宅配便

みんな生き残んのに必死なんや。
数の問題ちゃうぞ。一個一個が切実なんや。
              宅配便のベテラン社員

シングルマザーの新米宅配員は、大量の荷物を時間内に配達したいのに、クレームが挟まり、ふて腐れる。なぜ荷物が増えているか分かるかと先輩に問われ、コロナのせいだと答えるとこう怒鳴られた。
待つ人も届ける人もとっくに腹を括っている。括れていないのは自分だけだと、己の甘さを知る。NHKテレビのドラマ「あなたのブツが、ここに」
                                        (脚本・櫻井剛、第8回)から

このドラマ、途中から何気に見ることになった。テンポの速い展開に引きつられているうちに、「そっかぁ~」と思ったり「そうだよね」だったり、「そんなに大変なんだ・・」。
よく来て下さる宅配の方に、丁寧に「ご苦労様、ありがとう」、いつも言ってるつもりだけども、より心込めて言わなきゃ!と思った次第。何でもそうだろうけれど、すごい世界なのだと知った。
偶々見ることになったが、いい勉強をさせて頂いている。

折々のことばより 斎藤陽道

    人には、手のひら全部で指をさすんだよ
    物には、人差し指でさすんだよ
                        斎藤陽道

写真家夫妻が最近困っているのは、3歳の長男がどんな対象も親指を立てて指さすこと。
人を責めたり詰ったり、何か「ネガティブな気持ち」になった時に使うオマエ・コイツみたいで、これはすぐに直しておこうと相談する。で、その使い分けを丁寧に説いた。心はとっても細やかなもの。その機微を体ごと知ってほしくて。
              

          漫画でつづる子育て日記「せかいはことば」から。

余計なこと  (林真理子さんのコラムより)

この度日大のトップに決まった作家・林真理子さん。
大人気の作家であるが、ある女性月刊誌にコラムを持ってらして、「痛快だなぁ~、いいことおっしゃるなぁ」と読むチャンスあるたび思っていました。

ひょんな出会い、亡き佐藤しのぶさんのコンサートに行ったら、ゲストで林真理子さんが出られ(彼女も声楽勉強中と)、しのぶさんがハッキリものおっしゃる方なので、林真理子さんとの会話が痛快極まりなく、会場は大盛り上がり。ソプラノコンサートに行ったのに、なぜか得した気持ちになり、会場も湧いて「ルンルンで」帰宅しました。

当時の女性誌にあった記事がコピーでとってありました。そこからの引用です。

(当時の林真理子さん)
最近忙しさのあまり、ジムに行く時間がない。以前から体重を気にしてたら、週刊誌に「歩くのがいちばんいい」と書いてあって実践するようになった。羽田空港に行く時は、遠くの入り口にタクシー止め、そこからてくてく歩く。こうしてこまめに歩いていると、スマホの歩数が8000から9000になってとても嬉しい。(努力の人なんですよね)

そんなある日、ちょっと時間があって、六本木から西麻布を通り表参道まで歩いてみた。新しいビルが出来、ステキなギャラリーが出来スイーツのお店が可愛い。そして私は考えた。この頃散歩してなかったなぁ。点と点をタクシーで移動ばかり。寄り道を忘れていたと。
この頃通販がとても好きになり、ワンクリックで購入が多い。しかしお店に入ってみると「こんなものが流行っているのか」と目を見張る。

最近どうしてみんな本屋さんに行かないんだろうとと言う話になった。「欲しいものはアマゾンで買うもの」と若い人たちは言う。大人もその通りと言う。しかし本屋に行く楽しみと言うのは、棚いっぱいに並ぶ本をみて、自分が欲しかったものとは別の物をつい買ってしまう。つまり「余計なものを買ってしまう」ことだと思うのである。

つい先日経済紙の記者の方からインタビューを受けた。「最近どんな仕事を」と聞かれたので、「新聞の連載小説を毎日書いていますけど」憮然として答える私。自分で言うのもナンであるが、その小説最近とても人気で、週刊誌でも特集が組まれるほどだ。この記者さん、まるで勉強してこないなぁとがっかりもし、ふと思い当たることがあった。

「もしかして、新聞読んでいらっしゃらないんですか」「ええ。たいていのことはネットでわかりますから。ラインニュースを読めば済みますから」平然と答える人に、「経済紙の方が、新聞読まないってどういうことなんですかね」と、つい嫌味を口にしてしまった。

そもそも新聞は面白い。普段私が興味を持っていない分野の記事で一杯だ。最初見るつもりはなかった。が、お目当ての記事にたどり着くためにめくっていると「余計な記事を読んでしまう」のである。

これが人間関係にも言えることではないだろうかとこの頃考えるようになった。目的の人だけに突っ走らない。余計なことをしてみる。余計な人にもめぐり逢ってみる。これはとても大切なことではないだろうか。

今から十数年前第一目標は仕事であった。そのことばかり考えて来た。しかし子供が学校に上がる。ママ友との付き合いは私にとって全くの寄り道。余計なことだと感じた。しかしそこにいる人は、私が日ごろ知ってるマスコミ関係者とはまるで違うのだった。そして今、そのうちの何人かと深い友情を結び続いている。

余計なことはしなくてはいけない。無駄なことをしないと、人の心はやせ細っていくばかり。もし無用だと思っても、興味があったら結婚はしたほうがいいと、若い人たちに言っている。(過去のある女性誌より)

  なぜか片づけをしていて出てきた記事に、ハッと目が留まった。この林真理子さんがマンモス大学日大のトップになる。前途多難といろんなご意見があるやも聞くが、期待したい。

真理子さんの視点は貴重だと思う。

 

オフィスグリコがあった時代から・・今

久しぶりに「オフィスグリコ」の名を新聞で見て、懐かしいなぁ~と。

と言うのも1998年日本で初めての歯科予防の会が発足し、むし歯の成り立ち・原因、むし歯も歯周病も細菌による感染症!という新たな見解にひっくり返る騒ぎになった。

特に虫歯はちょこちょこ食い(頻食)がいけない・・と、甘いものなども食事直後にデザートのように一緒にとり、食事をしたらすぐ歯の汚れを取りフッ素入り歯磨き(950ppmf・当時)で磨く。食事と食事の間はあける。何も食べない時間を置くことにより、お口の中の環境は修復される→むし歯・歯周病になりにくくなるというものだった。

そのしばらくして、菓子メーカーのグリコが、「オフィスグリコ」なる自販機が希望する会社に設置され、いつでも!好きな時に!食べたい時に!お菓子が食べられる!とニュースに出たものだから、予防の会は色めき立った、よく売れるお菓子は欠品にならぬよう、こまめに補充されると言う。何でも仕事中に「甘いものが欲しくなった時に、すぐ食べられれば仕事の効率も上がる!」と言う宣伝だった。甘いものは仕事の効率を上げるとまで言われた。
たいして需要もないだろうと我々は思ったが、評判を呼び、常設する会社が結構あり、今でも継続していると聞く。

何十年ぶり?久しぶり新聞に「オフィスグリコ」の名を見つけ、何と今度は「企業などのおフィスに、お昼のお弁当を配達するサービス開始」とのこと。一食当たりの糖質を40g以下に抑えたメニューが売り、健康志向の高い働き手のニーズをつかもうとの狙いとある。

アプリを通じて朝9時までに注文するとお昼までに職場に届く仕組み、ただし法人の利用に限る由。何れにしても職場向けの置き菓子販売事業「オフィスグリコ」の配送網を使うらしい。手始めに大阪から始め、首都圏に拡大するという。

「オフィスグリコ」がこのような進化?を遂げている間に、虫歯の状況も随分変わってきた。予防が進んだ結果、子供の虫歯は減ったが歯肉炎と、大人の虫歯は増えている。大人も子供も予防の観点から定期メンテナンスを受ける人が増えてきたのは喜ばしい。しかしながら高齢になっても歯が残るようになったが、高齢者特有の虫歯が増え、高齢者は不自由し、介護現場で違う悩みを増やしている。
そのむし歯の処置はかなり大変で、高齢になると全身疾患のリスクを増すので、歯科として出来る処置が限られる、ましてやご自分で口腔ケアが十分にできる方ばかりではない。憂慮される事態にもなってきた。でも食べなくてはならない。

超高齢社会の今、自分の口で食べられる幸せを考えた時、たまたま読んだ「オフィスグリコ」の記事から、いろいろ考えてしまった夏の終わり。気がつけばあんなにジージー言ってたセミは姿を消し、いつの間にか虫の音が聞こえ、水引草や吾亦紅の風情に、ホッとする季節になった。

コロナで、配食サービスが増え、街中にキッチンカーがみられるようになった。コンビニに行くと魅力的なデザート満ち溢れ、コンビニのおかげで、今ではいつでもどこでも、誰でもオフィスグリコ状態。

「いつでもどこでも」は忙しい時には救いでもあるが、違う面もみせるのだと、考える余裕ももちたい。

「便利」は何かを失うような気もしている・・。

 

あいづち

オンライン会議など、パソコンの画面に向かって話すのに慣れて聞いた昨今だが、だからこそか久しぶりに対面で人と話すと、その心地よさに驚いてしまう。安心間をもたらす一つの要素は、相づち。

相づちの味と言うドキュメントに出会った。不思議な時間。出演者は精神科医・ロボット開発者・スナックのママ。

We  need  「Aizuchi」

そう言われてみると、ラインにしてもなんにしても、対面でないと空気感はだいぶ違う。簡単に言うとキャッチボールにならない感じ。

「ちゃんと聞いてるよ」
「ちゃんと受け止めてるよ」これが次も話したいと思うことだろう・・と。

☆彡「へーッ~」うなづく
「すごいじゃんやったね!」
「わかる、そういうの」
「うん、うん」
「オッ!いいね」
「そうだよね~」
「うんうん」
「イイね」
「良かったじゃん」
「そういうの、メッチャイイね」
「うんうん・・・」
「そうだね、絶対だいじょうぶだよ」
「え~っ!なんか私も嬉しい、頑張ってね」

こんな風に、どういう風に言ったかでその人を反映し、「相づち」うってくれることにより、話しやすくて受け止めるくれたと感じる・・と、精神科医。相づちには美味しいタイミングがあるとも言う。

☆彡家族型テクノロジーロボット製作者(開発のヒントは犬だったとか)

「聴いてるよ」
愛くるしい表情が魅力のロボットは、目の細かな動きまで計算して作られたという。目を合わせると、オキシトシンが出る 信頼関係が生まれる・・のだと。そして言葉も大事だけど「言葉以外もすごく大事」と開発者は言う。

又、辛いことのあった人へ
「うん、うん」
「あ~、うん」
「そりゃそうや・・」
「イヤーっ、きついなぁ」「うん・・」
「そりゃへこむな~」
「あ~うん、そっかぁ、お疲れさん」
「無理すんなよ、マジで・・」

こんな風に相づち打てたらいいですよねと。

☆彡スナックのママさん(聞き上手で、キャリアアドバイザーでもある方)

なにかこちらが言いたくなっても一度、「それで?」と受け止めてあげるのよ。
相づち打つと、自分も豊かになるわ。
例えば
「私も一人でモヤモヤした気持ちになる事あるよ」
「うん・・うん」
「そうかもね・・」
「よかったぁ~、いつもそばにいるからね」
「話してくれて有難う。お話聞けて良かった・・」

たった15分~20分の番組だったけれど、「だよね~」とマスク外して早く相づち打ちながらおしゃべりに興じたいとつくづく思ったことだった。

古~い話だけど、昔「シカとする」っていう言い方があった。その頃はまだまだ携帯どころの時代じゃなかった、誤解なく言えば「シカとされたら悲しい」誰だって、いつだって・・!

相づちかぁ~。
なんか懐かしい、そして大事だなぁ。

 

 

ルコント閉店!

 

学生時代から憧れでもあり、大好きだったフランス菓子のルコントが8月末で閉店した。
ニュースを知り、問い合わせたらもう既に各店舗行列で、電話での取り置きは出来ないと。今年になって買ったフルーツケーキを食べずにずっと寝かしておこう・・等とみみっちいこと考えた。

思い出せばサンタクロース役にピッタリの、体格いいムッシュー・ルコントが六本木に小さなお店を開店、頂いてみて、そのなんとも幸せな美味しさにビックリ!したものだった。それぞれにお酒はきっちり風味をそえ、大人が楽しむお菓子に背伸びして味わう事を覚えた。その頃流行ったコーヒーは、フレンチローストだった。

カッコいい夏木陽介さんがロールスロイスで買いに来たのにも出くわし、どんな風に召し上がるんだろう?とワクワクした。

白衣姿のたっぷりした胴廻りの、にこやかなムッシュー・ルコントに、最後に会ったのは随分前の三越だった。「サバ?マダム」といい歳になった私に声かけて下さった、よく響くまぁるい声が耳に残る。その後亡くなったと知ったが、お菓子は引き継がれ、ずっと何度も楽しませて頂いた。ルコントのケーキってどうして、特別じゃないのに特別なんだろう・・。

ついに閉店。

そう言えば最後に買いに行った時、先に買われたお客様はダンディな、帽子の似合う紳士で、買ってらしたのはスーリーとサバラン、そしてタルト。
我が家と同じだぁ。嬉しくなってその紳士の後ろ姿を眺めた事を思い出す。

大人が楽しめるケーキ屋さんが姿を消す。
私達が、ようやくいい歳になってきたのに・・。
ムッシュー!

ありがとう💓

こども

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる
寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは
公正をおぼえる
友情を知る子どもは
親切をおぼえる
安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じることをおぼえる
       「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」から     
                         抜粋   川上邦夫訳 新評論

折々のことばより  井伊雅子

 

 日本の医療制度の大きな問題は自由過ぎる事なのである。 井伊雅子

迅速に多くの検査を受け、薬を処方してもらうことを良い医療だと思う人は多い。患者が医療情報にふり回され、医療サービスも過度に市場化するなか、
「地域住民の健康に責任を持つ家庭医」の仕組みを整える必要があると医療経済学者は説く。
医は人を看る/診ること。自由は放任や自己責任とは違う。(日本の医療制度をどう設計するか? アスティオン96号から)

早口言葉

  むささび
  むしばに
  むせびなく

口の周りの運動の大切さが言われています。
あいうべ体操!パタカラ体操!いいですねぇ。
たまにはこんなの如何でしょうか?(チビ用に買ったら存外難しい!)

笑いながらどうぞ。
結構むずかしい!ですよ。

ファイトです。

キャッチボール

夕刊に載った何やら箸袋に書かれたメッセージ。
読めば、新座の中学生が、修学旅行の際宿泊した旅館の食事の席で、箸袋に残した「ありがとう」「お世話になりました」のメッセージらしい。
随分粋な中学生だなぁと感心して読みながら、私もあることを思い出した。
何年前だったろうか?兄弟が地方で入院することになったが身内は同室に付き添えない。やむを得ず送迎バスがある小さなホテルに暫く滞在した。
朝病院まで送って貰い夕方ホテルに帰る日々。

「お帰りなさいませ」と迎えられ部屋にたどり着くと、キレイに掃除された室内の鏡の前に、小さな折り紙と共に「お疲れさまです。今日は○○がお部屋を掃除させて頂きました」のメモ。小さな細やかな折り紙を手にとって涙がポロリ・・でした。誰かが見守って下さるような感覚・・。

患者本人ではなく単なる身内の付き添いなのに、知らない土地でこんなさりげない温かいおもてなしを受け感謝感激でした。当院の患者さんにも、あらためて、このような小さな心づかい、大事だなぁと思ったことでした。

翌朝フロントに一言お礼をと思ったら、その前に「おはようございます。ゆっくりお休みになられましたか?」の明るくさりげないご挨拶。
小さな細やかなお心遣いと相まって、ホテル全体が闘病を支えて下さってるのだと知りました。おかげさまでその後病人は順調に回復しました。その温かさは送迎バスの運転手さんにも感じたことでした。

ひょんな新聞記事から随分前の感謝の出来事を思いだし、コロナで対面の会話がない時間を過ごしているだけに、中学生の箸袋メッセージはお世話下さる方々の心に触れ、ご苦労も報われ、それはそれは嬉しかったことだろうと思いました。

すべからく、気持ちのキャッチボール。
行ったり来たりですね。

折々のことばより なだいなだ

  

  人間が二人集まります。力は倍になります。しかし、
  責任は半分になったと感じるのです。     なだいなだ

強制収容所では人を番号で呼ぶ。動物を食する時は「肉を食べる」と言う。こういう「抽象化」によって人は自らの残虐性に鈍感になると、作家・精神科医は言う。組織の中に入るというのも同様で、人は個人としては消え、役割になる。そして個人の肉体に内蔵された攻撃と抑制の二つのスイッチのうち、後者がきちんと働かなくなる。(人間、この非人間的なもの)から。

筋肉の老化 脳が関与か (長寿研など、マウス実験)

加齢で全身の筋肉が弱る「サルコペニア」の症状を、脳で働く特定のたんぱく質を増やして改善する動物実験に、国立長寿医療センターなどのグループが成功した。筋肉の老化に脳の働きが関わることを示した。

グループは、老化に伴って増える病気と、細胞内でエネルギーを作る上で不可欠な物質の研究を続けてきた。こうした物質を細胞の外から中に取り込むたんぱく質「SLc12a8」を調べると、加齢に伴って、脳の特定の場所で働きが低下することを見つけた。

若いマウスの脳の特定の領域で、このたんぱく質の働きを止めると、全身のエネルギー消費量が減った。さらに筋肉の量や筋力、筋肉でできるたんぱく質の量、走る距離が低下し、年とった老化マウスと同じような状態になることがわかった。

逆に老化マウスの脳でこのたんぱく質の働きを上げてやると、筋肉量や筋力も上がり、走る距離も伸び、サルコペニアの症状を改善することができた。

サルコペニア、更に心身の働きも衰えて要介護前段階となる「フレイル」の詳しい原因はわかっていない。グループの米ワシントン大の今井真一郎教授は「これまでのサルコペニアは筋肉の問題として考えられてきたが、中枢神経が関わることがわかった。新たな治療法開発につながる可能性がある」と話している。

「こわいをしって、へいわがわかった」

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな

こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん

風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった

おかあさんが、
七十七年前の沖縄の絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ

たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年のこどもが
かなしそうに見ている

こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?

きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな

おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな

せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとぽけっとにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった

沖縄戦没者追悼式で、沖縄私立山内小学校2年徳本穂菜さん(7)が朗読しました。宜野湾市の佐喜真美美術館を家族と訪れ、丸木位里、俊夫妻が1984年に制作した「沖縄戦の図」を見た時の思いを詩にしたそうです。
周りからこの詩に「ここはこうした方がいい・・」「こう直した方がいい」と言う助言があっても断って、本人が書いたままだそうです。
同居するおじいちゃんが、戦争に関わりある場所や集まりに、小さい時から穂菜さんを必ず連れて行っていましたと、鶴瓶の番組のインタビューで知りました。

「老い」はちっともこわくない 柏木哲夫2001改編版より

先日「にもかかわらず笑う」でご紹介した、柏木哲夫先生の1998年の本が、2001年文庫化に当たって加筆されたものからの抜粋です。

超高齢化社会を迎えて、「老い」に直面しなければならない社会に私たちは置かれています。「老い」に関する情報も多くなり、特に介護保険導入後、老人福祉に対する関心が高まり、様々な身体的ケア、リハビリ、入浴介護などのサービスは次第に充実してきています。

しかしながら多くの元気な老人が、「老いをどう生きていくか」について考える情報は意外と少ないと感じます。今私(柏木先生)は、学生と一緒に「老人の希望」について研究しているが、主に他者との交流・健康・趣味・奉仕・仕事・役割・経済・子供の成長など、老人を取り巻く外部的な環境に焦点が当たっていた。

しかし、老人の心の中身や内的な希望を対象にした研究はあまり多くありません。研究の方法論が難しいし、結果も主観的になり易いからでしょう。この書物では、外在的なものでなく、内在的な視点を重要視した「老い」の理解です。「老いのとらえ方」によって、「老いの生き方」が変わってきます。

「からだが不自由である」と言う現実は、ある人を限りなく不幸にします。しかし、ある人はその不自由さを「挑戦」の源にします。不自由さを幸せととらえることができる人さえいます。考え方、とらえ方、物事への態度などによって、その人の存在の意味が変わってくるのです。価値観がものの見方を変えると言えましょう。

「人生の実力」と言うことを考えています。その定義は二つの部分に分かれます。一つは「自分に不都合なことが起こった時、その不都合さの中にも、人間として生きている証を見、冷静にどうすればよいかを考え、判断し、その判断に従って行動する力」です。やや持って回った定義ですが、本当の実力は自分にとって不都合なことが起こった時に発揮されます。老いと言う不都合さの中で発揮されるのが実力なのかもしれません。老いと言う現実の中で、人間としての証を見、自分らしく生きていける人は老人として、人生の実力者と言えるでしょう。

もう一つの定義は、「どんな状況におかれても、その状況を幸せと感じることができる力」と言うことです。

人生に三つの坂があると言われています。何でもうまくいく「上り坂」、すべてがうまくいかない「下り坂」、そしてもう一つの坂は「まさか」と言う坂です。

上り坂を幸せと感じる事は簡単ですが、下り坂を幸福とはなかなか感じられません。「まさか、こんなことが自分に起こるなんて・・」と言う場合、多くはマイナスの「まさか」です。まさか、こんな事故に巻き込まれるなんて・・・。まさか年取って息子を看取るなんて・・など。「まさか」こんなに長く生きるとは思わなかった人も多いことでしょう。しかし、現実は老いを生きているのですから、その中に幸せを見るという実力を発揮してほしいと思い、その実力養成の一助に本書がなるよう願っています。

ユーモア(HUMOR)について
これは元々医学的な概念でした。語源は、血液やリンパ液などの体液を意味するラテン語のフモール(HUMOR)と言う言葉です。体液と言うのは、その流れが人の身体に活力を与え、また創造的な力を補っていると考えられていました。言い換えますと、中世の医学者はユーモアこそ生命の本質であり、体液が無かれば人間が生きられにように、ユーモアなしでは人間は生きられないと考えられていたのです。
柏木先生は、早くからこのユーモアに注目し、いくつになっても必要なユーモアと語っておられます。

 

退屈

GWが終わるころになると、よく「五月病」と言う言葉を聞くようになります。新入生や新入社員の方などに起こる、様々な症状の総称。たしかに環境が変化すると、なかなか落ち着かないことが多いですね。

実はこの「退屈」仏教に由来するとある冊子で知りました。「退き屈する」と言う意味で、「仏堂修行の厳しさに負けて気力が減退すること」だと。この中の「気力の減退」だけが現在の用法になったようです。

私たちは退屈と感じると、それが環境や相手によってもたらされると考えます。しかし仏教では、あらゆる出来事には実体がなく、感情は自分の心の動きによるもので、言い換えれば、退屈と思うか、楽しいと思うかも本人次第と言うことになるらしい

他に隷属することは、すべて苦なり。
あらゆる主権こそ楽なり。

一度立ち止まって、自分にとっての意味合いを見つめ直してはどうでしょう?きっと自分なりの価値があるはずと冊子にはあります。 フムフム・・。

 

「違う」と言う機会 (季節の地図 柴崎友香)

少し前なのですが、興味深い記事があった。以下にご紹介します。

仕事をしていると必ず経験することに、自分の仕事ではないことを頼まれる、納得のいかない指示を受ける、があると思う。私自身、会社勤めをしていた時にしばしばあった。頼む方は「ちょっとやっといて」と言う感じかもしれないのだが、その度に理不尽な状況に疑問を抱いたり、このやり方にするとかえって面倒になるのにと悩んだりした。

一つ一つの業務はそれほど大きな負担ではない。それに対して私は、異議を申し立てたり違うと言ったりしたことはほとんどなかった。立場が上の人に向かって交渉するよりも、黙ってやっといた方が早く済む。年齢も下で権限もない自分がつべこべ言ってはいけない、いつか周りの人が解決してくれるのでは、などの気持ちもあった。

それが間違っていたことに気づいたのは、自分が辞める時だった。後任の人に引継ぎをする段になって、自分が引き受けてきた仕事は全部、その人がやらないといけないのだとわかった。前任の人はやっていたとなれば、その仕事に異議を申し立てるのはますます難しくなるだろう。最初にその仕事を頼んだ経緯は忘れられて、前からそうなっている、と物事は進んでいってしまう。自分にも「正解」がわかっていたわけではないけれど、質問すればよかったこともあるし、話し合えばもっと良いやり方がみつかったかもしれない。

違いますと言うべき時に言えなかったことの後悔がある。業務をやることになったとしても、なにかのやり取りがあれば次の機会は変化があったかもしれない。

何も言わなければ、それでいいと思われてしまう。

仕事だけでなく、家族など身近な人間関係でも、社会のもっと大きなことに対しても、通じる事なんじゃないかと思っている。
そして「その時言わなかったからもうダメ」と言うことでもなく、気づいた時に異議を申し立てていいし、そのとき自分ができることをできる限りやっていくのがいいのだと思う。

 わが身にも、小さいけれど大きな気づきをくれた記事でしたので、ご紹介しました・・。

植物性ミルクは牛乳の代わりになる?

豆乳に加え、アーモンドやオーツ麦など人気の植物性ミルク。様々な使い方で牛乳と同じように使われているが、はたして栄養面でも牛乳の代替になるのか?管理栄養士の解説が載っていました。

「一言でいえば、見た目は似ていても、代替にはならない。含まれる栄養素の種類や量が違い、牛乳で接種できるものを補えるとは言えない」とのことです。そうなんだ・・。

日本人が一日に牛乳を約180㎖取るように示されているバランスガイドでは、カルシウムの重要な供給源と位置付けられているからで、普通牛乳100gにカルシウムは110mg含まれる。同じ量の豆乳では15mg。いわゆる植物性ミルク商品にはカルシウムの含有量は不明だそうです。

逆にアーモンドミルクにはビタミンEや食物繊維などと特長がパッケージに書かれているので、比較するには定量的にみる必要があり、それぞれの栄養成分を詳しくチェックする必要がありそうです。

又、乳糖不耐症や食物アレルギーなどで牛乳が摂取出来ない場合、植物性ミルクは代替と考える方も多いのかもしれません。その場合にも、食事のバランスがとれているかをチェックした上で選択しては如何でしょうか?と説明しています。

体に良い食べ物を取り入れたいと思うのは人情ですが、一つの食べ物を別の食べ物におきかえれば、得られる栄養素も失う栄養素もあると理解して、食事全体のバランスを考えてはいかがでしょうか?とアドバイスです。

アーモンドミルクはコレステロールが0と言うところに注目が集まっているようです。私も牛乳と似たもの・・くらいの認識だったので「栄養素はそれぞれに違いがある」ことを知って今後は区分けして利用しようと思いました。

にもかかわらず笑う

アルフォンス・デーケン先生の有名な言葉「にもかかわらず笑う」は、かつて日本医大癒しの環境研究会に、発会から参加し勉強させて頂いていた折、デーケン先生がお帰り際にっこにこ顔でおっしゃって頂きました。それからずーっと心の芯にあります。

本を片付けていたら、1984年以来精神科医として、ホスピスの場で多くの高齢者に接し、看取った患者さんは2000名を超え、ずっと老いと死を診て来たという柏木哲夫先生の文庫本「老いはちっとも怖くない」を見つけました。表紙も変色し貫禄ついた文庫本の、一番気に入ったページを紹介します。

18ページ「ユーモアで元気に」(老いを前向きに受け入れ)
ハワイを訪れたとき、友人に聞いた話です。(柏木哲夫先生)
92歳になる日系移民のおじいさん。顔中にこれまでの苦労を物語る深い皺がありますが至って元気「長生きの秘けつは」と尋ねると「息するのを忘れぬことじゃ」。
歯が一本もありませんが、ステーキを美味しそうに食べます。長年の習慣で食事の時には入れ歯をしません。そうしてると歯茎が強くなって、たいていのものは食べられるそうです。「どんな時に入れ歯を入れるのですか」と尋ねたら、「歯を磨く時じゃ」。友人はおじいさんのユーモアのセンスに感心し、これこそ長生きの秘けつだと思ったと仰ったそうです。奥さんは87歳。ご主人に劣らず元気でユーモアのセンスは抜群。川柳の会に入ってるそうで、最近の作品は、
「合わぬはず、じいさんそれは私の歯」。

老いてユーモアがある人に出会うとホッとします。老いを前向きに受け入れていないとユーモアは出てきません。老いを嘆き、辛さとやるせなさだけを見る人からは出てきません。上智大学のデーケン教授は、ユーモアを「にもかかわらず笑うこと」と定義します。

ハワイの老夫婦は、老いにもかかわらず老いを笑い飛ばして生きています。元気だからユーモアが出るのではなく、ユーモアが出るから元気なのでしょう。

「にもかかわらず」と言う状況で最も笑いにくいのは、死が近いときでしょう。にもかかわらず、笑うことができる人はいました。末期の肺がんの人で、せきがひどく苦しい時、「このせきは小錦に来てもらわないと、とれそうもありません」と言いました。関取と「せきとり」をかけたこの人独特のユーモアでした。死が近いにも関わらず、ユーモアを無理なく振りまくことができる人はすばらしいと柏木先生の本にあります。このページと入れ歯のページは、入れ歯の記述があるからでなく、ひどく印象に残って何度も読み返したものです。

デーケン先生は、自己紹介の際「私はアルフォンス・デーケンと言います。何もデーケン」とニヤッと仰って笑いを誘ったあの日を思い出します。

ギョギョギョ!

何という大きさでしょう!

駿河湾から南に400キロ沖、水深2091メートルの深海で、世界最大!と言う魚が発見されました。

テレビ画像で見るとなんとも大っきい!他の魚を威嚇してどかせてしまう大きさです!威厳があります・・!

発見された2メートル53センチ!のこのお魚「ヨコヅナイワシ」と言うそうな。
「デカい~!」

そう言えばいつか、さかなクンが番組でなんだこれは「ギョギョギョ!」と言ってたのがこれ!ですね。さかなクンがビックリなんですから、よほどのお魚なんでしょうね!

またこの時期に現れるはずのない、又海面近くに居ない「竜宮の使い」が現れたとのニュースも。自然界に異変が起きているとの指摘もあり、それは関係ない・・の意見と様々です。6月に40度の猛暑、7月に入りあちこちで大雨となっています。不思議なことが起こると、どうか大きな自然災害などが起こらぬようにと、祈りたくなります。

後悔のない・・

思ってもいなかった、とんでもない悲劇が起こった。
それから間もないある日お盆法要に向かう車中で、相変わらずの渋滞、忙しそうに足早に歩く人々、いけないと言われているのに運転しながら携帯いじってるドライバー。いつもの光景を見た。

何事もなかったかのように人や車が行き交い、巨大都市の東京は脈動している。道脇の百日紅のピンクも、ニュースを聞いてるはずなのに、いつもながら夏にふさわしく咲いている。咲き終えたむくげの花がポトンと落ちている。

新聞に「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」の一節を思うとあった。

友人から「一日一日後悔のないように過ごしたいと思う」というメールが来た。毎日毎日繰り返される戦争のニュースに、からだも震える今回の悲劇。さまざまおもう、忘れられない夏になった。

エレベーターで偶々出くわした小学生が、虫かごを持っていて中にまだ色の薄い、弱弱しいカマキリがいた。どちらからともなく声を発した時「このカマキリ6年生位と思います」と笑わせてくれた。

この子たちに幸あれと思ったこの夏のある日。 

目分量

・目分量と言うのは大したもんだなと思う。 宇多喜代子
  「厨に暮らす、語り継ぎたい台所の季語」より

若い頃、台所に立つと、ミシンをかけている母親に「お醤油ちょっと入れなさい」「はい、って言ったら火を止めなさい」と指示されたと、俳人は言う。食材をどう使い切るか、家族の誰に合わせて今日の味付けをするかなど、料理の手順と塩梅を背中で量りつつ。その上で匙加減と言うか、一定の可動域も残す。
なんと知的な作業。

この文を目にして、小さい頃の台所の映像が目に浮かぶと同時に、お醤油のにおいと湯気を思い出したから不思議です。

そう言えば話は違うけれど、もう20年くらい前のことですが、日野原先生の予防を提案するクリニックで、食事療法必要な患者さんにだったかな?「手ばかり」(食物を手に乗せてだいたいのg数を見当する)を教えていた場面に出くわしたことがあり、料理をする私でさえ、手のひらに乗せたトマトが何gってわかんないなぁ~と思ったものでした。

この記事読んで、目分量ってとても大事だと思うと同時に、感覚って日々研ぎ澄まされるものとも思いました。

新型たばこも吸っちゃダメ!

先日違う意味で?何かと話題だった、公益法人日本医師会ですが・・。
ワクチン記事の脇に「教えて!日医君!新型たばこも吸っちゃダメ!」と載っていました。

紙巻きたばこに比べて、健康への影響が少ないイメージのある新型たばこって、本当に安全?日医君がわかりやすく解説します。と言うものです。

「あなたのため、そばにいる人のため、禁煙は愛」
   https://www.med.or.jp/forest/kinen/

最近、急に40度近い暑さになったこともあるのでしょうか、外でマスクを外す人が増え、それに伴い路上喫煙が目立ってきたと買い物中に感じています。先日は細い道で、渋滞している車の脇をおそるおそるスーパー帰りに通ったら、プ~ンとタバコのにおい!車中で吸ってる方からでした。咲き誇った紫陽花の花を横目に、喘息気味の私にはとてもつらいものでした。喫煙者ご自身の健康も心配です。

ルバーブ

毎年アカパンサスの花が咲く頃、気になるのはルバーブ。赤いふきだから野菜になるのかなぁ~。近所にはないので毎年同じデパートに出向きます。
今年もあった!あった!ホッ。

いつも必ず買ってると、通りがかりの方から声かけられます。「何して食べるんですか?」私はジャムしか知らないし・・。だけども煮上がった鮮やかな色!とほのかな酸味が我が家は大好き。
昔はルバーブパイにしたけど、今は専らジャムとして、パンにつけたり、ヨーグルトやアイスクリームに添えたり。

ともかくこの色!今年もつくることが出来て感謝感謝。

堂々・・(謹んで再掲載致します)

MCを清塚信也さんが勤めるクラシックTV(Eテレ)は時々拝見しています。ある日の渡辺宙明さんとヒーロー音楽は、マジンガーZなどで知られる方だけに、期待を持って拝見しました。

なんと渡辺宙明さんは御年96歳の現役作曲家でらして、にこやかにお座りになってる風貌がなんともゆったりで、尚且つお答えがユーモアあふれて適切で、ビックリしました。

清塚さんがピアノを弾きつつ魅力に迫りました。その間、アニメ・特撮ファンにはたまらない音楽や映像がたっぷり流れました。

巨大ロボットの重さを出すのには、「ティンパニーとトロンボーン」だそうで、ヒーローの勇壮さにどこか悲哀が薫る「宙明節」の秘密は、「二六抜き短音階。普通の短調だと、悲しいけど二六抜きでやるとロックやジャズのようになるの」と作曲の秘密を明かされました。

「もうやることはやったし、ひと休みしようかな。こういっちゃあアレですけど・・」の後、96歳のレジェンドはこうおっしゃたのでした。ニコニコ顔でさりげなく「印税入って来るしね・・」。これには大爆笑で、MC清塚さんは思わず天を仰いだようです。約70年の作曲歴を誇る人でないとこうは仰れないでしょうし、何ともサラッとゆったり堂々の発言でらっしゃいました。

続けて、「チャンスあったら、一発いいのをかいてみたい」と。
ゆったり堂々と、チャーミングな96歳でした。

  ・クラシックTVでの、渡辺宙明さん96歳の軽やかなトークがとても素敵で、こちらに紹介させていただきましたが、28日朝刊に訃報を見て目を疑いました。90代に入っても創作意欲は健在だった・・とありました。軽快なジョークを仰って、嬉しそうに清塚さんとテンポの良い会話をなさって、楽しい時間をありがとうございました。謹んでお悔やみ申し上げます。

「させていただく」(街のB級言葉図鑑)

「○○させて頂く」という言い方は、人によって好みがわかれますが、何かと役立ちますという記事です。

原宿の洋服店にこんな注意書きがありました。
「キャップの付いていないドリンクや食べ物の持ち込みはお断りしています。見かけたらお声をかけさせていただきます」食べ歩きをする客への警告です。

「見つけたら注意します」と言う意味を、「お声をかけさせていただきます」と婉曲に表現しています。角の立たない、うまい表現です(「お声」は単に「声」の方がいいかも)

「○○させて頂く」はへりくだった気持ちを表す一方、断固として迷わない感じもあります、注意書きに使うと、謙虚さと威厳を備えた微妙な表現になります。

注意や警告などの内容を伝える文章はきつくなりがちです。そこに、あえてへりくだった表現を使うことで、「従わないとまずい」と相手に思わせる効果が出るのです。

へりくだっても威厳ありですね。

素にもどれる「裏」を大切に

作詞家・精神科医・白鴎大学長の きたやまおさむさんの「わたし流」です。本名は北山修、1965年フォーク・クルセダーズ参加、「戦争を知らない子供たち」等を作詞。この世代の方には懐かしいお名前です。

そのバンド・フォーク・クルセダーズの時、京都府立医科大の医学部一年生だったそう。2年後、解散記念で製作したレコード「帰ってきたヨッパライ」が300万枚売れてデビュー。医大を休学しコンサート活動していたが、ひどい忙しさの上、観衆やマスメディアの要求にこたえる日々が苦痛になり、これ以上続けると逃げ場がなくなると感じて、1年で医学部に戻ったそうです。

音楽に熱中し、休学してデビューもしたけれど、合わないと悩んだとき、ご自分には帰る場所があった。「放り出した」「ずるい」などいろいろ言われたが、表舞台を下りても受け入れてくれる人たちが居た。実にありがたかったと。

「裏」は大事です。「楽屋」と言ってもいいのだが、すべて表だと人は辛くなります。外に向けた顔から素顔の自分に戻り、自分を保つ場所が誰しも必要。それが自分にとっては大学だったと。不特定多数とやり取りする表ではひらがなの名前を使い、裏で漢字の表記を用いるのも根っこは同じだそうです。

京都から札幌医大に移り、心療内科・精神科の道を歩み、同時に作詞や音楽活動も続けてらっしゃるようです。「あれもこれも」って悪いイメージだけど2足のわらじ、「あれとか、これとか」でいい、潔く生きないのがポリシーだとも。

人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、虚しさを抱える。だから、学生には遊びや余裕を大事にと伝えます。試行錯誤するモラトリウムの時間も必要でしょう、学長としては授業に来なくてもいいとは言えませんが・・と結んでいます。近著は「ハブられても生き残るための深層心理学」だそうです。

                  新聞記事「進路 わたし流」より

完璧すぎるとつまらない

NHK・Eテレの「ピタゴラスイッチ」が20周年を迎えたそうです。「だんご3兄弟」で知られたクリエーターの佐藤雅彦さんが慶応大学教授だった当時、研究室のメンバーと作ったアニメーションなどが源流です。

一つは先ずは全体を貫く規格を立て、その設計に合わせてつくっていくパターン。もう一つは、様々なものを手で動かしながら、本来と違う使い方の、面白い動きを発見し、それをつなげて装置にするパターンだそうです。

前者の場合、設計の段階で、物理の基本は踏まえておいて、具体的な距離は試しながら決めていくそうです。平均して、30テイクぐらいは撮り直すとか。精度よく作りこむとつまらくなるからと。10年ほど前に、みんなが装置作りを「うまくなり過ぎた」時期があり面白くなかった・・反省のようです。

重たい球を速く動かすと成功率は高まるが、軽い球がふらつきながらも無事ゴールするからこそ、グッとくるんですよね。だから最初から完璧を狙いすぎずにやってます・・と。

ピタゴラスイッチをつくる上で大事にしてる価値観は、世の中や、普通の生活の中に潜んでいる様々な「考え方」を伝えることを目指しているんだそうです。何かが「わかった!」と言う瞬間に私たちが感じる気持ちよさや充実感を、子ども達にも映像通して感じて欲しいと言っておられます。

商品化の誘いもあるが、「家にあるもので作るのが面白いと思うんです」を理由にお断りしてるとか、例えば本を立てると、それだけで球が転がるレールになります。視点を変えて、本に新しい役割を再発見する。予想と現実は違う。それに気がついて想像力の解像度を上げていくのがおもしろいんです。

そうおっしゃる番組作りに携わる方の意図に、今日もぴったしハマって!「ああじゃない、こうじゃない・・、じゃ~んけんぽん!パーだ、ヤッタァ!」といつもハラハラドキドキの我が家です。短い時間ですがいい歳の大人も夢中!
ずっと続けて欲しい番組です。

 

アンパンマン

ビックリするほど、子ども達はアンパンマンが大好きだ。未だ片言しか話せない幼児も、目をきらきらとさせながら食い入るようにあの顔を見つめる。やなせたかしさんが生んだ優しいヒーローは、世代を超えて人々に愛され続けている。

砂漠の真ん中で倒れていた旅人や、森で迷った子供に、自分の顔を食べさせる。顔が全部なくなったアンパンマンは、パン作りのおじさんに新しい顔をつくってもらい、再び「おなかのすいたひと」を助けるために空に飛び立つ。

やなせさん生前のインタビューによると、出版直後の反響は芳しくなく「顔を食べさせるなんて残酷だ」「図書館に置くべきではない」と批判され、出版社からも「こんな絵本はもう描かないで下さい」と言われたという。

それでも、子ども達の間でじわじわと支持され、88年のアニメ放送をきっかけに一気に全国の人気者になった。作家として売れる売れないにかかわらず、「どうしてもアンパンマンに託したメッセージを世に残したいとと言う強いメッセージを感じる」とアンパンマンミュージアムの事務局長は言う。

アンパンマンは弱点の多いヒーローだとも言う。顔が欠けたり、水にぬれたりするとすぐに力が出なくなってしまう。「完全無欠ではない存在が、大それた正義でなく、困っている人に手を差し伸べ、分け与えるという身近な正義を実行している。そんな部分が、人々の共感を呼ぶのではないか」とも言っておられる。

漫画家の里中満智子さんは、
やなせさんは何でも本気の人。「子どもだから、こういう表現をしないとわからないだろう」と言う遠慮は一切なくて、作詞した「アンパンマンのマーチ」も「なんのために生まれて なにをして生きるのか」って、すごい歌詞ですよね。むしろ子供が相手だからこそ、ちゃんとしたことを伝えなきゃという思いはいつも感じましたと。

「グロテスクだ」という批判もあったそうですが、やなせさんはめげずに描き続けた。飢えがどんなに辛いか、戦中に自身が体験したからこそ、目の前で飢えている人がいたならば、顔を分け与えるのは当たり前の行為なんだと、信念をもっていらしたと。

アンパンマンは戦いもするが、「分け与える」ことが主になっていると思う。東日本大震災の時、アンパンマンのポスターを、どこでどう使ってもいいからと提供なさって、被災地では「アンパンマンのマーチ」が流れると、子ども達がみんな歌うのを見て、大変な状況の中でも、みんなが助け合い分かち合う。あの時、歌詞の意味を改めて考えさせられました、「分かち合う」ことは、人と人とのつながりの基本と、里中さんはおっしゃっておられます。

不変な人気の、アンパンマンの魅力を垣間見た良い記事に出会い、時代を超えて大切なことは何も変わらないと思うと同時に、子ども達の目はちゃんと見ている、心はちゃんと感じてると、そのことを、周りに居る我々が大事にしなければと思ったことでした。

違う(どこからか言葉が 谷川俊太郎)

違う

小さな
水色の

小さな黄色の
花が
春先の庭の
雑草の緑の中に
点々と
咲いている

去年の春も咲いていたのだろうが
目をとめなかった
今もそれを
じっくり観察はしない
もう小学生ではないのだから

ウクライナと呼ばれる地方にも
きっと小さな花は咲いている
それに目をとめる心と体のゆとりは
誰にもないとしても

巨大で複雑に絡み合う世界に
私たちは圧倒されているが
そのほとんどを言語と映像で知っているに過ぎない
私の目の前で咲いている小さな花は
違う

スマートな社会の果て (小さな新聞記事より・・)

ある日の新聞記事が目に留まりました。(荒井裕樹の生きていく言葉より)

某地のホスピスを訪ねた時のこと。単線電車に延々揺られて目的の駅に着いた。私の前には降車に難儀する高齢の男性がいた。片足が不自由なようで心配になり、降り切れるまでドア付近で待つことにした。

次の瞬間、男性は私をにらんで叫んだ。「なんでそんな意地悪するんだ!」
ぽかんとする私に怒声は続いた。「別のドアから降りればいいだろう!」

どうやら降車に手間取る高齢者に対し、私が「さっさと降りろ」と圧をかけているように受け止められたようだった。

その場では「なんだか気難しい人だな」としか思わなかったが、帰りの電車でふと気づいた。身体の不自由な人は日常的にこうした圧に晒されているのだと。

世間には「スムーズでない人」へ圧が溢れている。電車で人身事故が起きれば、SNS上には「電車をとめた人」への誹謗中傷が飛び交う。かく言う私も、改札やレジで手間取る人をじれったく思うことがある。

こうした苛立ちの底には「社会は円滑であらねばならぬ」と言う義務感があるように思う。この感覚が「私も効率よく動かねばならぬ」という焦燥感となり、「私を滞らせる者」へのいらだちとなるのだろう。

近年あちこちで「スマートさ」が賞揚される。だが、今以上にスマートを追求した社会は「歩調を合わせられない人」にとって超高圧な社会になるだろう。
         (障害者文化論研究者・荒井裕樹の生きていく言葉より)

みなづき

この「みなづき」と言う和菓子。我が家の初夏の定番です。

下がういろうで小豆がのっただけじゃないか?と思われますがとても美味しいのです。スタンダードは下が白いういろうみたいですが、我が家はこの黒糖味が好き。6月中旬にはお茶のういろう版もいっとき出るので毎年楽しみです。

ところで「水無月」は水の無い月ではなく、陰暦では水の月、田んぼに水を引く必要のある月。即ち「無」は「の」を意味する連体助詞の「な」なのであるとお客様に教えて頂きました、ありがとうございました、と添えられた栞を読みながら、ほんわかした気持ちで、みどりの田んぼを思い描きながら、今年も頂きます。

 

お茶を入れる

新茶の季節になりました。
きれいな色と香りに、一瞬でゆったりした空気感にひたれます・・。
10年くらい前の新聞記事だったかと記憶している、その時も結構驚いたので覚えていますし、先日もまたどなたかが仰っていて思い出したお茶の話です。

と言うのは(その10年位前の記事によれば)、ある講演者が小学校?でお話をしたとき、「お茶って自分の家で作れるんですか?」と聞かれたと。「はい」とその演者が答えると「私のお母さんがお茶を作ってるところ、見たことがない。いつもペットボトルのお茶を飲んできた」と。彼女はどうやら、お茶を「いれる」と言う言い方も知らないらしい・・と言うものでした。

その頃、期せずして料理教室の先生に急須を「これはなんですか?」と聞く受講生が居たと聞いた覚えもありました。また、高校の家庭科授業で、急須を直接火にかけようとする生徒もいた!と言う話もその頃聞いて驚いた記憶もありました。

茶畑の多い埼玉だから、五月の新茶の季節になって、新聞の埼玉版には茶どころの話題が満載。しかしよくよく読むと、お茶人気が低迷しているので、紅茶にチャレンジとか、スイーツと手を組みお茶がもっと親しみやすく広まるように・・とか。それはそれでいいとしても、お茶そのものの魅力、文化や歴史をまとう「お茶」の本来の美味しさと魅力を伝えてからじゃないのかなぁ・・と思うのですが、今の時代に合わないのでしょうか・・。

高級茶でなくとも丁寧に入れたお茶には、心和むものがあります。
器や急須を温めてちょっとした時間を置く。その一瞬のことだけでも、フ~ッと落ち着き、いただくお茶がよりおいしく香りよく感じるものです。

とは言うものの、私もティーバッグのお茶も使うし、ペットボトルのお茶も便利に使うことの多い今日この頃。
そんな日々だからこそ、急須で、土瓶で「入れる」お茶はなんとも美味しい。

そう言えばしばらく「茶柱が立つ」なんてこと言ってないなぁ~。それに今まさに新茶の季節を迎え、きれいな色と香りを楽しむ頃。食後のほうじ茶の香ばしさもいいですよね。

最近マイボトルで飲み物持参する方も多いと言われていて、一時はマイボトルを持ってくとお茶屋さんが、入れたての香り高いお茶を分けてくれるサービスを聞いた覚えがあります。でもコロナ禍で出勤も減って、お茶屋さんも少ないし・・で。

お茶だけでなく、コンビニエンスと引き換えに忘れそうなものってありますね。でも「お茶はいれる」と伝えたい。「茶葉」はつくるだけれど・・。そんなことどうでもいいのかなぁ~。なんだかなぁ~。

恐竜研究が新しいステージに入る!?

先日、恐竜ものどの痛み・・云々ご紹介しました。
又プロフェッショナルで見て、北大に小林先生と仰る、素晴らしい恐竜研究のパイオニアがいらっしゃることもしりました。

そうしたら今度は、岡山大学にも、恐竜研究の素晴らしい先生方がいらして、何と恐竜は生ものである!等と楽しそうに仰っておられるのです。
恐竜とは過去に生きていた生物で形しかわからなかった、化石(骨)ととらえられていたが、生物学的な恐竜学として、化石研究が新しいステージに入った!と言うのです。

その根拠は、岡山大学の先生が、恐竜の骨からコラーゲン(タンパク質)を発見されたというのですから・・。モンゴルの化石からと仰っていました。

恐竜は化石(骨)とでしか思っておらず、形しかわからなかったのが、過去に生きていた「生物学的な恐竜」として研究が発展していくようです。

形しかわからなかった恐竜の骨からコラーゲンのバンドが出て、タンパク質が発見されたのですから大変な発見です。タンパク質(アミノ酸)の配列を他の動物と比較したら、マッチする動物は一つもなかったそうです。そして未知のタンパク質が数百も出てきた由。何と言っても一億年経っているのですから・・。想像以上に特別なたんぱく質・・のようです。

恐竜研究と生物学が共同研究すれば大きなパラダイムシフトになり、化石の研究が新しいステージに入ると、岡山大の先生方は目を輝かせていました。

単なる興味本位でしかない私ですが、小学生から、この化石の分野に興味を持つ子供たちが増えていると聞き、なんだかとても楽しみで嬉しい気持ちになりました。ロマンがありますね。

風流のちがい・・

風流と言う言葉。

あまり普段使わないけれど、日本では高揚した美意識の一つと言われています。万葉集では「みやび」とよんで、今でも上品、優雅と言った認識だと思います。

ところがところが・・。
先日クイズのような番組だったでしょうか?お国によっては全く違う意味ですよ!と言ってたので「うん?」と不思議に思って聞けば、中国では「風流」と言えば、→チャラい・好色・・と上品とはま反対の意味で使われると・・。
聞いてみないとわからないことばかりですねぇ。

今季のオリンピック見て、国によって細かに違うことは多々あれど、一生懸命ひたむきに競技に向かう人たちに、心揺さぶられるのは世界共通かもと思ったことでしたが、この、言葉の意味の違い、知らないで使うとえらいことですね。

恐竜も のどの痛み・せき・発熱?

米国で発掘された約一億5千万年前(ジュラ紀)の草食恐竜の化石から、呼吸器感染症にかかっていた跡とみられる首の骨の異常が見つかった。恐竜も人間と同じように、喉の痛みやせき、発熱に苦しんだのかもしれない。米国などの研究チームが科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。

恐竜の化石は、米モンタナ州の地層から出土。研究チームによると、首が長く四つ足の竜脚類の仲間で「ドリー」という愛称で呼ばれていた。

ドリーの首の骨を調べたところ、変わった突起を見つけた。異常に変形した骨でできており、感染症が原因で生じたと考えられた。

骨の突起は、空気が通る「気嚢」と言う器官が、骨の中に入り込む部分の近くに出来ていた。先ず気嚢に病原体が感染し、その後、首の骨まで広がったとみられる。

気嚢は恐竜のほか鳥類にもある。研究チームは、鳥類の病気「気嚢炎」のように、感染した恐竜にもせきや発熱、呼吸困難などの症状が死因になった可能性もある、と指摘している。今回のような感染症は、骨から推測するのは難しい。研究チームには、古生物学者のほか解剖医も参加し、医療用のCT検査装置も駆使して詳しく調べたという。

恐竜化石に詳しい岡山大学の林昭次講師は「CT撮影など最新技術を用いることで、化石の表面だけでなく、内部も観察できるようになり、更に古生物学者が医学系研究者と連携することで、多くの新知見を得ることができるようになった」と話している。

先日プロフェッショナルで、日本人の化石発掘のエキスパートで世界中に有名な小林先生が紹介されていた。世界中の岩場や険しい山をいとも軽々と探し回って、それこそ遠くからでも「これは!」と小さな化石を見つけ出す姿に、ビックリもし感動した。日本でもこの学者の姿を追う若者が増えていると聞き、ロマンな世界だなぁ~と思うと同時に、このような地味な分野を研究する方々を応援する仕組みを心から願う日であった・・。

「コツに頼らないこと」

コツに頼らないこと、いつも白紙に戻すことが、大事だとおもっている。

                         松本隆

折々のことばに松本隆さんの言葉を見つけ、ハッとしました。
続けてこうあります・・。

詞を書く時に「コツで書かない」ようにしていると、作詞家は言う。「こうやったら売れる」という体で憶えた方法論に頼らず、むしろそれをつねに外してゆくこと。不安ではあるが、そうしないと、今人々に足りないもの、つまり時代の「ひび割れ」が見えず、だからその向こうも見えずに終わってしまうと。”松本隆のことばの力”(インタビュー・編・藤田久美子)から。

あれほどの作詞家が・・。フーッとため息つきながら、医療も何もそうだなぁ~と、深くふかく思い感じいったことでした。

 

やさしいチョコ 痛くない口溶け(再掲載いたします)

・二月末掲載させて頂きましたら、GW中にテレビで放映されました。「表皮水疱症」のお子さんがご家族と共に取材に応じられ、日常の困難さを初めて知りました。このチョコレートを開発した、現北海道大学医学部6年生の中村恒星さん「表皮水疱症は少数かもしれない(全国で約200人)でも光を当ててあげたい」の元気な言葉がなんとも頼もしい番組でした。

”以下2月末掲載記事です”
副題が→口があれる難病患者のため医学部生開発 と新聞にあり興味深々。   

口内が荒れ、食事で痛みを伴うことが多い皮膚の難病「表皮水疱症」の患者さんが少しでも栄養がとれるようにと、北海道大学医学部5年の中村恒星さん(26)が「世界一やさしいチョコレート andew(アンジュ)」を開発した。製造販売会社「SpinLife」も立ち上げ、これまでに1万枚以上も売り上げている。

富山大薬学部を経て、編入学した北大医学部で外科医を目指している中村さんは3年前、強烈な痛みを伴う「表皮水疱症」の事をしり、ボランティアで患者会の運営を手伝うようになった。

生まれつき皮膚がボロボロとめくれ、こすれると水ぶくれができる難病で、口内も例外でなく、患者の一人から「ポテトチップスを食べると、とげがついてる板を食べてるくらい痛い」と言う話を聞き、「食べ物が制限される患者が美味しく栄養を取れる方法はないか」と考えたという。

富山大での治療薬の研究中、患者が何に困っているのかわからず悩んだ経験があり、実験に疲れて目の前のチョコレートを食べようとしてひらめいたらしい。
医学部で臓器移植や脳腫瘍などの研究する一方、2020年1月「世界一やさしいチョコレート」を製造販売する会社を設立。専属のショコラティエとパティシエを雇ったそうです、

この難病は、皮膚の痛み以上につらいのが食道の粘膜が挟まり、食事が飲み込みにくくなる症状だそうで、子どもの場合、栄養をうまく接種できず、低身長や低体重になり、進学や就職に影響することもしばしばあるとのこと。

友の会代表理事は、「口内にも水疱が出来、かむ力も弱く、栄養を口からとるのが苦痛になる。このチョコレートは小腹が空いたときに最適で、コンビニ栄養食の理想形」と話しています。

「表皮症」の患者さんは、全国に約2000人いるとされ、中村さんは、栄養食として将来、保険適用も視野に入れ「数的マイノリティ―の人が理解される仕組みを作りたかった、病気の人も病気でない人も食べて欲しい」と。

頼もしい、想像力と行動力に満ちた青年の快挙に拍手しました。
チョコレートは嗜好品ではありますが、このチョコは白砂糖・保存料・乳化剤・香料を使わず、植物性の原材料のみなのでタンパク質・ミネラル・ビタミンなどの栄養素をバランスよく摂取できる完全栄養食との評価で、テンパリングの温度管理に注意して仕上げているので、満足な口どけが実現したそうです。

私も試食してみたくなりました。

さて、仕事柄、このような患者さんのお口のケアは、どのようになされているのか、ご不自由さを想像しながら、伺ってみたいとも思いました。お手入れに使うものなども、患者さんの状況にあったものの開発が望まれます。中村さん言うように「数的マイノリティー」だからこそです。この新聞記事が多くの方の目に止まれば、きっとご縁が繋がるはず。そうなるといいですね。

このコーナーによく書かせていただく、番組バリバラを最近はよく見るので、自分の知らないところで、数多くのご不自由を「しかたない事」とあきらめ、我慢している人がいかに多いかをこの歳になって初めて知ります。何もできなくとも「知って、想像し思いを寄せて、伝え共感する」ことで、どこかで誰かとつながるのではないでしょうか?最近はそう思うことが多くなりました。

一粒の種も、誰かが水をやり、育てれば花は咲きますよね。
そう信じています。

マスクでドライアイ!?

マスク生活も長くなりました。しかしながら、マスク効果も評価されていますから、一概に今外す気にはとてもなりません。皆様はいかがですか?

マスクをしている弊害は、口にばかり注目してましたら、眼科の先生が、「実はマスクドライアイ」が起こってますよと健康番組で。

マスクの隙間から出た息が、目に直接当たるんだそうで、この風により角膜表面の涙液が飛んで→ドライアイになりがちと。(東邦大学医学部眼科・堀先生)

今マスクは必須なので、何とかマスクしながら目を守って下さいと言っておられました。コロナ禍での精神的なストレスも、大きいとのこと。

又もっと深刻なのは、仕事の仕方が変わってディスプレイ、スマホなどを注視する時間が長くなった事!
・意識して瞬きをする
・眼を休める習慣をつける
・ディスプレイより視線を下げて見る
・空調が目に直接当たらないようにする

・入浴とストレッチも大事
・点眼薬もいいが頼らずに、あまりに不自由なら受診くださいとのことでした。

口の渇き、口喝が言われるのかと思いきや、目の渇きも・・とは。気づかぬうちに乾いてるんですね。

 

チャイティーヨーパゴダ/ミャンマー

ビックリ仰天の切り抜きが見つかりました。
あらためてビックリ! ついていた文も一緒にお伝えします。

山の伝承・作家 リービ英雄
あの山は、誰かに連れられて登る山である。
あるいは自分で登るとき、誰かからその山の話しをよく聞いた上で、頂上に向うのだ。あの山は、とにかく、たった一人で登れる、とか、ひとりで征服するのだと思いこんで登れるような山ではない。
・・・・中略。

あの山に登ろうと思えば、 まずは他人の説明を聞き、他人の解釈を読み、自分の頭の中で翻訳しなければならない。
他人のことばに身をまかせながら登るあの山の、頂上にあるめずらしい風景についても、自分がそこまで登りつめたから理解する権利がある、と思ってはいけない。あの山は、謙虚な気持ちになってはじめて登れるのである。

切り抜きせざるを得ないほど衝撃うけた記事。月間の雑誌で始めて拝見し、大勢の僧侶と目をむく岩の姿に、今改めて度肝を抜かれる。何年経ってもこの切り抜きの画像を見ると、心静かに敬虔な気持ちにさせられる。

再びIVY・石津謙介さん

青山三丁目角に、かつてあったVAN!
一世を風靡した石津謙介さんのVANジャケットです。今再び人気がじわじわ・・だそうで、本も売れているのだそうです。

当時はこのアイビールックに身を固め、洒落た紙袋を小脇に抱えて、みんな歩いていました。若々しくて清潔で、カッコ良かったです。

再び人気!?と聞いてなんだか嬉しい。石津謙介さんって、ご自分の考えがハッキリしてらして、それはファッションだけでなく、すべからく筋が通っていたと思います。

一度何かの本で、「いかなごのくぎ煮」を推薦してらして、今まで見た”いかなご”とは見た目が違うので取り寄せてみたら、見た目もさることながら、その美味しさにビックリ!以降くぎ煮はここに限る!と確信、感謝したい気持ちでしたら、石津さんは岡山ご出身でした。

食べること含め、生活そのもの、発言もファッションの一部なんですね。今こう言う方おられるでしょうか・・。懐かしい思い出ですが、今また若い人の目が向いてると言うニュースに素敵なことだなぁと感じます。

 

 

 

 

 

頭の体操

この物体が通り抜ける形はどんな?でしょう。
頭が柔らかくなりますね。 大好きピタゴラスイッチより。

 

ミルポア

ソフリットとも言います。先日銀座のイタリアン・ベットラの落合さんも紹介されていました。

セロリ・人参・玉ねぎをひたすら30分くらい炒めただけで、味も何もつけてませんが、そのままトーストにのせても、付け合わせにしても、煮込み料理にも使えます。今回手を抜いて、ニンジンがちょっと大きめでしたがドンマイです・・。

野菜の甘みをじっくり感じて、思いのほか量も食べられ、ホッとする味です。
バターで炒める方もありますが、私はお気に入りのオリーブオイルで。

セロリが大株で、新鮮で安い時に作ります。
ちなみにセロリの葉は、サッとゆでてから刻んで絞り、ちりめんじゃこか、桜えびと炒め合わせ、ご飯のお供(ふりかけ)を作ります。

ミルポアは炒める手間はかかりますが、炒めてるときに変わるいいにおい、色の変化、音!その時間も楽しいです。お試し下さい。

シルバー川柳(選抜7選・・)

  むせび泣く
  ことはないけど
  むせて泣く

  30回
  噛んだらあごが
  疲れ果て

  さっきとは
  3日前だと
  気がつかず

  歯磨きを
  いやがる孫に
  入れ歯見せ

  百歳の
  患者に秘訣
  聞く主治医

  IPAD
  指舐めスライド
  孫怒る

  寝坊して
  雨戸開けば
  人だかり

オーラルフレイル

最近とみに言われる、”口から始まる心身の衰え”
先日、平野浩彦先生(健康長寿医療センター)が丁寧に説明しておられました。

口の機能が落ちる(オーラルフレイル)→柔らかいものばかり食べる→さらに機能が落ちる→食欲落ちる→栄養偏り体力も落ちる→誤嚥性肺炎起こしやすくなる

まさに階段を転げ落ちるがごとくですね!
オーラルフレイルになると要介護は2・4倍、死亡率は2・1倍だそうです。

昔は歳とれば歯は失って当たり前・・でしたが、1989年8020運動が始まり(この当時80歳で20本の歯が残ってる人はたった10%)、歯科でも予防が言われるようになり2016年には8020は50%にまで上がったそうです。みんな頑張りましたね!(歯科の現状は海外から見たらまだまだ・・)

しかしながら、歯が残ってみると「残った歯がある口を如何に使うか」が重要になってきたそうです。それはそうですよね・・。なので、歯科の専門以外の人を如何に巻き込んで、いかに支援していくか!が重要となってきたと平野先生。
納得です。

・ある例として、香川県まんのう町ことなみ地区(高齢化率50%)の木村歯科医が発案した、バス買い物ツアーが、地元の高齢者の健康アップ・お口の健康アップに大きな成果を上げていると紹介されました。これには地元スーパー・管理栄養士・歯科衛生士など参加し、口の事だからと歯科だけでなく、その他の専門家たちが「生活の場」に出て行って取り組む様子が紹介されました。参加した高齢者は「楽しい、又来たい」と満面の笑み、気持ちが上がりますよね。すばらしいご活動です。

・又、毎日の生活の場でもっと気楽に「口」を使ってみること

・究極の口腔トレーニング
 特に、「うがい」は誰でもやれるが、なめられませんよ!と平野先生。

そう言えば、コロナになる前から当院では「うがい・手洗いをして頂く」ことが診療前の準備でしたが、「ガラガラガラ!」と洗面所から大きな音だけ方・・。使用後、洗面所をビチャビチャにする方など・・いろんな方いらっしゃいました。こう言う方々は概して、肝心な歯ブラシは結構大雑把!

平野先生は「うがいは、されど”うがい”」で口まわりのトレーニングンに最適と

・「ブクブク」は→お顔をよく動かして、しっかりブクブク

・「ガラガラ」は→のどを開いて、絶妙に息整えて 

要はこのしっかりした口腔トレーニングが、究極のオーラルフレイル対策ですと
そして「口を如何に楽しく使うか・・」ですよと加えられました。

確かに、何でもやらなければ老いるのみ。パタカラ体操も、大声出すことも、先日案内した「若隆景」を連呼することも、やらなければそれまで。できなくともちょっとでも続けていると、出来るようになるから不思議です。

人生最後まで「食べる楽しみ」は持っていたいですね。
だからこそ、大した時間もいらないので、口を動かしのどをよく開く小さな口腔トレーニングを心がけて、美味しくいただける日々を大事にしましょう。

パッション

若い頃買った栞(今はしおりなんていわないかな?)。
ブルーもマティスらしくて思わず買った栞。あの若い頃のパッションは無くとも、好奇心持って、面白がって生きていたいと思うけれど。けれどけれどで何もしないのは、ダメですね。

日野原先生99才の折、聖路加の理事長室でお目にかかる機会を頂いた折、前の週ヨーロパにご旅行だったそうで、黒海で泳がれたと!「黒海ですからね、どのくらい浮くのかと確かめたかったの」とさりげなく仰ってビックリ。さぞや周りが大騒ぎして大変であっただろう・・と驚く私達を笑うように、明日は野球チームに行ってやらないと、と軽々と仰る日野原先生でした。

「いくつになっても新しいことを創めなさい」と。

その随分前から「新老人の会」を作られ、お楽しみの会かと思いきや、平均寿命が上がるのに高齢者の健康が若い方の平均データと比較して評価されるのはおかしい!だから70以上の新老人に集まって貰い、楽しい時間を過ごしながらからだの健康データを採りたい!が会発足の真意でした。
そう言えば「医療はサイエンスとアートをどう案配するか」を説いた方でした。

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幸せって何だろう(再掲載いたします)

幸せになりたい、と思って生きてきた。今も幸せになりたい、とおもっている。しかし、さて、幸せって何だっけ?私が口に出して「しあわせ」と言ったのはいつだったか?二日前だ。意外と近い。
友達が遊びに来て、乾杯して美味しいもの食べて「しあわせ~」と言っていた。そう。私が実際、口に出して「しあわせ~」と言うのはお風呂上がりのビールだったり、友達と乾杯して美味しいもの食べた時である。

なんだ。わりと、ささやか。
たとえば、長年かけたプロジェクトが決まった時。「しあわせ~」と叫ぶ人がいるだろうか?「やったー!」とガッツポーズはするかもしれない…また少し違った気分だったと記憶する。

みな幸せになるために生きていると思うのだが(これにあまり異論はなかろう)さて、しあわせを感じる時と言うのは、美味しものを食べた時とか、機嫌のいい日にふわりといい風が吹いた瞬間とか、そんなものではないだろうか?「しあわせ」と言う言葉に大仰な意味を持たせ過ぎでは?幸せの呪縛・・。

もしかして、しあわせは目指すものではないんじゃないか、と言う気がしてくる。何とか日々を生きていれば、それなりに人生を拗ねずに真摯に生きていれば、自然にくっついてくるのではないか?おまけみたいに。

しあわせの瞬間は、いつもささやかだ。客観的に見たら大変な時にだってそれは来る。お腹の病気で三か月入院して二カ月半絶食をしていて、やっと許可が下りてほうじ茶を飲んだ時、本当に美味しいと思った。あれは、しあわせな瞬間だった。退院して帰って来ると、眠っている寝室に、リビングから夫と娘の笑い声がもれ聞こえて来た。今、しあわせだと思った。

しあわせの確約は出来ない。しあわせになるために生きる、とはどういうことだろう、と考えてしまう。

しかし、自分なりに真面目に人生を生きようとする人には、きっとしあわせは、ひょいっと顔をのぞかせるのだと思う。どんな人にでも。
                   あるエッセイより   北川悦吏子

今起きている戦争で、人々のささやかなしあわせ、かけがえのないしあわせが見るも無残に壊されている。じっと言葉少なに見つめる、小さな子供たちの純粋な目は何をどう見ているのだろう・・。

 

                          

抗菌薬に気をつけて

最近また言われ始めていることですが、以前は有効だった抗菌薬(抗生物質)が効かない「薬剤耐性菌」によって、2019年に世界で127万人が死亡した、そんな推計を米ワシントン大などの国際グループが発表し、この耐性菌による死者は50年に年1千万人になるとの推測は、想定より速くその数字に近づいていると警鐘ならしているそうです。薬剤耐性の問題に取り組む国立国際医療研究センター病院AMRリファレンスセンターの都築慎也医長は、この世界規模の分析の存在感は大きいと評価しています。

細菌は、抗菌薬に対抗する遺伝子を別の種類の細菌からもらったり、じぶんの遺伝子が変化したりして、耐性菌になります。抗菌薬を乱用するほどこうした機会は増えます。耐性菌を減らすには、必要のない時に、抗菌薬を使わないことが重要です。

特に大きな問題は、かぜの人に出される抗菌薬で、風邪の原因はウイルスだから抗菌薬は効かないうえ、下痢や嘔吐と言った副作用が起きることもあります。前記のAMRリファレンスセンターのグループ調査によると、2012年4月から17年6月、かぜやのどの痛み、鼻づまりなどの急性気道感染症で外来受診した3割に、抗菌薬が出されていました。過去の調査よりは減りつつありますが、改善の余地はまだ大きい実情のようです。AMRの都築さんは、「かぜに抗菌薬は効かないといった感染症に対する知識を深めることが、対策の推進につながる」と話しています。

一方、医師が必要があると判断して抗菌薬を処方した場合は、よく話をきいて、自分で薬の量を増減したりしない様にとも注意を促しています。すべからく医療者と患者さんの「十分なコミュニケーション」が望まれます。

また余った薬をほかの人にあげたりするのも禁物です。注意深く使い、乱用は避けましょう。不安な時は、薬局の薬剤師さんなども気軽に相談にのってくれます。最近ポリファーマシー(多剤投与)も問題になっていますので、身近に相談できる薬剤師さんを探しておくことも、いざと言う時とても助かります。

枯山水の庭

実相院と言うお寺の庭をつくった方の話を聞きました。庭をデザインし作る方は作庭家と言うそうです。枯山水なのに、今まで見たものとは異なりました。丁度作庭の時、11年前の震災の時で「水・海」をデザインすることに躊躇いがあったとのお話しで始まりました。

そこで置く予定の石(岩)に聞くことにしようと試みたそうです。「あなたの魅力をどうやったら伝えられますか?」と。庭をつくると言っても、時代を映し心を伝えたいと思われたそうです。そうしていると「ここだよ・・」石の声と気づきがありましたとおっしゃいました。

石(岩)が教えてくれたので、自然の尊さを伝えるべく、一般の多くの方に苔を植える作業に参加いただき、苔はでこぼこだけれど、人が関わることで、四季のある日本ならではの庭が出来ましたと、穏やかな笑みを浮かべながらのお話しでした。

このような過程を経てつくられた庭ですから、ただ心静かに見ているだけで、自然と想像力を刺激され、おもいを馳せるようになるのかもしれません。
とても豊かで、ステキなお庭とお話しでした。