科学者が人間であること(3・09付・再々 掲載致します)

もう随分前、この著者・中村桂子さん(東大大学院ご卒業後、三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長)を何かのTVで拝見し、その静かな雰囲気、豊かな言葉で話される内容に感銘受けました。

その後折に触れTVで拝見した時、研究者でありながら主婦でもあり、お庭の手入れもなさりながらで身近に感じられ、なお一層ご発言が気になる方となりました。
堅実でステキな方だなぁと。

立ち読みしてこの本に出会えたのも幸運でした。

「人間はいきものであり、自然の中にある」このあたりまえの原点。
日常感覚と思想を持った科学者が育つ社会づくりへ、と本の帯にはあります。

問題は人間だと。

命を持つ生きものの一つであり、自然の一部である人間。

それから重ね描きのできる人間。

これあっての科学、そして科学技術であり、社会であるわけだと。

今は「経済成長が重要でありそれを支える科学技術を振興する」と言う亡霊のような言葉が飛び交っている。ここには人間はいません。経済成長とは具体的にどのようなことで、誰の暮らしがどのように豊かになるのか、幸せになるのかという問いも答えもありませんと。

したがって科学技術についても、イノベーションという言葉だけしかないところに大きな予算をつけることが「振興」とされ、その研究や技術開発によって人々の日常がどのようななるかということは考えられていません。

私たちって人間なんですというあたりまえのことに眼を向けない専門家によって動かされていく社会がまた始まってるとしたら、やはり「科学者が人間であること」という、あたりまえすぎることを言わなければならないと思うのです・・と。

さらに「生きていること」に向き合って「どう生きるか」を考えるというテーマに終わりはありません、と。

「社会の役に立つ」という言葉が、現代科学のあり様を考える上で、重要なキーワードになってるが、視点を「社会」の側に移し、それが科学や科学技術をどう扱ってきたかを考えて見ると・・。過去にスリーマイル島やチエルノブイリで事故は起き、思いがけない自然の力で、思いもよらず深刻な事故が日本で起きました。自然に対して想定はありませんから、事故はいつでも想定外で起きるものだと言えると。

興味深い例としてイギリスで人気の「きかんしゃトーマス」と日本で愛されている手塚治虫の「鉄腕アトム」の主題歌をあげています。

    空を超えて ラララ 星の彼方
    ゆくぞ アトム ジェットの限り
    心やさしい ラララ 科学の子
    十万馬力だ 鉄腕アトム

    耳をすませ ラララ 目をみはれ
    そうだ アトム 油断をするな
    心正しい ラララ 科学の子
    七つの威力さ 鉄腕アトム

    町角に ラララ 海のそこに
    きょうも アトム 人間まもって
    心はずむ ラララ 科学の子 
    みんなの友だち 鉄腕アトム  (谷川俊太郎 作詞)

手塚さんも谷川さんも思慮深い方であり、単なる科学礼賛者ではない。手塚漫画には、生命の視点から科学技術を考えるという課題がその底に流れていると。しかしアトムは子供たちに夢を与えるものであることが求められているので、どうしても「ラララ 科学の子」になるのです・・と。

一方、イギリスで子供に人気のテレビ番組「きかんしゃトーマス」のテーマソングの一つに「事故が起きるよ」という一節があるのだそうです。

 「じこはおこるさ」

    ・・・・じこがほら おきるよ いきなりくる
    ちょうしにのって やってると
    バチがあたる

    じこがほら おきるよ
    いいきになってると
    そうさ よそみしてるそのときに
    じこは おきるものさ

    おもいつきでやると
    きっと しっぱいするよ
    こううんのめがみは きまぐれだから
    ウキウキしてると まっさかさま
    わすれないで きをつけてね いつだって

    ・・・・・”ひょうしきはいくつもあるのにさ、
    だいじなものばかりみおとすね”
    そんなとき かならずやってくる
    にどとやらなければ いいけど・・・・ 

                   (マイク・オドネル、ジュニア・キャンベル
                    訳・山田ひろし)

この歌は、技術、特に等身大を超えてどんどん大きくなっていく技術には制御の難しさがあることを心にとめておかなければならないという基本を示しています。特にいい気になってると事故になるものだよ、だから気を引き締めなければならないよとストレートに子供たちに伝えています。
ここで言ってるのは人間の問題です。

このように、中村さんは本の中で、科学者だけでなく、現代社会に生きる人皆が、それぞれの立場で、日常感覚と思想性に基づくバランス感覚を発揮してこそ、新しい文明、新しい科学への道が開けてくるのだと思うと述べておられます。

日本人の自然核を大事にしながら「重ね描き」の科学を実践していくために子供の教育にも触れ、吉本隆明の自然観にも触れ、吉本が好きな宮沢賢治の考察を実に魅力的と述べています。

賢治のテーマは常に「本当の賢さ」と「本当の幸せ」です。それは生命誌のテーマでもあると。人間は生き物であるという事を基本に置き、そこから人間らしく生きる道を探すとしたら「本当の賢さ」と「本当の幸せ」以外にはないと。

中村さんのこの本は、深く静かに「私たちって人間なんです」という当たり前のことに眼を向けて、又この当たり前のことに眼を向けない専門家によって動かされていく社会がまた始まっているように思えると危惧をし、やはり「科学者が人間であること」という、当たりまえ過ぎることを言わなければならないと思うと繰り返し述べておられます。

小さな新書ですが、中身は重く尚且つ軽やかに、訴えるものが強く心を打ち
手放せない一冊が増えました。

 

 

 

 

加藤登紀子のひらり一言より

   自分で悩み

   自分で考え

   自分で超える

      何事も他人任せにしないこと
      誰かを助ける時も、
      代わりに考え決めてあげるのではなく出来るだけ自分力をサポート                  

 

ことば

  難しい状況でも

  そこで幸せを見つける方法を

  考えることはできると思う

  そして周りに

  支えてくれる、愛すべき人がほんの数人でもいれば

  人生は生きるに値すると思う

                                       ある作家さんのことばより・・・

 

パルスオキシメーター

今、このコロナ禍にあって、脚光を浴びているのが一見、大きめの洗濯ばさみのような、人差し指の先端を挟むと直ぐ血中酸素飽和度が表示されるパルスオキシメータ。

原理を考えたのが、日本の青柳卓雄さんという新潟生まれの技術者で、発明家になる夢を抱き、大学で工学を修めた方だそうです。島津製作所を経て、1971年に日本光電工業に入り、「ユニークなものを開発せよ」と上司に言われ、麻酔科医との会話がきっかけで、動脈血の酸素濃度を簡単に測れる装置の開発に打ち込まれたそうです。

当時は採血しなければ酸素レベルは読めず、患者の顔色で判断していた。青柳さんは拍動を利用し、動脈血だけの信号を取り出すことに成功し、連続測定を可能にしたそうです。大発見であったものの、紆余曲折あった後に、有用性が理解され、企業が相次いで製品化し、各国に広まり多くの命を救うことに貢献しました。

全国で10万人超が自宅療養と言う名の「自助」を強いられる時代。パルスオキシメーターは私達の命綱となっています。
原理を考えたのは日本の技術者と知り、もっと再評価されるべき発明と、天声人語は伝えていました。

コロナ終息を願い、自分の命を守ることは、他人の命も守ること。感染予防、出来ることはきっちりやろうと思います。

 

加藤登紀子の ひらり一言より

 

  命はただそこにあるだけで偉大です。

    素晴らしいとか、美しいとか、形容詞はいりません。
    何の装飾も、自己アピールもない、無垢な輝きを大切に!

ことば

このところ、国を動かす人々の、「ことば」が問われています。

自分のことばでしゃべらないから、我々の心に届かない!
目もうつろに、力のないことばを聞くたび、ため息が出ます。おかげで「うそ(上辺だけのことば)」を見抜く力はつきました・・。

そんな時、ニュージーランドの女性首相の、力強い言葉を耳にしました。その心は「人は理解すれば、行動できる」です。

明確でシンプルな主張は、心を動かします。

おっしゃる方が、「なぜ?」「・・解決にはどうするか!」をご自身でわかっているから、その言葉に重みと力があります。

この国を引っ張る方々から、ご自分のことばで、ご自分の考えをもっときっぱり、お話しいただきたいと思います。
明確でシンプルに仰って下されば、我々は理解でき行動できます。

「ことば」は大切です。