宅配便

みんな生き残んのに必死なんや。
数の問題ちゃうぞ。一個一個が切実なんや。
              宅配便のベテラン社員

シングルマザーの新米宅配員は、大量の荷物を時間内に配達したいのに、クレームが挟まり、ふて腐れる。なぜ荷物が増えているか分かるかと先輩に問われ、コロナのせいだと答えるとこう怒鳴られた。
待つ人も届ける人もとっくに腹を括っている。括れていないのは自分だけだと、己の甘さを知る。NHKテレビのドラマ「あなたのブツが、ここに」
                                        (脚本・櫻井剛、第8回)から

このドラマ、途中から何気に見ることになった。テンポの速い展開に引きつられているうちに、「そっかぁ~」と思ったり「そうだよね」だったり、「そんなに大変なんだ・・」。
よく来て下さる宅配の方に、丁寧に「ご苦労様、ありがとう」、いつも言ってるつもりだけども、より心込めて言わなきゃ!と思った次第。何でもそうだろうけれど、すごい世界なのだと知った。
偶々見ることになったが、いい勉強をさせて頂いている。

折々のことばより 斎藤陽道

    人には、手のひら全部で指をさすんだよ
    物には、人差し指でさすんだよ
                        斎藤陽道

写真家夫妻が最近困っているのは、3歳の長男がどんな対象も親指を立てて指さすこと。
人を責めたり詰ったり、何か「ネガティブな気持ち」になった時に使うオマエ・コイツみたいで、これはすぐに直しておこうと相談する。で、その使い分けを丁寧に説いた。心はとっても細やかなもの。その機微を体ごと知ってほしくて。
              

          漫画でつづる子育て日記「せかいはことば」から。

余計なこと  (林真理子さんのコラムより)

この度日大のトップに決まった作家・林真理子さん。
大人気の作家であるが、ある女性月刊誌にコラムを持ってらして、「痛快だなぁ~、いいことおっしゃるなぁ」と読むチャンスあるたび思っていました。

ひょんな出会い、亡き佐藤しのぶさんのコンサートに行ったら、ゲストで林真理子さんが出られ(彼女も声楽勉強中と)、しのぶさんがハッキリものおっしゃる方なので、林真理子さんとの会話が痛快極まりなく、会場は大盛り上がり。ソプラノコンサートに行ったのに、なぜか得した気持ちになり、会場も湧いて「ルンルンで」帰宅しました。

当時の女性誌にあった記事がコピーでとってありました。そこからの引用です。

(当時の林真理子さん)
最近忙しさのあまり、ジムに行く時間がない。以前から体重を気にしてたら、週刊誌に「歩くのがいちばんいい」と書いてあって実践するようになった。羽田空港に行く時は、遠くの入り口にタクシー止め、そこからてくてく歩く。こうしてこまめに歩いていると、スマホの歩数が8000から9000になってとても嬉しい。(努力の人なんですよね)

そんなある日、ちょっと時間があって、六本木から西麻布を通り表参道まで歩いてみた。新しいビルが出来、ステキなギャラリーが出来スイーツのお店が可愛い。そして私は考えた。この頃散歩してなかったなぁ。点と点をタクシーで移動ばかり。寄り道を忘れていたと。
この頃通販がとても好きになり、ワンクリックで購入が多い。しかしお店に入ってみると「こんなものが流行っているのか」と目を見張る。

最近どうしてみんな本屋さんに行かないんだろうとと言う話になった。「欲しいものはアマゾンで買うもの」と若い人たちは言う。大人もその通りと言う。しかし本屋に行く楽しみと言うのは、棚いっぱいに並ぶ本をみて、自分が欲しかったものとは別の物をつい買ってしまう。つまり「余計なものを買ってしまう」ことだと思うのである。

つい先日経済紙の記者の方からインタビューを受けた。「最近どんな仕事を」と聞かれたので、「新聞の連載小説を毎日書いていますけど」憮然として答える私。自分で言うのもナンであるが、その小説最近とても人気で、週刊誌でも特集が組まれるほどだ。この記者さん、まるで勉強してこないなぁとがっかりもし、ふと思い当たることがあった。

「もしかして、新聞読んでいらっしゃらないんですか」「ええ。たいていのことはネットでわかりますから。ラインニュースを読めば済みますから」平然と答える人に、「経済紙の方が、新聞読まないってどういうことなんですかね」と、つい嫌味を口にしてしまった。

そもそも新聞は面白い。普段私が興味を持っていない分野の記事で一杯だ。最初見るつもりはなかった。が、お目当ての記事にたどり着くためにめくっていると「余計な記事を読んでしまう」のである。

これが人間関係にも言えることではないだろうかとこの頃考えるようになった。目的の人だけに突っ走らない。余計なことをしてみる。余計な人にもめぐり逢ってみる。これはとても大切なことではないだろうか。

今から十数年前第一目標は仕事であった。そのことばかり考えて来た。しかし子供が学校に上がる。ママ友との付き合いは私にとって全くの寄り道。余計なことだと感じた。しかしそこにいる人は、私が日ごろ知ってるマスコミ関係者とはまるで違うのだった。そして今、そのうちの何人かと深い友情を結び続いている。

余計なことはしなくてはいけない。無駄なことをしないと、人の心はやせ細っていくばかり。もし無用だと思っても、興味があったら結婚はしたほうがいいと、若い人たちに言っている。(過去のある女性誌より)

  なぜか片づけをしていて出てきた記事に、ハッと目が留まった。この林真理子さんがマンモス大学日大のトップになる。前途多難といろんなご意見があるやも聞くが、期待したい。

真理子さんの視点は貴重だと思う。

 

オフィスグリコがあった時代から・・今

久しぶりに「オフィスグリコ」の名を新聞で見て、懐かしいなぁ~と。

と言うのも1998年日本で初めての歯科予防の会が発足し、むし歯の成り立ち・原因、むし歯も歯周病も細菌による感染症!という新たな見解にひっくり返る騒ぎになった。

特に虫歯はちょこちょこ食い(頻食)がいけない・・と、甘いものなども食事直後にデザートのように一緒にとり、食事をしたらすぐ歯の汚れを取りフッ素入り歯磨き(950ppmf・当時)で磨く。食事と食事の間はあける。何も食べない時間を置くことにより、お口の中の環境は修復される→むし歯・歯周病になりにくくなるというものだった。

そのしばらくして、菓子メーカーのグリコが、「オフィスグリコ」なる自販機が希望する会社に設置され、いつでも!好きな時に!食べたい時に!お菓子が食べられる!とニュースに出たものだから、予防の会は色めき立った、よく売れるお菓子は欠品にならぬよう、こまめに補充されると言う。何でも仕事中に「甘いものが欲しくなった時に、すぐ食べられれば仕事の効率も上がる!」と言う宣伝だった。甘いものは仕事の効率を上げるとまで言われた。
たいして需要もないだろうと我々は思ったが、評判を呼び、常設する会社が結構あり、今でも継続していると聞く。

何十年ぶり?久しぶり新聞に「オフィスグリコ」の名を見つけ、何と今度は「企業などのおフィスに、お昼のお弁当を配達するサービス開始」とのこと。一食当たりの糖質を40g以下に抑えたメニューが売り、健康志向の高い働き手のニーズをつかもうとの狙いとある。

アプリを通じて朝9時までに注文するとお昼までに職場に届く仕組み、ただし法人の利用に限る由。何れにしても職場向けの置き菓子販売事業「オフィスグリコ」の配送網を使うらしい。手始めに大阪から始め、首都圏に拡大するという。

「オフィスグリコ」がこのような進化?を遂げている間に、虫歯の状況も随分変わってきた。予防が進んだ結果、子供の虫歯は減ったが歯肉炎と、大人の虫歯は増えている。大人も子供も予防の観点から定期メンテナンスを受ける人が増えてきたのは喜ばしい。しかしながら高齢になっても歯が残るようになったが、高齢者特有の虫歯が増え、高齢者は不自由し、介護現場で違う悩みを増やしている。
そのむし歯の処置はかなり大変で、高齢になると全身疾患のリスクを増すので、歯科として出来る処置が限られる、ましてやご自分で口腔ケアが十分にできる方ばかりではない。憂慮される事態にもなってきた。でも食べなくてはならない。

超高齢社会の今、自分の口で食べられる幸せを考えた時、たまたま読んだ「オフィスグリコ」の記事から、いろいろ考えてしまった夏の終わり。気がつけばあんなにジージー言ってたセミは姿を消し、いつの間にか虫の音が聞こえ、水引草や吾亦紅の風情に、ホッとする季節になった。

コロナで、配食サービスが増え、街中にキッチンカーがみられるようになった。コンビニに行くと魅力的なデザート満ち溢れ、コンビニのおかげで、今ではいつでもどこでも、誰でもオフィスグリコ状態。

「いつでもどこでも」は忙しい時には救いでもあるが、違う面もみせるのだと、考える余裕ももちたい。

「便利」は何かを失うような気もしている・・。

 

あいづち

オンライン会議など、パソコンの画面に向かって話すのに慣れて聞いた昨今だが、だからこそか久しぶりに対面で人と話すと、その心地よさに驚いてしまう。安心間をもたらす一つの要素は、相づち。

相づちの味と言うドキュメントに出会った。不思議な時間。出演者は精神科医・ロボット開発者・スナックのママ。

We  need  「Aizuchi」

そう言われてみると、ラインにしてもなんにしても、対面でないと空気感はだいぶ違う。簡単に言うとキャッチボールにならない感じ。

「ちゃんと聞いてるよ」
「ちゃんと受け止めてるよ」これが次も話したいと思うことだろう・・と。

☆彡「へーッ~」うなづく
「すごいじゃんやったね!」
「わかる、そういうの」
「うん、うん」
「オッ!いいね」
「そうだよね~」
「うんうん」
「イイね」
「良かったじゃん」
「そういうの、メッチャイイね」
「うんうん・・・」
「そうだね、絶対だいじょうぶだよ」
「え~っ!なんか私も嬉しい、頑張ってね」

こんな風に、どういう風に言ったかでその人を反映し、「相づち」うってくれることにより、話しやすくて受け止めるくれたと感じる・・と、精神科医。相づちには美味しいタイミングがあるとも言う。

☆彡家族型テクノロジーロボット製作者(開発のヒントは犬だったとか)

「聴いてるよ」
愛くるしい表情が魅力のロボットは、目の細かな動きまで計算して作られたという。目を合わせると、オキシトシンが出る 信頼関係が生まれる・・のだと。そして言葉も大事だけど「言葉以外もすごく大事」と開発者は言う。

又、辛いことのあった人へ
「うん、うん」
「あ~、うん」
「そりゃそうや・・」
「イヤーっ、きついなぁ」「うん・・」
「そりゃへこむな~」
「あ~うん、そっかぁ、お疲れさん」
「無理すんなよ、マジで・・」

こんな風に相づち打てたらいいですよねと。

☆彡スナックのママさん(聞き上手で、キャリアアドバイザーでもある方)

なにかこちらが言いたくなっても一度、「それで?」と受け止めてあげるのよ。
相づち打つと、自分も豊かになるわ。
例えば
「私も一人でモヤモヤした気持ちになる事あるよ」
「うん・・うん」
「そうかもね・・」
「よかったぁ~、いつもそばにいるからね」
「話してくれて有難う。お話聞けて良かった・・」

たった15分~20分の番組だったけれど、「だよね~」とマスク外して早く相づち打ちながらおしゃべりに興じたいとつくづく思ったことだった。

古~い話だけど、昔「シカとする」っていう言い方があった。その頃はまだまだ携帯どころの時代じゃなかった、誤解なく言えば「シカとされたら悲しい」誰だって、いつだって・・!

相づちかぁ~。
なんか懐かしい、そして大事だなぁ。

 

 

ルコント閉店!

 

学生時代から憧れでもあり、大好きだったフランス菓子のルコントが8月末で閉店した。
ニュースを知り、問い合わせたらもう既に各店舗行列で、電話での取り置きは出来ないと。今年になって買ったフルーツケーキを食べずにずっと寝かしておこう・・等とみみっちいこと考えた。

思い出せばサンタクロース役にピッタリの、体格いいムッシュー・ルコントが六本木に小さなお店を開店、頂いてみて、そのなんとも幸せな美味しさにビックリ!したものだった。それぞれにお酒はきっちり風味をそえ、大人が楽しむお菓子に背伸びして味わう事を覚えた。その頃流行ったコーヒーは、フレンチローストだった。

カッコいい夏木陽介さんがロールスロイスで買いに来たのにも出くわし、どんな風に召し上がるんだろう?とワクワクした。

白衣姿のたっぷりした胴廻りの、にこやかなムッシュー・ルコントに、最後に会ったのは随分前の三越だった。「サバ?マダム」といい歳になった私に声かけて下さった、よく響くまぁるい声が耳に残る。その後亡くなったと知ったが、お菓子は引き継がれ、ずっと何度も楽しませて頂いた。ルコントのケーキってどうして、特別じゃないのに特別なんだろう・・。

ついに閉店。

そう言えば最後に買いに行った時、先に買われたお客様はダンディな、帽子の似合う紳士で、買ってらしたのはスーリーとサバラン、そしてタルト。
我が家と同じだぁ。嬉しくなってその紳士の後ろ姿を眺めた事を思い出す。

大人が楽しめるケーキ屋さんが姿を消す。
私達が、ようやくいい歳になってきたのに・・。
ムッシュー!

ありがとう💓

こども

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる
寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは
公正をおぼえる
友情を知る子どもは
親切をおぼえる
安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じることをおぼえる
       「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」から     
                         抜粋   川上邦夫訳 新評論

折々のことばより  井伊雅子

 

 日本の医療制度の大きな問題は自由過ぎる事なのである。 井伊雅子

迅速に多くの検査を受け、薬を処方してもらうことを良い医療だと思う人は多い。患者が医療情報にふり回され、医療サービスも過度に市場化するなか、
「地域住民の健康に責任を持つ家庭医」の仕組みを整える必要があると医療経済学者は説く。
医は人を看る/診ること。自由は放任や自己責任とは違う。(日本の医療制度をどう設計するか? アスティオン96号から)