると聞き、なんだかとても楽しみで嬉しい気持ちになりました。ロマンがありますね。

風流のちがい・・

風流と言う言葉。

あまり普段使わないけれど、日本では高揚した美意識の一つと言われています。万葉集では「みやび」とよんで、今でも上品、優雅と言った認識だと思います。

ところがところが・・。
先日クイズのような番組だったでしょうか?お国によっては全く違う意味ですよ!と言ってたので「うん?」と不思議に思って聞けば、中国では「風流」と言えば、→チャラい・好色・・と上品とはま反対の意味で使われると・・。
聞いてみないとわからないことばかりですねぇ。

今季のオリンピック見て、国によって細かに違うことは多々あれど、一生懸命ひたむきに競技に向かう人たちに、心揺さぶられるのは世界共通かもと思ったことでしたが、この、言葉の意味の違い、知らないで使うとえらいことですね。

恐竜も のどの痛み・せき・発熱?

米国で発掘された約一億5千万年前(ジュラ紀)の草食恐竜の化石から、呼吸器感染症にかかっていた跡とみられる首の骨の異常が見つかった。恐竜も人間と同じように、喉の痛みやせき、発熱に苦しんだのかもしれない。米国などの研究チームが科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。

恐竜の化石は、米モンタナ州の地層から出土。研究チームによると、首が長く四つ足の竜脚類の仲間で「ドリー」という愛称で呼ばれていた。

ドリーの首の骨を調べたところ、変わった突起を見つけた。異常に変形した骨でできており、感染症が原因で生じたと考えられた。

骨の突起は、空気が通る「気嚢」と言う器官が、骨の中に入り込む部分の近くに出来ていた。先ず気嚢に病原体が感染し、その後、首の骨まで広がったとみられる。

気嚢は恐竜のほか鳥類にもある。研究チームは、鳥類の病気「気嚢炎」のように、感染した恐竜にもせきや発熱、呼吸困難などの症状が死因になった可能性もある、と指摘している。今回のような感染症は、骨から推測するのは難しい。研究チームには、古生物学者のほか解剖医も参加し、医療用のCT検査装置も駆使して詳しく調べたという。

恐竜化石に詳しい岡山大学の林昭次講師は「CT撮影など最新技術を用いることで、化石の表面だけでなく、内部も観察できるようになり、更に古生物学者が医学系研究者と連携することで、多くの新知見を得ることができるようになった」と話している。

先日プロフェッショナルで、日本人の化石発掘のエキスパートで世界中に有名な小林先生が紹介されていた。世界中の岩場や険しい山をいとも軽々と探し回って、それこそ遠くからでも「これは!」と小さな化石を見つけ出す姿に、ビックリもし感動した。日本でもこの学者の姿を追う若者が増えていると聞き、ロマンな世界だなぁ~と思うと同時に、このような地味な分野を研究する方々を応援する仕組みを心から願う日であった・・。

「コツに頼らないこと」

コツに頼らないこと、いつも白紙に戻すことが、大事だとおもっている。

                         松本隆

折々のことばに松本隆さんの言葉を見つけ、ハッとしました。
続けてこうあります・・。

詞を書く時に「コツで書かない」ようにしていると、作詞家は言う。「こうやったら売れる」という体で憶えた方法論に頼らず、むしろそれをつねに外してゆくこと。不安ではあるが、そうしないと、今人々に足りないもの、つまり時代の「ひび割れ」が見えず、だからその向こうも見えずに終わってしまうと。”松本隆のことばの力”(インタビュー・編・藤田久美子)から。

あれほどの作詞家が・・。フーッとため息つきながら、医療も何もそうだなぁ~と、深くふかく思い感じいったことでした。

 

チャイティーヨーパゴダ/ミャンマー

ビックリ仰天の切り抜きが見つかりました。
あらためてビックリ! ついていた文も一緒にお伝えします。

山の伝承・作家 リービ英雄
あの山は、誰かに連れられて登る山である。
あるいは自分で登るとき、誰かからその山の話しをよく聞いた上で、頂上に向うのだ。あの山は、とにかく、たった一人で登れる、とか、ひとりで征服するのだと思いこんで登れるような山ではない。
・・・・中略。

あの山に登ろうと思えば、 まずは他人の説明を聞き、他人の解釈を読み、自分の頭の中で翻訳しなければならない。
他人のことばに身をまかせながら登るあの山の、頂上にあるめずらしい風景についても、自分がそこまで登りつめたから理解する権利がある、と思ってはいけない。あの山は、謙虚な気持ちになってはじめて登れるのである。

切り抜きせざるを得ないほど衝撃うけた記事。月間の雑誌で始めて拝見し、大勢の僧侶と目をむく岩の姿に、今改めて度肝を抜かれる。何年経ってもこの切り抜きの画像を見ると、心静かに敬虔な気持ちにさせられる。

再びIVY・石津謙介さん

青山三丁目角に、かつてあったVAN!
一世を風靡した石津謙介さんのVANジャケットです。今再び人気がじわじわ・・だそうで、本も売れているのだそうです。

当時はこのアイビールックに身を固め、洒落た紙袋を小脇に抱えて、みんな歩いていました。若々しくて清潔で、カッコ良かったです。

再び人気!?と聞いてなんだか嬉しい。石津謙介さんって、ご自分の考えがハッキリしてらして、それはファッションだけでなく、すべからく筋が通っていたと思います。

一度何かの本で、「いかなごのくぎ煮」を推薦してらして、今まで見た”いかなご”とは見た目が違うので取り寄せてみたら、見た目もさることながら、その美味しさにビックリ!以降くぎ煮はここに限る!と確信、感謝したい気持ちでしたら、石津さんは岡山ご出身でした。

食べること含め、生活そのもの、発言もファッションの一部なんですね。今こう言う方おられるでしょうか・・。懐かしい思い出ですが、今また若い人の目が向いてると言うニュースに素敵なことだなぁと感じます。

 

 

 

 

 

頭の体操

この物体が通り抜ける形はどんな?でしょう。
頭が柔らかくなりますね。 大好きピタゴラスイッチより。

 

ミルポア

ソフリットとも言います。先日銀座のイタリアン・ベットラの落合さんも紹介されていました。

セロリ・人参・玉ねぎをひたすら30分くらい炒めただけで、味も何もつけてませんが、そのままトーストにのせても、付け合わせにしても、煮込み料理にも使えます。今回手を抜いて、ニンジンがちょっと大きめでしたがドンマイです・・。

野菜の甘みをじっくり感じて、思いのほか量も食べられ、ホッとする味です。
バターで炒める方もありますが、私はお気に入りのオリーブオイルで。

セロリが大株で、新鮮で安い時に作ります。
ちなみにセロリの葉は、サッとゆでてから刻んで絞り、ちりめんじゃこか、桜えびと炒め合わせ、ご飯のお供(ふりかけ)を作ります。

ミルポアは炒める手間はかかりますが、炒めてるときに変わるいいにおい、色の変化、音!その時間も楽しいです。お試し下さい。

パッション

若い頃買った栞(今はしおりなんていわないかな?)。
ブルーもマティスらしくて思わず買った栞。あの若い頃のパッションは無くとも、好奇心持って、面白がって生きていたいと思うけれど。けれどけれどで何もしないのは、ダメですね。

日野原先生99才の折、聖路加の理事長室でお目にかかる機会を頂いた折、前の週ヨーロパにご旅行だったそうで、黒海で泳がれたと!「黒海ですからね、どのくらい浮くのかと確かめたかったの」とさりげなく仰ってビックリ。さぞや周りが大騒ぎして大変であっただろう・・と驚く私達を笑うように、明日は野球チームに行ってやらないと、と軽々と仰る日野原先生でした。

「いくつになっても新しいことを創めなさい」と。

その随分前から「新老人の会」を作られ、お楽しみの会かと思いきや、平均寿命が上がるのに高齢者の健康が若い方の平均データと比較して評価されるのはおかしい!だから70以上の新老人に集まって貰い、楽しい時間を過ごしながらからだの健康データを採りたい!が会発足の真意でした。
そう言えば「医療はサイエンスとアートをどう案配するか」を説いた方でした。

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幸せって何だろう(再掲載いたします)

幸せになりたい、と思って生きてきた。今も幸せになりたい、とおもっている。しかし、さて、幸せって何だっけ?私が口に出して「しあわせ」と言ったのはいつだったか?二日前だ。意外と近い。
友達が遊びに来て、乾杯して美味しいもの食べて「しあわせ~」と言っていた。そう。私が実際、口に出して「しあわせ~」と言うのはお風呂上がりのビールだったり、友達と乾杯して美味しいもの食べた時である。

なんだ。わりと、ささやか。
たとえば、長年かけたプロジェクトが決まった時。「しあわせ~」と叫ぶ人がいるだろうか?「やったー!」とガッツポーズはするかもしれない…また少し違った気分だったと記憶する。

みな幸せになるために生きていると思うのだが(これにあまり異論はなかろう)さて、しあわせを感じる時と言うのは、美味しものを食べた時とか、機嫌のいい日にふわりといい風が吹いた瞬間とか、そんなものではないだろうか?「しあわせ」と言う言葉に大仰な意味を持たせ過ぎでは?幸せの呪縛・・。

もしかして、しあわせは目指すものではないんじゃないか、と言う気がしてくる。何とか日々を生きていれば、それなりに人生を拗ねずに真摯に生きていれば、自然にくっついてくるのではないか?おまけみたいに。

しあわせの瞬間は、いつもささやかだ。客観的に見たら大変な時にだってそれは来る。お腹の病気で三か月入院して二カ月半絶食をしていて、やっと許可が下りてほうじ茶を飲んだ時、本当に美味しいと思った。あれは、しあわせな瞬間だった。退院して帰って来ると、眠っている寝室に、リビングから夫と娘の笑い声がもれ聞こえて来た。今、しあわせだと思った。

しあわせの確約は出来ない。しあわせになるために生きる、とはどういうことだろう、と考えてしまう。

しかし、自分なりに真面目に人生を生きようとする人には、きっとしあわせは、ひょいっと顔をのぞかせるのだと思う。どんな人にでも。
                   あるエッセイより   北川悦吏子

今起きている戦争で、人々のささやかなしあわせ、かけがえのないしあわせが見るも無残に壊されている。じっと言葉少なに見つめる、小さな子供たちの純粋な目は何をどう見ているのだろう・・。

 

                          

枯山水の庭

実相院と言うお寺の庭をつくった方の話を聞きました。庭をデザインし作る方は作庭家と言うそうです。枯山水なのに、今まで見たものとは異なりました。丁度作庭の時、11年前の震災の時で「水・海」をデザインすることに躊躇いがあったとのお話しで始まりました。

そこで置く予定の石(岩)に聞くことにしようと試みたそうです。「あなたの魅力をどうやったら伝えられますか?」と。庭をつくると言っても、時代を映し心を伝えたいと思われたそうです。そうしていると「ここだよ・・」石の声と気づきがありましたとおっしゃいました。

石(岩)が教えてくれたので、自然の尊さを伝えるべく、一般の多くの方に苔を植える作業に参加いただき、苔はでこぼこだけれど、人が関わることで、四季のある日本ならではの庭が出来ましたと、穏やかな笑みを浮かべながらのお話しでした。

このような過程を経てつくられた庭ですから、ただ心静かに見ているだけで、自然と想像力を刺激され、おもいを馳せるようになるのかもしれません。
とても豊かで、ステキなお庭とお話しでした。

あなたの子どもは

あなたの子どもはあなたの子どもではない
子どもは「生命」の渇望からの子どもである
子どもはあなたを通って来る
しかしあなたからではない
子どもはあなたと共にある
しかし子どもはあなたのものではない

あなたは子どもに愛を与えることができる
しかし考えを与えることはできない
子どもは自分の考えを持っているのだから
あなたは子どもの体を動かしてやれる
しかし子どもの心は動かせない

子どもは明日の家に生きている
あなたはそれを訪ねることも。夢みることも出来ない。
あなたは子どもを好くようになれるであろう
けれども子どもがあなたを好くようにならせようとはしなさるな
人生は後に退き昨日にとどまるものではないのだから

あなたは弓である
そしてあなたの子どもらは
生きた矢としてあなたの手から放たれる ・ ・ ・ 

弓ひくあなたの手にこそ喜びあれと

               カーリル・ギブラン
               霜田静志 訳

イノダコーヒー

ある年齢層の方には馴染みの、京都のイノダコーヒー。家人が学生時代から愛してやまないコーヒーです。かの昔、好きすぎて愛車で京都まで買いに行ったとか!なんでも「京都の朝はイノダコーヒーの香りから」と言われ、モーニングセットにはファンが沢山らしいですね。

家人はイノダのレモンパイも大好きで、その半端ないメレンゲの量に加え、レモンクリームの酸味がとてもいいんだ!と、すぐ食べに行ける距離でないので食べたことない私には幻のレモンパイです。

これで味をしめたのか?焼いたメレンゲも大好きで、真っ白なサクサクした焼菓子のメレンゲ見るとつい買ってしまうのでした。
すべからくイノダコーヒーのせいですね。男の方も甘いものが好き。良くコンビニでも、プリンアラモードみたいなのを買う男性を見かけます。嬉しそうに買ってらっしゃるのを見て、なんだかこちらもニヤッ!

ちなみにこの缶の絵は、画家でもある創業者がお描きになったものらしく、この赤缶はアラビアの真珠と言う名前ですが、小さなミニチュアフィギュアは宝物です。

クレマチス

24年目になったクレマチスの鉢植え。こんなに枯れかれになっても、春の気配にやや控えめに芽がでました。
まるで仲良しのこけしみたいですね。

毎日お天気と、風の案配みて水やりしたりしなかったり、長いつきあいになりました。コロナ2年目の昨年も二回も咲いてくれ、 大いに慰められ元気づけられました。

老木のようになりましたが、年に一回でもいいから咲き続けてくれるよう願って居ます。朝起きるとつい「おはよう!頑張ってるね」と蕾に声かけてしまいます。格別寒かった冬をよく頑張りました。はなまるです。

こども

ちょっとの間だったけれど、にこにこ顔の男の子がテレビ画面に出てて、釘付けになった!なんともいい笑顔・・。

学校から帰ってなのだろうか?テーブルの上にいくつかの、おうちの方が握ったと思われるおにぎりがお皿にあり、さも美味しそうに食べてるさまが、何とも良くて、思わず見入った!

すると、「嫌なことあったら、おにぎりの具にするんだ!時間たつと美味しいんだよ」と。すごいな、子供の感性!

衝撃的な、キラキラした新鮮な言葉に息のんでると、傍にいた大人が「今の気分は?」と聞き、それに応えて「しゃけ!嬉しかったぁ~」と。

番組はNHKハートネットだった。
大切な子供の感性!
ハッとした。

今世界で、不幸なことが起きている。
こどもはた・か・らもの。

チンパンジーが治療?

この記事にはビックリしました。野生のチンパンジーが、自分や群れの仲間の体にできた傷に、捕まえた昆虫をぬりつける習性を見つけたと。
昆虫に含まれる抗菌成分などが、傷の治癒に役立ってる可能性があるとのドイツ研究チームの科学誌への発表です。

西アフリカ・ガボンでのチンパンジーの群れを観察した際、チンパンジーが体の傷に虫やその一部を塗りつける行動に気づき、15ヶ月間に計22頭で76回記録されたそうです。

具体的には、葉陰から虫を捕まえ、小さいチンパンジーの足の傷にぬりつけたり、虫を捕まえると、いったん唇にはさんで固定し、指先や唇を使って傷口に移し、その後、傷口から虫を取り除いたと言うのです。塗った昆虫は特定出来ていないらしいです。

以前から病気になったチンパンジーが、薬用植物の葉っぱや種を食べる行動は知られていたらしいのですが、昆虫を仲間の傷口に塗る行動は「相手を思いやる社会的行動のひとつだと考えられる」と研究チームは伝えています。この写真見ても、心配そうに仲間の「手当て」する姿に心打たれます。

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ドロシー・ロー・ノルトの詩

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる

殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる

笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる

皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる

寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる

賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる

友情を知る子どもは
親切をおぼえる

安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる

可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じとることをおぼえる

♡毎日繰り返される戦争の報道、子どもの心を気遣って・・と新聞にある。どんな理由があっても「戦争は悪い」と言うことは伝えたい。小さな子供でも、友達どうしで力による解決をしてはいけないことを知ってるはず。近くにいる大人は、何よりも「あなたの事は私が守る」と言うメッセージを伝えよう、ニュースを見せないのではなく、安心できる場所でニュースを大人が一緒にみて、フォローできたらいいと子どもの専門家は言う。子どもの年齢に応じて「何を知っていて、どう感じているか」を把握し対話ができたらいい、丁寧に見守り続けましょうと提案しています。

震災11年目に思う

11日は東日本大震災、あの大きな津波にのまれた日から11年。朝からテレビでは、当時の目を覆うような津波の画像とともに今を生きる人々の懸命な姿が映し出され思わず涙を拭った。「忘れない、忘れられない」と言う方「思い出したくない、もう忘れたい」と言う方も居られ、複雑なおもいに又もらい泣きした。

そんな中、同日の新聞にはウクライナ南東部のマリウポリの産科病院がロシア軍の攻撃受け、負傷して運び出される妊婦さんの画像が載った。

胸がグッと締め付けられるような気がして、食事していても、何していても手が止まる。どんな思いをしているのだろうか・・。小さい子供の、泣きべそかいていない健気な姿に余計涙が出る。この光景を目に焼きつけて何を思うだろうか?わざわざしなくともいい恐ろしいおもい・・。こんな小さい時に。

インタビュー受けた福島で被災した方の中に、「思い出すのもつらい」と仰った方が居られたように「悲しみに蓋をして忘れようとする」反面「忘れることなど簡単にはできない」のも同じく私達人間なんだと思う。

このような状況の中、自分には何ができるのか、思いを寄せる事しかできない自分がもどかしい・・。

そんな時、福島を歩いて・・と言う番組で、同心円のパラドックスと言っておられ「離れてると見えないけれど、離れているから見えることもある」とコメントしてる方が居られた。せめて今起きてることを、冷静にちゃんと見ようと思う。

 

富士山現わる !

ある日の河口湖、湖水量減ったら、何と手前に岩の富士山が!と友人が送ってくれました。ビックリ!です。現地の方々、毎日壮大な自然のドラマを見てらっしゃるんですね。厳しい自然の季節もあるでしょうが、ただただ美しい。

あるがまま受け入れて

コロナ禍が長引き、心が沈みがち。
こんな時だからこそ、日々を穏やかに過ごすヒントが必要です。少し前から話題になっている「マインドフルネス」は「今、ここ」に意識を向けること。どうしても人の思考は過去への後悔や未来への不安に向きがちです・・。

マインドフルネスは、不安やストレスを減らす効果が実証研究で認められたことで広まり、国内外の企業研修でも取り入れるところが多いようです。よく実施されのが「瞑想」。

瞑想でも、つい考え事をしてしまいますが、考えてしまうことをやめようとするよりは、「考えているんだな」と先ず気づくことが大事だそうです。気づいたらどんな感情も否定せず、感情があることを認めようとすればいいと。

人間は、他人や「昔の自分」「理想の自分」と比較しがち。でも自分の様々な働きに意識を向けると「ここに自分が存在してるのは、自分の様々な働きがあってこそ」と気づくことがあり、「自分の一番の味方は自分」と感じる人もいるそうです。

「こんなはずじゃなかった」とあがくより、これも今の自分と認めたらどうでしょうか?と。そうすると感情の支配から抜け出れるそうです。

ついスマホを見たりテレビを見たりしてしまいますが、何もない「無」の空間に身を置いて自分に向きあうのもいいそうで、パナソニックが「MU ROOM」と言う小部屋を、ホテルの宿泊者向けに作ったところ好評だそうです。

瞑想は、何も座禅をくむことでなく、例えば日常生活で家事をしながら、食器や水の音に耳を傾ける。歯磨きする時に一本一本丁寧に磨く。こんなことでもいいそうです。

「今、ここ」に意識を向けて。

感情を否定せず「これも自分」 あるがままを受けいれて。

散歩をしてたら、沈丁花に蕾がついていました。梅の木の枝が揺れてたので見たら、メジロが花をついばんでいました。人のいないところで一瞬マスクを外すと、ふんわり梅の花のにおい、春の風のにおいが鼻をくすぐるかもしれません。

春が来ます。

かんてんパパ

新聞に医療用寒天!とあったので、もしや長野の伊那食品?と見たら、いきなり画面にリアルな臓器が!
エッ!?と見たら、寒天で作った肝臓でした。しかも血管までリアルに・・。

国内最大手!と出たので、思った通り寒天のトップメーカー伊那食品でした。でもなぜ?医療の世界に。

この伊那食品は、もう随分前から「かんてんパパ」の名前で私や友人たちは愛用でした。何と言っても杏仁豆腐が簡単に美味しく作れるのです。お恥ずかしいのですが、友人たちとそれこそ丼レベルで作って、ガバガバ食べていました。ほかにフルーツ味やコーヒーなどもあり、ラーメン状の糸寒天もあり、痩せたい友人はご愛用でした。

仕事柄、飲み込みの問題が少しづつ出てきた頃、2004年くらいだったでしょうか?聖隷三方ヶ原病院リハビリテーションセンター長でらした、藤島一郎先生が「摂食・嚥下リハビリテーション」と言う本を出された時、この事は大きな問題になるなぁ、寒天が役に立つなぁと思って、伊那食品に連絡したこともありました。
今では介護の現場や病院で「とろみ」は当たり前のものとなりましたが、当時は先ずは伝統食としての寒天、ゼリーや水ようかん、はては凝固剤位の認識だったと思います。しかしながら、当時伊那食品に連絡した際の、丁寧さと前向きの姿勢を感じる応対に、すごい会社だなぁ~と思ったことをよく覚えています。通信販売で杏仁豆腐を取り寄せると、必ず社員さんからの丁寧なお手紙が付いてきたのも、同じ通販の先駆けかと思います。誠実一路なんですね。

番組をみてトップの「快適に働ける職場づくり→いい会社を作りましょう、幸せな会社を!」という経営方針を伺い、48年増収増益も頷けました。元々寒天を戻すのは重い上に人がやる冷たい作業、この重労働を見て工場建設を決断したと。

尚且つ、今回の医療において「肝臓モデル」を作り上げたように、「ずっと変わらない技術と経営開発・研究開発唯一無二の商品を創ろう」が経営理念と聞き、昔から美味しいから頂いている杏仁豆腐のように、当時まだ珍しい通販なのに商品も美味しくすべて丁寧で、電話に出る方も気持ちよく、商品には社員さんのメッセージがついていたことなど、顧客目線がファーストな会社との印象です。

番組最後に現在の二代目社長さんが、「売れるからではない、世の中の役に立つ、自分が欲しいものだから開発するんです」と並々ならぬ、さりとて肩に力入っているんではない、若い人にも門戸を開いて開発に従事させている新しい会社の息吹を感じました。

現在プラスティックの代替品として、食べられる、食性のフィルムの成功にたどり着いたとかで、既にインスタントスープに利用され、次つぎに広がっていきそうです。

一口に寒天と言っても、作られるのは海藻からで、世界中から海藻を集めても、それぞれ性格が違って難しいようで、研究に努めお役に立つ商品を開発していきたいと言う意欲に燃えてらっしゃいました。年輪の素晴らしい木目を見せて、年輪経営を目指すんですよと。
この時代にあって、微動だもしない、昔から変わらない爽やかで確固たる姿勢に、経営のスタンダードを見ました。

杏仁豆腐の丼サイズ久しぶり挑戦しましょうか?

ナナフシ

一家で昆虫採集?と言ったら叱られるでしょうか?ファーブルバトンと言う番組で、石垣島の野山を歩き不思議な生き物に歓喜する一家を見ました。

雑木林の中で、こちらからは何にも見えないけれど「アッ居たいた!」と大喜びの一家。そうッと手にしたもの、「枝じゃないの?」と私。まるで枝。

ナナフシと言うほんとに細い枯れ枝のようないきものでした。羽もないのです。
敵が来ると、枝に化けて難を逃れるそう。不思議ないきものでしたが、見つけた時の無邪気なこのご家族のはしゃぎように、見ている私も笑ってしまいました。世の中には、自然界には、まだまだ知らない生き物が一杯です。そしてこんな無邪気に野山を歩かれるご一家に、なんだかほのぼのしました。

そうそう、ちょっとしたことを思い出しました。
ず~いぶん前の子供のひとこと投稿欄に、傑作が載ってましたっけ・・。

 「ネェお母さん、クモって納豆食べてるんやろか?」

クモの、糸を見て思わずこう言っちゃった、子供の発想に大笑いしながら「すごいなァ~、新鮮だなァ!」と感動したものでした。

自然界にはまだまだ不思議がいっぱい。小さな生き物を見つけて、キラキラする気持ち大事ですね。そういえば、コロナで群馬の奥の方に住まいを移したご一家の話しで、田舎の満天の星を見て小さいお子さんが「お星さまがいっぱいで落っこちてきそうだよ」と言ったとか。こういう子供のことば、宝物ですね。早くコロナが終息して、子ども達がワイワイ、元気に走り回るのを見たいと思います。

どこからか言葉が  谷川俊太郎

二月

柔らかい苔を踏んで死者は歩む
まだどこかへ行こうとしているのか
生が成就したことに気づかずに
ひっそりと死者は行く

置き去りにした愛する者たち
いのちは息づくことをやめない
執着も未練も枝を離れて風に舞い
穏やかな足取りで死者は歩む

遮るものは何一つない
青空と大地が夢のように懐かしい
好きだったアンダンテの
あの始まりの数小節のように

生者を虜にする「意味」の
何?も何故?も放下して
無言の含羞のままに
隠された秩序へ死者は向かう

声をひそめる者はいない
明らめがほのかに照らす道
過去の物語に送られて
死者は歩む

            谷川俊太郎さんの書き下ろしの詩 二月 
    立春過ぎても寒さの中にあって、でも陽の光に春の気配もたまにはあり
    最後の 明らめは 晴れ晴れ 心明るく と感じ入った・・
   

ぽん ほん ぼん

なんだと思いますか?

鉛筆が10本あったと思って、1~10まで数えて下さい。

一本 いっぽん
二本 にほん
三本 さんぼん
四本 よんほん
五本 ごほん
六本 ろっぽん
七本 ななほん
八本 はっぽん
九本 きゅうほん
十本 じゅっぽん     ネ! 

言われてみれば、ネ!

な~んだと思わず、面白いですね、日本語って!

折々のことばより

いちばん必要なのは「わかっている」人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも「わかろうとしている人」です。    五味太郎

 子どもの学びについて絵本作家はこう言う。「わかった」人が「わからない」人に教えるのが教育とされるが、人生「わかった」と言う境地 に立てる 人などいない。
 だから「わかった」気でいる人の話には要注意。「人生、そこらあたりが問題なんだよね」と共に考えてくれる大人が近くに居ると一歩前に進める。          
                       (大人問題)から。
       

懐中汁粉

久しぶり東大近くの老舗和菓子屋さんで、懐かしい懐中汁粉を買いお会計済ますと、「このままかじらないで下さいね」と。エッ!

私を見て、若い人じゃないんだから・・と苦笑しながら「存じてますよ、懐中汁粉だから、最中を割ってお湯を注いでね」と言うと、「先日ご存じない方が、そのままかじっちゃったんです!」と。

「まぁ~!」とビックリしながら、なんだか愉しい一日でした。あのままかじったら、洋服汚して大変だったでしょうね。
包装開けたら、丁寧な ”お召し上がりかた” の栞が入ってましたが・・。

最中にある「學」の文字が、「ぼくは懐中汁粉です」と言ってるように見えました。今、折しも受験のまっ最中。コロナ禍、そして雪の季節で大変ですね。

受験生の皆さん、落ち着いて頑張って下さい。

 

アサリ

やはりニュースに出ました!

今スーパーでアサリを買おうとすると、殆んど「熊本産」
そう書いてあるから、熊本で採れたものだと思っていたけれど・・。

先日からテレビで、中国や韓国からのアサリを熊本にトラックで持ってきて、砂浜にその外国産のアサリをまき、一定時間経過したら、又トラックで市場に持って行けば「熊本産」になるのだとか!!畜養と言う言葉があって熊本で育てたということになるらしい。それって、いいの!とびっくりして口が利けませんでした。そんなことがまかり通っているなんて・・。堂々と!
約束事はないの!?抜き打ちチェックはしてないの!?

年間2485tここで出荷されるアサリの内、熊本産は21tしかないのが今の現実で、この事実は、このような偽の畜養していた人が逮捕されて表に出たものらしく、やってはいけないことだったと反省して、当人たちは改善すべくとりかかり始めた!とも報道されました。

ため息ついて呆れていたら、翌日からあちこちのニュースで「熊本産」と言って売ってるアサリはほとんど外国産が判明、調査に乗り出した!と、どの局もこぞって取り上げてました。知らぬは消費者ばかりです・・。

しかしながら、このニュース以来、急にアサリが姿を消し、代わって急にはまぐりが登場。それが風評受けて全く売れないと・・。気の毒に思いますし、正直この季節、アサリをいろんな風に調理して食べたいなぁ~と思います。この時期おいしいシジミがあっても、アサリとシジミの味は全く違いますから・・。シジミはシジミ・アサリはアサリ。

このアサリのニュースで、日本のいろんな食糧事情を垣間見ることになりました。もとより自給率の低い日本。昔だったら冬にキュウリやトマトはなかったわ・・なんて言っても仕方のない今。だけども、自分の口に入るものを、もっと知っておく必要があるのかもしれない・・とつくづく思ったことでした。

アサリのお味噌汁。安心して食べたい、あったかいのを味わいたいですね。

 

虎魚

魚売り場を覗くと、季節柄、北海道の生たら、冷凍でないから美味しそうだなぁと隣を見ると、アラッ虎魚が一パック取り残されたようにいるではありませんか。
ちっちゃいなぁ~!だけど唐揚げには丁度いいなぁ、だけど一尾しかないし・・と悩んでいると、「何これ~!こわい、なんて魚?顔こわ~い」の声。
顔怖くても美味しいお魚なんだぞ!と思った私はサッと躊躇わずにカゴに入れました。
「あの魚買うんだぁ~」みたいな視線を感じつつ。見れば260円。
よく値段ついたねぇって位のちっちゃな虎魚。

帰宅してどうしょうかなぁと、食べる身が少なくともスープは出るだろう?と、有り合わせで手抜きアクアパッツァに決めたら当たり!ちっちゃくてもきれいな白身たっぷりで、頭もぜ~んぶ、しゃぶりついて頂きました。
なんか人助けならぬ、魚助けした気分でしたが、美味しくてこちらがちび虎魚に「ありがとう、美味しかったよ!」でした。
ラッキーな一日でした(笑)。

折々のことばより

 身長と体重だけ見て人物評を行うというようなことを、
 一般の世界では平気でやってる人がザラにいます。  西江雅之

ものごとはいずれも意味の「多面体」であって、どの角度から見るかで異なる相貌を現すと、言語学・文化人類学者は言う。自分が今見ているのは「事物の一例の、そのまた一側面でしかない」のに、そこから全体を滔々と述べ立てる風潮を憂える。教育をめぐる議論はとりわけその傾向が強そう。
                     (新・ことばの課外授業より)

冬の気品

先日大きな虹の写真下さった方が、お寒い中、またまた素晴らしい写真を撮ってきて下さいました。寒かったでしょうに。
皆さまにもお福分け致します。
お楽しみ下さい。

小さなことば

難しい状況でも、
そこで幸せを見つけられる方法を考えることは、出来ると思う。

そして周りに、支えてくれる愛すべき人が
ほんの数人でも居れば
人生は生きるに値すると思う。    北川悦吏子

問いとは自ら見出すもの・・

CMと知りつつ、つい読んでしまった対談。受験のSAPIX担当者と上野千鶴子先生でした。

「どうしたら自ら課題を見つけて問いを立てられるようになるでしょうか?」「それはその人の中からしか生まれませんよ・・」と上野さん。ただなるべく異質なものと振れる機会を与えてあげるとよいのでは・・と。例えば外国で異文化に触れる、高齢者や障害者と日常的につきあうなどすると、自然と沸き立つ違和感が、その人の問いに繋がるのでは?それがまさにダイバーシティ。新しい価値は異なるものとの摩擦から生まれるのです・・とも。

情報工学では、情報はノイズが転化したもの。ノイズが発生しない同質的な組織からは、価値ある情報は発生しない。つまり新しいものは生まれない。

多様性とは「ノイズ」=弱者を尊重すること。子供は大人にとって最大のノイズ。その大切な子供を、大人社会が求める均質な人材に育てる為に、管理し競争させているのが現実と。

男社会においては女性もノイズであると。その女性を、男性と同じように扱い働かせようとしている点が大変問題。
「わきまえる女」はノイズを立てないでしょう?とも。

弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想が、フェミニズムです。弱者とはまさにノイズなんです。弱さは一人ひとり違い、その多様性の中にこそ、未来の可能性がある。でも今は自己責任論が強く、弱音を吐きにくい社会。家庭と教育現場で子供が安心して弱音を吐ける場になっているでしょうか?そうであってほしいと願っていますと。

問いは本来与えられたものではなく、自ら見出すもの。正解のない世界の中で、自ら課題を見つけ未来を切り開いていく人間を、私達は育てなければならない。

CMと知りつつも、つい読み入ってしまいました。当ブログにバリバラの番組をよく紹介するようになったのも、まだまだ知らないようで知ってるふりしていることが身近に沢山あって、反省も含めて、知ることによって新たに生まれる理解の意味を痛烈に感じたからです。

先日再放送になり樹木希林さんの映画「あん」を久しぶり見ました。樹木希林さんがあんこを煮る前に、その小豆がここに来るまでの道筋に思いを寄せて煮るのよ・・と丁寧に丁寧に段取りして煮ていくさまに感動し、あらためて何でもそうだなァ。そこにたどり着く迄、出来上がるまでの過程に思いを馳せる事・・と。そして亡くなっても、お墓すら立てられない人がいること。その代りに一本の木が植えられるという現実を知りました。美しい映像と森に溢れる鳥の声に、様々なこと、改めて感じ入ったことでした。

心身ともに健康?

よく見る番組、バリバラ。

この日は障害がある方でも、俳優になりた~い!でした。
ある車いすの女性は、俳優になるべく行った養成所?専門学校の先生に「あなたのような人を使いたいと思う事務所はないよ」とダイレクトに言われたそうです。

いらない!
使えない!と。

そして専門学校の入学要綱に、小さく「心身ともに健康な人」と書いてあると。そんな人いるんかい?と司会者が思わず言ってました・・。ホントホント。

脳性まひ、知覚障害の男性は車いすだけど、どうしても声優になりたいとオーディション受けるとこまで頑張ったが、全敗!だったよと。番組内の寸劇では素晴らしい演技、対応でした・・。

この番組に出演した障害ある方々は、「私達も同じ土俵に立ちたい!俳優の世界から障害者でもアップデートしたい!」とみんなおっしゃるのです。

その場にいた映画監督・三島有紀子さんは「心身ともに健康って、逆にどこにいるの?」と。同じく参加者の女優・常盤貴子さんは「もしその俳優さんに障害があるなら、周りが助ければよくない?重い荷物持ったおばあさんが居たら手を貸すのと同じじゃないの?」とおっしゃたのが印象的でした。

現に「神戸塾」と言う障害者の俳優養成所があるそうで、筋ジスの方などは、肺活量が少なく一気にセリフ言えないけれど、「その役は私しかない」と思ってやってみて!と。この日応援団居る中、筋ジス・視覚障害・四肢機能欠損、脳性マヒなどの方々が、堂々と一生懸命演技なさり、チャレンジされる姿に感動しました。

そこにいた三島有紀子監督が「普通って一つもないよ」「その人なりの表現が普通」と仰って、居合わせた障害お持ちの方々、我が意を得たり!とニコッとされた表情がとても素敵でした。三島監督は、「訓練すれば、光る人がいるよ!」とも仰って出演した障害おありの方々も、大いに勇気を頂いたようでした。

考えてみれば、年取るということはみんな何某かの不自由や障害が出てくること。「普通って何だろう」「心身ともに健康って!?」お正月早々大いに考えさせられたバリバラでした。

それにしても、この番組に出る障害お持ちの方々の明るさに、ぐずぐず言ってる私はとても励まされます。困難おありでしょうに、すごいなぁ~。

カメムシ

昨年は、本当に悩まされました、ベランダのカメムシ。何気に居るんですよね。
姿も言っちゃなんですが、地味な割に大きい。そしてうっかりさわると臭~い!そのカメムシって、なぜか音もなくいます、ベランダに・・。新年早々失礼。

大の虫嫌いの奥様の為を思って、出雲市の木材屋さんの親子が悩める人の為にと8年かけてカメムシ捕獲機を開発した!と新聞に載りました。
すごい!奥様おもい!!

マジックハンド型で、「カメムシさん捕獲機パックリン」→カメムシを「パック」し「クリーン」になるから・・?まっネーミングはいまいちだけど、手で触らなくていいのならOK!

商品化してテレビに出たら注文が殺到、家族では追いつかず、アルバイトも雇った由。首都圏からの注文が相次ぎビックリしたとのことでした。「東京にもカメムシが出るのか!」と。

この記事の翌日には昆虫食の記事があって、コオロギどころか、ショウジョウバエの幼虫も!いずれ・・の記述に、そのうちカメムシもとならないよねェ~とびくびくの私です・・。

酒蔵の挑戦!

いきなりですが・・、私共の長年の友人のご本家の酒蔵が、1月8日NHK「おはよう日本」朝7時から7時30分全国放送に登場なさると連絡頂きました。
山梨・井出醸造(甲斐の開運)さんです。新しい試みのウヰスキーつくりが紹介されます。一度放映予定でしたが、番組の都合により8日朝に変更されたそうで、友人は”お蔵入り”にならないといいなぁ~と新年早々の駄洒落です。
チャンスありましたら、ご覧ください。

勿論日本酒も、大変美味しい蔵でらっしゃいます。
「開運」ですから!

2022年が、皆々様に良いお年でありますように。

あなたは 誰かの大切な人

二年目に入ったコロナ、さらに変異しながら、力を増した感染爆発の夏を経て、最近は漸く感染者も減少し始め、一縷の望みを託して人の流れが復活し始めた12月。じわじわとオミクロン株なる新しい変異株の出現・感染者の増加に心穏やかならぬ年の瀬となりました。

富士山麓の友人から、12月初めに現れた美しい虹の画像が送られてきました。夢のような美しい虹に、感動して思わず涙が出ました。自然の美しさの感動って心震えます。

昨年に続くコロナ禍で、今年も皆さんそれぞれ困難がおありだったと思います。
しかしながら、今こうして友人から送られた、肩を押してくれるような、あったかい虹の写真を拝見出来る幸せがあります。

未々大変なことですが、必ずや希望の光はさしてくるはず・・。支え合い傍に居る誰かを大切に、焦らずゆっくり前にすすんでまいりましょう。
この画像頂いたちょうど同じ日、本屋さんでふと手にした小さな本。
「あなたは、誰かの大切な人・原田マヤ」でした。
この一年、ブログにおつきあい下さり有難うございました。

お元気に、よいお年をお迎え下さいませ。

バナナ

何気に食べてるバナナ、茎みたいなところから5~6本付いたのが売られてるから、その茎みたいな方が上だと思ってたら、黒いくちゃくちゃしたのが付いてる方が上なのね。

花が咲いてる画像見てはじめて合点がいきました。成り様をわかればな~んてことないのでした!

まっ、どうでもいいことかもしれないけれど、思い込みって恐ろしい(笑)
いくつになっても、知らない事のみ多かりし・・。

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見回りの目と見守りの目

農村と都市の違いはなんだろう。農村出身の若者と話をしていたら、彼は「規制の働き方が違う」と言った。
「ヘルメットをかぶらずにバイクに乗って警察とすれ違っても、その場で何も言われない。警察官も顔見知りなので」たぶん、警察官があとで親に「息子さんに気をつけるように言ってください」と言うのだろう。

社会学者の泰斗・鈴木栄太郎は、日本の村には個人を超えたところで個人の行動を規制する「村の精神」があると言った。近代思想の下、それは自由を規制する古い因習と見なされ、克服すべき存在ともされた。

だが村の精神が存在した根拠は、そこで暮らす共同体構成員の全てが永続していくことを目的としたところにあった。続いていくことを目的に人々に向けるまなざしは、無事を願う「見守り」の目である。

今般のコロナ禍都会では(コロナ蔓延時)「見回り隊」が飲食店をまわっている。膨大な数の店舗一件一件を、膨大な時間と労力をかけて訪問したという。新型コロナウイルスの感染対策をしたくとも、お店の大きさ、場所の制限で難しい店舗もあるだろうに、そこに対しては見守りではなく「監視」の眼差しを向けざるを得ない。

都市は冷たく、農村は温かいと言いたいわけではない、だが、少なくとも農村には、そしてかつて多くの地域には、その人の立場に立って、その人が続いていくこと、無事であることを願う「祈り」を伴って向けられた見守りのまなざしがあり、それが地域存続の危機を乗り越えることを可能としてきた。

いまわれわれは、過去の人たちから「どう行動するのか?」という厳しいまなざしを向けられているように思う。    今年(2021)の経済気象台より

バリバラからの発信!

びっくりしました!時々注目して見るバリバラですが、今回は何やらただならぬ気配、だけどもいつものメンバー以外は、身近に居るようなおしゃれな女性ばかり・・。だけども話してる話題がスゴい。ウンチだのオシッコだの・・。
皆さん何らかの怪我や病気で、排泄に問題抱えて苦労なさってる方々でした。

でも、暗い雰囲気全くなし!で、オストメイト(人工肛門)の方も、他の処置の方も、「Tバックはくのが夢です」等とあっけらかんと言うのですから、食い入るように見てしまいました。

聞けば自治体によって、使用する物への給付がマチマチで、理解ある市町村には引っ越そうかな?と思うくらい金額に差があるそうです。患者さん、気持ち的にも物質的にも大変なのにおかしいですよね。排泄に関わる必要な物は、当たり前に毎日使う物なのですから、自治体によって給付に差があるのはどうも頂けませんよね・・。初めて知ったこの現実にビックリでした。

それにしても、ご苦労でしょうに、こうして屈託なくカミングアウトする女性が勇気もって明るく話される事で、「オシモ」の理解が広まるといいなぁと思いました。

私も以前から、知り合いにストマ(人工肛門)の方が居たことから、WOC看護士(排泄ケア専門看護士)の認知度、理解と人数の増加を望んでいたので、このように若い方々、しかも女性患者さんが表に出られる意味の大きさを痛感し、拍手しながら番組に釘付けになりました。この中の何人かの方はご自分からSNS発信されてるようです。多くの方の目に留まるといいですね。

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貧乏ゆすり

何とも気になる貧乏ゆすり!

傍にいる方がこれされると‥超気になりますよね!?
この貧乏ゆすりのルーツは江戸時代からとか・・。

先日、この貧乏ゆすりが=ウォーキングと同じ効果!?と言ってました。

すぐやる課(昔、松戸市役所にありましたっけ)の私、やってみたけど膝がガクガクしていくら健康に良いと言われても、これではやれません(笑)。

もう何年前でしたか?美容家のメイ牛山さん(当時結構なご年齢)、湯船にいっぱいお湯ためて、バシャバシャ足踏みしてるので足が衰えない・・と聞いて挑戦したら、家族からうるさい!と言われ、自分はぐったり・・でした。

まぁもしも健康効果があるとしても、TPOわきまえてなさらないと、「変な人」になりかねませんのでお気をつけて・・。

ひらり一言より

「国」として出来なくても、「人」として出来ることがある。

                  建前上は出来ないことも、本音で求め実行する行動が流れを変える                     こともある。

                 国を動かすのは人の行動であることを忘れないで・・と       
                           加藤登紀子さん