よい腸内環境は 食事次第

毎週のように、週刊誌のトピックスは、健康情報やどう生きるか?に溢れています。あちこち読んでみると、相当偏りのあることもわかってきて面白いですが、こういう記事に、左右されてしまう怖さも感じます。

新聞にも次々と新しい情報が現れるので、情報の信ぴょう性と言うより、様々読んでいると、この方の言うことは聞いてみる価値あるなぁ~、これはダメだなぁなど自分で整理できるこようになってきますが、まだまだ・・。

随分前にHPに特集したこともあった腸内フローラ、今では当たり前の視点になりました。腸が大きく支配していることがわかってきました。

さて今回の記事は人の腸には多数の細菌が住みつき、消化を助けたり、ビタミンなどの栄養を作り出したりするとともに、病気に関わることも知られてきたことを伝えた上で、肥満や糖尿病の予防や改善の効果がありそうな腸内細菌を、「ブラウディア菌」と突き止めたというものです。医薬基盤・健康。栄養研究所(大阪府茨木市)です。

この菌を増やす食材をさがしたり、この菌を使って薬を開発したりする研究も進めていきたいと、ワクチン・アジュバンド研究センター長は話します。このグループは自治体や企業と連携して、7000人以上の健康データや食事、運動、睡眠などの生活習慣と腸内細菌の分析を進めているそうです。

さまざまな種類の菌がいる状態が、良い腸内環境なのはわかっているので、食事は細菌のえさになる為、いろいろなものをバランスよく食べると、腸内細菌の多様性も増すと。わかっちゃいるけど・・だけれど、妙に納得します。

いつの日か、トイレにポトンすると!腸内細菌を瞬時に自動分析し「これを食べて下さい」と、アドバイスされる日が来るかもしれない・・と記事は笑わせてくれます。ヒェ~!
私的にはそんなのイヤですから、自分で腸内環境整える、日々いろんな食材を食べて、腸を元気にするしかないかぁ~と思っています。
それにおなかの調子って、もろ!肌に響きますからね。
どんな化粧品よりも、女性にとっては一番大事・・です。

こしらえる

我が家は、和菓子も大好き。
特にあんこには目がないのです。ある日京都の和菓子、しかも普段に買って食べる和菓子特集をTVでやっていました。夢中で見ました。どれも目が釘!

京都では「おまん」と言うそうで、それはそれはあんこが美味しそうでした。丁寧に煮たあんこには栄養も豊富ですよ・・と。
ある豆大福のお店が出て、一日に3000個売れるそうです。「大変ですね」のレポーターの声にご主人、「シンプルに毎日こしらえてます」と。

「こしらえてます」?うん?懐かしい言葉に、何とも豊かな気持ちになりました。「こしらえてます」小さい時よく聞いた言葉ですが最近聞かないぞ・・。
調べてみました。

①ものを作りあげる。例えば夕飯をこしらえる

②ある目的のために、お金とかを用意、調達すること

③身なりや顔を整えること、装う、化粧する、扮装する

④物を食べてお腹を満たすこと

➄友人・愛人などをつくる

⑥構えを作る、構築する、建設する

➆手だてを設けて相手を誘う

⑧あれこれ、言葉をかけて機嫌を取る、宥めすかす

➄や➆⑧には笑ってしまいますが、この言葉長い歴史を見れば、なんともなの風情をひそめています。思えば和菓子への興味から、あんこの番組に見とれ、日本語の豊かさに圧倒されました。昔からの日本語、響きすら美しい.
あんこってやっぱり最高!ですね!?

ことばあそびうた また

日本傑作絵本シリーズ(福音館)3歳から より

   いけはほっとけ
   こけははっとけ
   たけはきっとけ
   おけはおいとけ

   つけはほっとけ
   ふけはとっとけ
   はけはほしとけ
   かけはまけとけ

   ごけはほっとけ
   みけはかっとけ
   さけはさけとけ
   やけはやめとけ
             谷川俊太郎

なんとこの絵本、1981年初版発行、2016年第40刷、WORD GAMES Ⅱとある

それにしても日本傑作絵本シリーズ 3才からとあるけれど、桶とか、つけとか、刷毛とか、かけ、ごけ・・わかるのかなぁ~。
しかしながら、韻を踏んで面白いおもしろい・・。

つい、すみません と言ってしまう・・

「すみません」から「ありがとう」へと言う、人づきあいを少し楽にするためのソーシャルスキルを読んだ。日本人は感謝の場面で「すみません」となぜ言ってしまうのか?日本では「感謝」と「負い目」の気持ちがまじりあった感情として受け止められているのだと。そして「感謝」を感じる心理的なメリットを、「負い目」と切り分けることが必要なのだから、感謝の表現を「すみません」から「ありがとう」へ変えることを、心理学者の相川充教授は提案している。

これに呼応して、鎌倉でカフェを営むある方は、客を待たせてしまった時、「お待たせしてすみません」と謝っていたが、外国人観光客には、簡単な英語で
”Thank you for waiting”(お待ちいただき、ありがとうございます)と伝えていた。
ある日、英語を日本語に直して気づいた。「ありがとうと言われて、むっとする人はいない。日本語を大事にしたいと思っているけれど、”これは英語の方がいいな”と感じた」と。そこで日本の方にも「お待ちいただき、ありがとうございます」と笑顔を添えて言うようにしたら、お相手からも笑顔を頂き雰囲気が和んだと。

又介護の現場からも「すみません」を「ありがとう」に変えたら、お互いに気持ちよく日々を送れるようになったという声も聞く。

「もしかして余計なお世話かも、と思ってした行動でも、”ありがとう”と肯定されれば次の行動につながり、もっと優しい社会になるのでは」と声は続く。

一方、「すみません」は会話の潤滑油。必ずしも自分を下げるネガティブな言葉ではない、むしろ会話の入り口でノックするようなもので、「むしろ”すみません” ”失礼します”など、会話の潤滑油を使わない人が増えている」と感じるというご意見もあり、こうした言葉を、ポジティブな気持ちで使うことが大事なのでは?という。提案も載っている。

なめらかな山形弁を駆使する、タレントのダニエル・カールさんは、日本の謙譲や謙遜の文化は美徳だと思うとしながらも、小さい時からずっと謙遜の中で育つと、間違いに気づいても、正しくないと言えなくならないか?きちんと褒められずに育った子が、自信持てるでしょうか?立場が上の人に間違いを指摘できるでしょうか?上下関係で正しさが決められてしまう、と長く山形に住み、米沢弁を駆使するカールさんらしい。
物を言える若者を育てることが必要だと思う、思っていることを、きちんと言えることは「民主主義の基本」ですとも・・。
これは「すみません」から「ありがとう」にも通じることで、感謝する時は、謝罪と同じ言葉ではなく感謝の言葉を使う。褒めるべきことは、謙遜しないできちんと褒める。褒められたら否定しないで感謝する。

それでは謙遜できない?
感謝の言葉も、「ありがとう」「ありがとうございます」「どうもありがとうございます」「誠にありがとうございます」と違いがあり、使い分ければ、立場の違いは示せる、謝る必要はありませんとカールさん丁寧に説明しています。
又、謙譲文化の「おしょうしな」をあげて、やり過ぎず 物言えるようにと笑って提案されています。英語の”give”と “take”は直訳すれば「与える」「受ける」だけど日本語にすると上下関係が入り、「差し上げる」のか「「あげる」のか。「頂く」のか「もらう」のかとややこしい。

カールさんは英語にも丁寧な言い方はもちろんあるが、基本的には、相手が大統領でも犬でも使う言葉は同じですと笑わせてくれます。 
そう言えば日本では家族についても謙遜して、愚妻・愚息などと言うことがあります。

大変面白い記事を読み、う~んと悩みながらも「すみません」と「ありがとう」を大事に使いたいと思いました。 

 

 

 

 

 

通りすがりのひとこと  湊かなえさん

湊かなえさんの記事は、いつも「ホントホントわかるわ~」って言うことが多い。何気ない日常の、ほんのちょっとした一コマ・・。

10月あたま、国際映画祭出席のためバンクーバーに行ってらしたらしく、フリータイムにブランドの服飾店を見て周っていた時、背後から若い女性に声かけられたそうです。「あなたのパンツ」

英語で言われ、慌てて自分のはいてるものに目をやり、「汚れてる」「捲れている」「破れてる」と言った悪いものしか思い浮かばず恥ずかしい気分で顔を上げると、その女性はにっこり笑って

「とてもいいわね」と言ったそうです。

目の細かい黒のドレープパンツでご本人としては特別目立つものでもなく、褒められどこで手に入れたのかと訊かれ「日本で買った」と伝えると、「私は買えない」とそれほど残念そうでもなく言った後「でもあなたにとても似合ってる」と笑顔で言われ手を振って別れた。
かなえさんも「ありがとう」と手を振り、とても幸せな気持ちになったと。

一緒にバンクーバーに行ってた関連の女性も、別のマーケットでコートを褒められたそうで、在住経験のあるその方によると、取りすがりの見知らぬ人から服や持ち物を褒められるのは、珍しいことではないのだとか。自分も同じものが欲しいからでなく、ただ「いいな」と思ったから声をかけるのだ、と。

「いいな」と思ったものに、さりげなく「いいですね」と言える人に自分もなってみたい。見知らぬ人から声をかけられた際、「何を注意されるのだろう」ではなく、「何を褒められるのだろう」とワクワクできる世の中になれば、楽しそうですね、とかなえさんは結んでいる。

国民性の違いとかでなく、素直に「ステキね」って、ただにっこり言えたらいいなぁ~と感じいった、ちょっといい、小さな記事でした。

秋刀魚

全ての物が値上がりの中でも、季節の内に一度は食べたい秋刀魚です。我が家では、このように頭と骨残してきれ~いに頂きます。特に「三角帽子」と言うえらの陰にある内緒の肝を、見つけて黙って先に食べます・・。

ご覧の写真の秋刀魚、これ!木彫です。

以前展覧会で見てびっくりして!足を止めないわけにいきませんでした。
どの作品もでしたが、お皿も秋刀魚も木彫のこの作品は、凄すぎて息をのみました。作品集を買って帰宅、どの作品もただただため息です。

どうぞ香しい秋刀魚の味を想像しながら、添えた大根おろしの冷たさとお醤油の香りを思い出しながらご覧ください。
秋も深まってまいりました。
ご自愛下さい。

銀杏

この季節、ぷ~んとにおう独特のにおい、そう銀杏です。やたらに触るとかぶれるからご注意ですが、におうけれど中身の果肉は超美味しいですよね。

我が家近くのイチョウの下に銀杏が落ちると、時々炭ハサミ持った人が拾ってるのを見ます。葉っぱが黄色く色づいてからでしょうか・・。

下処理してから最近はうまく電子レンジでも出来ますが、フライパンで煎るのもなかなかに楽しいし美味しいし、何より中身の翡翠色には魅せられます。

お塩してお酒のおつまみにも、銀杏ご飯、茶碗蒸しにとひととき楽しめます。

少々早いのでは?思わず写メした都会のイチョウの木の下には沢山の銀杏が落ちてるものの、足早に通り過ぎる人々は、足をとめる人さえいませんでした。

折々のことばより  石毛直道

 乗り物の速度の速さに反比例して、風景や
 人びとの営みの発見は少なくなる      石毛直道

効率第一、目標に向かいまっしぐらと言う仕事の仕方は性に合わないと、文化人類学者は言う。列車に乗れば「定められた軌道のそばの風景」しか目に入らない。自転車だと、寄り道、回り道をするうち、思いがけない場面、面白い問題に遭遇する。効率化は視野を狭める。未知の軌道に飛び込まなくなって、小粒の研究しかできなくなると。
随筆集「道草を食いながら」から。

この記事を目にしたその晩、テレビで夜遅く「呑み鉄選日本一周!」を偶々見た。指宿枕崎線、近江鉄道信楽高原鉄道、天竜浜名湖鉄道、関東鉄道、宗谷本線等など。行く先々で地元のお酒にのどならし、地元でしか食べられないものに舌鼓をうち、電車内で分け隔てなく地元の方と話し・・。
又地形や鉄道の知識にも精通する案内人の、俳優・六角精児のなんともほのぼの自然体が魅力的な番組にでくわし、随分と贅沢だなぁ~と思ったことだった。
番組だからであってこうは行かなくとも、「道草を食いながら」は素直にそうだなぁ~と思った秋の日でした。

 

朝霞アンパン

久しぶり用事があって朝霞に行ってきました。生憎雨模様でしたが北口には町内会の皆さん心尽くしの花壇の花が、とてもきれいに植えられていました。

いつもお世話になっている駅構内の本屋さんで取り寄せの本を受け取り、焼鳥やさんのチキンカツを買い、隣で朝霞アンパンを買ってきました。

よく遠方からみえる患者さんが「メンテナンスして頂いて何ですけど、つい帰りに買ってしまいますね、朝霞アンパン」と言ってらしたことなどを思いだし、買って帰り久しぶり楽しみました。

10月初め落語の圓楽さんが亡くなりましたが、昔、当院前に団地があった頃お住まいの患者さんが「落語家と縁が出来、名前は楽太郎って言うんですよ、応援してやって下さい」と仰ったことを思い出しました。

その患者さん趣味は写真撮影で、当時団地前は見事な桜並木で、その満開の桜の花越しに当院の看板を撮って、大きく伸ばして下さり院内に飾った事などを思い出しました。

朝霞アンパン、ことのほか懐かしく美味しく頂きました。

草取り承ります

草取り承ります

 

母が骨折の知らせに、駆けつけようと向かう途中の信号待ち。田舎だから自然豊かな中、何か目に写る違和感・・。
エッ!何?絨毯の様にきれいになった土地の中で、何やら海亀の様な大きさの器械がうごいてる!ワァー!草刈りロボット?

人手がないからか?この方が効率的なのか?
色々考えを巡らしてしまったが、芝刈機の様に刈られた絨毯のようなキレイさにビックリもしました。

丁度メール貰った従弟からも、この夏沖縄のホテルに泊まったら、やはり海に面した芝生をロボット草刈り機が活躍してて、子どもも夢中になり思わず写メしたよ!とのこと。
知らぬが仏。どんどん進んでるのねェ。
と言うことは、人の仕事の需要がだんだん減るってこと?

でも人にしかできぬこともまだまだあるはず・・。
折しも働く人の時給見直し必至の動きあり。コロナで状況変わって現場は大変!検討する政治家が実際の現場を知らず、自分達の必要経費の明細もチェックされない中で、本当に働く人々の実際の生活の困窮さ、わかるんだろうか?
不思議な国ニッポン。

問題なのは、高度成長期からの産業構造を温存したまま、賃金を下げて製品を安売りする戦略を選んだことではないだろうか?円安と言う麻薬を打ち続け日本の成長力は弱くなったと野口悠紀雄氏は述べておられる。自国の通貨が安くなることが、国にとって利益であるはずないと。

又、日本の賃金が国際的に低いと、海外から優秀な人材が来なくなり、日本の優秀な人材は外に逃げてしまう。
これから高齢化が進み、介護人材が必要になる折、外国人労働者が来ず、将来の高齢者社会は地獄になり得るとも述べている。

よく行くスーパーには、「おうちで食べきれない、賞味期限2カ月あるご不要な食料品をお入れください」のBOXがある。いつもお米や、レトルトカレーなどがいっぱい。私も今度、お入れできるもの持って行こうと思っている。

仕事の現場で、新しいものを取り入れる一方、従来の仕事の見直しと価値の見出し方により、「人にしかできないこと」も沢山あると思われる。
従来の仕事・やり方と新しいことの両方を見直して、いかにバランスとるかなのだろう・・。

草刈りロボットから、いろんなおもいが広がり、何気に見た車中からの風景が、とてもよい考える時間となった・・。

 

これからを生きるために、必要な能力とは何なのか(再掲載させていただきます)

ゆったりとした暮れのこの時期に、このようなブログ・・とも思いましたが、最近テレビなどでよく拝見する、バイオリニストの廣津留すみれさんが気になる私は、どうしてもこの記事をご紹介したくなりました。長文ですがお付き合いください。(再掲載です)

「熱く語れる芯ある自分に」
大分県の公立高校から、米国のハーバード大学に進学しました。受験時や在学中に感じたのは「自分について熱意をもって語れるもの」を持つことの大切さでした。
試験で満点を取れる人はたくさんいますが、それだけでは合格できない。学力のほかに重視されたのは、課外活動の履歴、性格など人としての力です。私の場合、3歳から続けてきたバイオリンも、どんな思いで続けて来たか面接では熱意をもって話すことができました。「いろいろ乗り越えて来たし、大丈夫」と言う何事にもポジティブな性格も重視されたと感じています。

大学生活はいつもプレゼン合戦でした。専攻や課外活動など何かを決めると、友人との会話でその理由を問われます。そこで、自分の思いを話せないと会話は続きません。
意見がないのは「そこにいない」のと同じです。

暗記など受験のための勉強の内容を、熱意を持って語るのは難しいでしょう。何よりも、自分の好きなことを学び、自分だけのストーリーを持つことが大切です。冥王星についてひたすら語れるでも、カマキリの生態に詳しいでも、何でも良いと思うんです。それが自信になり、心に余裕が生まれます。ひいては、周りの人がしてきた努力を想像する力にもつながります。

チェロ奏者のヨーヨー・マとシルクロード・アンサンブルとの共演でも、その大切さを痛感しました。みんな演奏を通じて自分のストーリーを語るのです。それぞれの背景を音に乗せてお客様の心に届ける技に衝撃を受けました。世界中どこへ行っても、人の目を見て話す・聞く、と言う基本的なコミュニケーションを身につけることが信頼につながると改めて学びました。

今振り返って、海外に進学してよかったと思います。子供が海外に進学したいと言うと「治安がよくない」「学費が高そう」「生活が大変そう・・」などの理由を並べて反対する大人も多いと聞きます。でも、私が実際に米国に行ったら違いました。必ずしも、大人の言うことが正しいわけではないのです。うのみにしてはいけません。

若者はやりたいことがあれば、自分の基準で物事を判断したほうが絶対にいい。最近は大学で教えていますが、自分のやりたいことを見つけている学生が多いと感じます。いい傾向だと思います。

能力を測る基準が、学歴だけになるのは問題です。学歴は「努力した人」と言う指標にはなっても、想像力やコミュニケーション能力、人柄などは測れません。基準は出来るだけ増えた方がいいと思います。これからの時代に必要な人間の才能は、いろいろな側面に隠れていますから。

1993年生まれの廣津留すみれさんの力強い言葉に、素直に「そうだなぁ」と感じ入りました。自分の好きなことをやり続けてみる・・。いいじゃない!?
もっと若者の言葉に耳傾けたいと思います。

耳が痛い・・

 

「これまでの固定観念、こまめに洗濯してる?」

知らないうちに凝り固まった固定観念で、自分を支配して言いませんか?と加藤登紀子さん。「ダメだ」も「いやよ」も頭脳の汚れ、かも。

            ある日の「ひらり一言」より 加藤登紀子

あ~ぁ、耳が痛い・・。

宅配便

みんな生き残んのに必死なんや。
数の問題ちゃうぞ。一個一個が切実なんや。
              宅配便のベテラン社員

シングルマザーの新米宅配員は、大量の荷物を時間内に配達したいのに、クレームが挟まり、ふて腐れる。なぜ荷物が増えているか分かるかと先輩に問われ、コロナのせいだと答えるとこう怒鳴られた。
待つ人も届ける人もとっくに腹を括っている。括れていないのは自分だけだと、己の甘さを知る。NHKテレビのドラマ「あなたのブツが、ここに」
                                        (脚本・櫻井剛、第8回)から

このドラマ、途中から何気に見ることになった。テンポの速い展開に引きつられているうちに、「そっかぁ~」と思ったり「そうだよね」だったり、「そんなに大変なんだ・・」。
よく来て下さる宅配の方に、丁寧に「ご苦労様、ありがとう」、いつも言ってるつもりだけども、より心込めて言わなきゃ!と思った次第。何でもそうだろうけれど、すごい世界なのだと知った。
偶々見ることになったが、いい勉強をさせて頂いている。

折々のことばより 斎藤陽道

    人には、手のひら全部で指をさすんだよ
    物には、人差し指でさすんだよ
                        斎藤陽道

写真家夫妻が最近困っているのは、3歳の長男がどんな対象も親指を立てて指さすこと。
人を責めたり詰ったり、何か「ネガティブな気持ち」になった時に使うオマエ・コイツみたいで、これはすぐに直しておこうと相談する。で、その使い分けを丁寧に説いた。心はとっても細やかなもの。その機微を体ごと知ってほしくて。
              

          漫画でつづる子育て日記「せかいはことば」から。

余計なこと  (林真理子さんのコラムより)

この度日大のトップに決まった作家・林真理子さん。
大人気の作家であるが、ある女性月刊誌にコラムを持ってらして、「痛快だなぁ~、いいことおっしゃるなぁ」と読むチャンスあるたび思っていました。

ひょんな出会い、亡き佐藤しのぶさんのコンサートに行ったら、ゲストで林真理子さんが出られ(彼女も声楽勉強中と)、しのぶさんがハッキリものおっしゃる方なので、林真理子さんとの会話が痛快極まりなく、会場は大盛り上がり。ソプラノコンサートに行ったのに、なぜか得した気持ちになり、会場も湧いて「ルンルンで」帰宅しました。

当時の女性誌にあった記事がコピーでとってありました。そこからの引用です。

(当時の林真理子さん)
最近忙しさのあまり、ジムに行く時間がない。以前から体重を気にしてたら、週刊誌に「歩くのがいちばんいい」と書いてあって実践するようになった。羽田空港に行く時は、遠くの入り口にタクシー止め、そこからてくてく歩く。こうしてこまめに歩いていると、スマホの歩数が8000から9000になってとても嬉しい。(努力の人なんですよね)

そんなある日、ちょっと時間があって、六本木から西麻布を通り表参道まで歩いてみた。新しいビルが出来、ステキなギャラリーが出来スイーツのお店が可愛い。そして私は考えた。この頃散歩してなかったなぁ。点と点をタクシーで移動ばかり。寄り道を忘れていたと。
この頃通販がとても好きになり、ワンクリックで購入が多い。しかしお店に入ってみると「こんなものが流行っているのか」と目を見張る。

最近どうしてみんな本屋さんに行かないんだろうとと言う話になった。「欲しいものはアマゾンで買うもの」と若い人たちは言う。大人もその通りと言う。しかし本屋に行く楽しみと言うのは、棚いっぱいに並ぶ本をみて、自分が欲しかったものとは別の物をつい買ってしまう。つまり「余計なものを買ってしまう」ことだと思うのである。

つい先日経済紙の記者の方からインタビューを受けた。「最近どんな仕事を」と聞かれたので、「新聞の連載小説を毎日書いていますけど」憮然として答える私。自分で言うのもナンであるが、その小説最近とても人気で、週刊誌でも特集が組まれるほどだ。この記者さん、まるで勉強してこないなぁとがっかりもし、ふと思い当たることがあった。

「もしかして、新聞読んでいらっしゃらないんですか」「ええ。たいていのことはネットでわかりますから。ラインニュースを読めば済みますから」平然と答える人に、「経済紙の方が、新聞読まないってどういうことなんですかね」と、つい嫌味を口にしてしまった。

そもそも新聞は面白い。普段私が興味を持っていない分野の記事で一杯だ。最初見るつもりはなかった。が、お目当ての記事にたどり着くためにめくっていると「余計な記事を読んでしまう」のである。

これが人間関係にも言えることではないだろうかとこの頃考えるようになった。目的の人だけに突っ走らない。余計なことをしてみる。余計な人にもめぐり逢ってみる。これはとても大切なことではないだろうか。

今から十数年前第一目標は仕事であった。そのことばかり考えて来た。しかし子供が学校に上がる。ママ友との付き合いは私にとって全くの寄り道。余計なことだと感じた。しかしそこにいる人は、私が日ごろ知ってるマスコミ関係者とはまるで違うのだった。そして今、そのうちの何人かと深い友情を結び続いている。

余計なことはしなくてはいけない。無駄なことをしないと、人の心はやせ細っていくばかり。もし無用だと思っても、興味があったら結婚はしたほうがいいと、若い人たちに言っている。(過去のある女性誌より)

  なぜか片づけをしていて出てきた記事に、ハッと目が留まった。この林真理子さんがマンモス大学日大のトップになる。前途多難といろんなご意見があるやも聞くが、期待したい。

真理子さんの視点は貴重だと思う。

 

あいづち

オンライン会議など、パソコンの画面に向かって話すのに慣れて聞いた昨今だが、だからこそか久しぶりに対面で人と話すと、その心地よさに驚いてしまう。安心間をもたらす一つの要素は、相づち。

相づちの味と言うドキュメントに出会った。不思議な時間。出演者は精神科医・ロボット開発者・スナックのママ。

We  need  「Aizuchi」

そう言われてみると、ラインにしてもなんにしても、対面でないと空気感はだいぶ違う。簡単に言うとキャッチボールにならない感じ。

「ちゃんと聞いてるよ」
「ちゃんと受け止めてるよ」これが次も話したいと思うことだろう・・と。

☆彡「へーッ~」うなづく
「すごいじゃんやったね!」
「わかる、そういうの」
「うん、うん」
「オッ!いいね」
「そうだよね~」
「うんうん」
「イイね」
「良かったじゃん」
「そういうの、メッチャイイね」
「うんうん・・・」
「そうだね、絶対だいじょうぶだよ」
「え~っ!なんか私も嬉しい、頑張ってね」

こんな風に、どういう風に言ったかでその人を反映し、「相づち」うってくれることにより、話しやすくて受け止めるくれたと感じる・・と、精神科医。相づちには美味しいタイミングがあるとも言う。

☆彡家族型テクノロジーロボット製作者(開発のヒントは犬だったとか)

「聴いてるよ」
愛くるしい表情が魅力のロボットは、目の細かな動きまで計算して作られたという。目を合わせると、オキシトシンが出る 信頼関係が生まれる・・のだと。そして言葉も大事だけど「言葉以外もすごく大事」と開発者は言う。

又、辛いことのあった人へ
「うん、うん」
「あ~、うん」
「そりゃそうや・・」
「イヤーっ、きついなぁ」「うん・・」
「そりゃへこむな~」
「あ~うん、そっかぁ、お疲れさん」
「無理すんなよ、マジで・・」

こんな風に相づち打てたらいいですよねと。

☆彡スナックのママさん(聞き上手で、キャリアアドバイザーでもある方)

なにかこちらが言いたくなっても一度、「それで?」と受け止めてあげるのよ。
相づち打つと、自分も豊かになるわ。
例えば
「私も一人でモヤモヤした気持ちになる事あるよ」
「うん・・うん」
「そうかもね・・」
「よかったぁ~、いつもそばにいるからね」
「話してくれて有難う。お話聞けて良かった・・」

たった15分~20分の番組だったけれど、「だよね~」とマスク外して早く相づち打ちながらおしゃべりに興じたいとつくづく思ったことだった。

古~い話だけど、昔「シカとする」っていう言い方があった。その頃はまだまだ携帯どころの時代じゃなかった、誤解なく言えば「シカとされたら悲しい」誰だって、いつだって・・!

相づちかぁ~。
なんか懐かしい、そして大事だなぁ。

 

 

ルコント閉店!

 

学生時代から憧れでもあり、大好きだったフランス菓子のルコントが8月末で閉店した。
ニュースを知り、問い合わせたらもう既に各店舗行列で、電話での取り置きは出来ないと。今年になって買ったフルーツケーキを食べずにずっと寝かしておこう・・等とみみっちいこと考えた。

思い出せばサンタクロース役にピッタリの、体格いいムッシュー・ルコントが六本木に小さなお店を開店、頂いてみて、そのなんとも幸せな美味しさにビックリ!したものだった。それぞれにお酒はきっちり風味をそえ、大人が楽しむお菓子に背伸びして味わう事を覚えた。その頃流行ったコーヒーは、フレンチローストだった。

カッコいい夏木陽介さんがロールスロイスで買いに来たのにも出くわし、どんな風に召し上がるんだろう?とワクワクした。

白衣姿のたっぷりした胴廻りの、にこやかなムッシュー・ルコントに、最後に会ったのは随分前の三越だった。「サバ?マダム」といい歳になった私に声かけて下さった、よく響くまぁるい声が耳に残る。その後亡くなったと知ったが、お菓子は引き継がれ、ずっと何度も楽しませて頂いた。ルコントのケーキってどうして、特別じゃないのに特別なんだろう・・。

ついに閉店。

そう言えば最後に買いに行った時、先に買われたお客様はダンディな、帽子の似合う紳士で、買ってらしたのはスーリーとサバラン、そしてタルト。
我が家と同じだぁ。嬉しくなってその紳士の後ろ姿を眺めた事を思い出す。

大人が楽しめるケーキ屋さんが姿を消す。
私達が、ようやくいい歳になってきたのに・・。
ムッシュー!

ありがとう💓

こども

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
自信をおぼえる
寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは
公正をおぼえる
友情を知る子どもは
親切をおぼえる
安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じることをおぼえる
       「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」から     
                         抜粋   川上邦夫訳 新評論

早口言葉

  むささび
  むしばに
  むせびなく

口の周りの運動の大切さが言われています。
あいうべ体操!パタカラ体操!いいですねぇ。
たまにはこんなの如何でしょうか?(チビ用に買ったら存外難しい!)

笑いながらどうぞ。
結構むずかしい!ですよ。

ファイトです。

キャッチボール

夕刊に載った何やら箸袋に書かれたメッセージ。
読めば、新座の中学生が、修学旅行の際宿泊した旅館の食事の席で、箸袋に残した「ありがとう」「お世話になりました」のメッセージらしい。
随分粋な中学生だなぁと感心して読みながら、私もあることを思い出した。
何年前だったろうか?兄弟が地方で入院することになったが身内は同室に付き添えない。やむを得ず送迎バスがある小さなホテルに暫く滞在した。
朝病院まで送って貰い夕方ホテルに帰る日々。

「お帰りなさいませ」と迎えられ部屋にたどり着くと、キレイに掃除された室内の鏡の前に、小さな折り紙と共に「お疲れさまです。今日は○○がお部屋を掃除させて頂きました」のメモ。小さな細やかな折り紙を手にとって涙がポロリ・・でした。誰かが見守って下さるような感覚・・。

患者本人ではなく単なる身内の付き添いなのに、知らない土地でこんなさりげない温かいおもてなしを受け感謝感激でした。当院の患者さんにも、あらためて、このような小さな心づかい、大事だなぁと思ったことでした。

翌朝フロントに一言お礼をと思ったら、その前に「おはようございます。ゆっくりお休みになられましたか?」の明るくさりげないご挨拶。
小さな細やかなお心遣いと相まって、ホテル全体が闘病を支えて下さってるのだと知りました。おかげさまでその後病人は順調に回復しました。その温かさは送迎バスの運転手さんにも感じたことでした。

ひょんな新聞記事から随分前の感謝の出来事を思いだし、コロナで対面の会話がない時間を過ごしているだけに、中学生の箸袋メッセージはお世話下さる方々の心に触れ、ご苦労も報われ、それはそれは嬉しかったことだろうと思いました。

すべからく、気持ちのキャッチボール。
行ったり来たりですね。

折々のことばより なだいなだ

  

  人間が二人集まります。力は倍になります。しかし、
  責任は半分になったと感じるのです。     なだいなだ

強制収容所では人を番号で呼ぶ。動物を食する時は「肉を食べる」と言う。こういう「抽象化」によって人は自らの残虐性に鈍感になると、作家・精神科医は言う。組織の中に入るというのも同様で、人は個人としては消え、役割になる。そして個人の肉体に内蔵された攻撃と抑制の二つのスイッチのうち、後者がきちんと働かなくなる。(人間、この非人間的なもの)から。

「こわいをしって、へいわがわかった」

びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな

こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん

風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった

おかあさんが、
七十七年前の沖縄の絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ

たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年のこどもが
かなしそうに見ている

こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?

きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな

おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな

せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとぽけっとにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった

沖縄戦没者追悼式で、沖縄私立山内小学校2年徳本穂菜さん(7)が朗読しました。宜野湾市の佐喜真美美術館を家族と訪れ、丸木位里、俊夫妻が1984年に制作した「沖縄戦の図」を見た時の思いを詩にしたそうです。
周りからこの詩に「ここはこうした方がいい・・」「こう直した方がいい」と言う助言があっても断って、本人が書いたままだそうです。
同居するおじいちゃんが、戦争に関わりある場所や集まりに、小さい時から穂菜さんを必ず連れて行っていましたと、鶴瓶の番組のインタビューで知りました。

「老い」はちっともこわくない 柏木哲夫2001改編版より

先日「にもかかわらず笑う」でご紹介した、柏木哲夫先生の1998年の本が、2001年文庫化に当たって加筆されたものからの抜粋です。

超高齢化社会を迎えて、「老い」に直面しなければならない社会に私たちは置かれています。「老い」に関する情報も多くなり、特に介護保険導入後、老人福祉に対する関心が高まり、様々な身体的ケア、リハビリ、入浴介護などのサービスは次第に充実してきています。

しかしながら多くの元気な老人が、「老いをどう生きていくか」について考える情報は意外と少ないと感じます。今私(柏木先生)は、学生と一緒に「老人の希望」について研究しているが、主に他者との交流・健康・趣味・奉仕・仕事・役割・経済・子供の成長など、老人を取り巻く外部的な環境に焦点が当たっていた。

しかし、老人の心の中身や内的な希望を対象にした研究はあまり多くありません。研究の方法論が難しいし、結果も主観的になり易いからでしょう。この書物では、外在的なものでなく、内在的な視点を重要視した「老い」の理解です。「老いのとらえ方」によって、「老いの生き方」が変わってきます。

「からだが不自由である」と言う現実は、ある人を限りなく不幸にします。しかし、ある人はその不自由さを「挑戦」の源にします。不自由さを幸せととらえることができる人さえいます。考え方、とらえ方、物事への態度などによって、その人の存在の意味が変わってくるのです。価値観がものの見方を変えると言えましょう。

「人生の実力」と言うことを考えています。その定義は二つの部分に分かれます。一つは「自分に不都合なことが起こった時、その不都合さの中にも、人間として生きている証を見、冷静にどうすればよいかを考え、判断し、その判断に従って行動する力」です。やや持って回った定義ですが、本当の実力は自分にとって不都合なことが起こった時に発揮されます。老いと言う不都合さの中で発揮されるのが実力なのかもしれません。老いと言う現実の中で、人間としての証を見、自分らしく生きていける人は老人として、人生の実力者と言えるでしょう。

もう一つの定義は、「どんな状況におかれても、その状況を幸せと感じることができる力」と言うことです。

人生に三つの坂があると言われています。何でもうまくいく「上り坂」、すべてがうまくいかない「下り坂」、そしてもう一つの坂は「まさか」と言う坂です。

上り坂を幸せと感じる事は簡単ですが、下り坂を幸福とはなかなか感じられません。「まさか、こんなことが自分に起こるなんて・・」と言う場合、多くはマイナスの「まさか」です。まさか、こんな事故に巻き込まれるなんて・・・。まさか年取って息子を看取るなんて・・など。「まさか」こんなに長く生きるとは思わなかった人も多いことでしょう。しかし、現実は老いを生きているのですから、その中に幸せを見るという実力を発揮してほしいと思い、その実力養成の一助に本書がなるよう願っています。

ユーモア(HUMOR)について
これは元々医学的な概念でした。語源は、血液やリンパ液などの体液を意味するラテン語のフモール(HUMOR)と言う言葉です。体液と言うのは、その流れが人の身体に活力を与え、また創造的な力を補っていると考えられていました。言い換えますと、中世の医学者はユーモアこそ生命の本質であり、体液が無かれば人間が生きられにように、ユーモアなしでは人間は生きられないと考えられていたのです。
柏木先生は、早くからこのユーモアに注目し、いくつになっても必要なユーモアと語っておられます。

 

退屈

GWが終わるころになると、よく「五月病」と言う言葉を聞くようになります。新入生や新入社員の方などに起こる、様々な症状の総称。たしかに環境が変化すると、なかなか落ち着かないことが多いですね。

実はこの「退屈」仏教に由来するとある冊子で知りました。「退き屈する」と言う意味で、「仏堂修行の厳しさに負けて気力が減退すること」だと。この中の「気力の減退」だけが現在の用法になったようです。

私たちは退屈と感じると、それが環境や相手によってもたらされると考えます。しかし仏教では、あらゆる出来事には実体がなく、感情は自分の心の動きによるもので、言い換えれば、退屈と思うか、楽しいと思うかも本人次第と言うことになるらしい

他に隷属することは、すべて苦なり。
あらゆる主権こそ楽なり。

一度立ち止まって、自分にとっての意味合いを見つめ直してはどうでしょう?きっと自分なりの価値があるはずと冊子にはあります。 フムフム・・。

 

「違う」と言う機会 (季節の地図 柴崎友香)

少し前なのですが、興味深い記事があった。以下にご紹介します。

仕事をしていると必ず経験することに、自分の仕事ではないことを頼まれる、納得のいかない指示を受ける、があると思う。私自身、会社勤めをしていた時にしばしばあった。頼む方は「ちょっとやっといて」と言う感じかもしれないのだが、その度に理不尽な状況に疑問を抱いたり、このやり方にするとかえって面倒になるのにと悩んだりした。

一つ一つの業務はそれほど大きな負担ではない。それに対して私は、異議を申し立てたり違うと言ったりしたことはほとんどなかった。立場が上の人に向かって交渉するよりも、黙ってやっといた方が早く済む。年齢も下で権限もない自分がつべこべ言ってはいけない、いつか周りの人が解決してくれるのでは、などの気持ちもあった。

それが間違っていたことに気づいたのは、自分が辞める時だった。後任の人に引継ぎをする段になって、自分が引き受けてきた仕事は全部、その人がやらないといけないのだとわかった。前任の人はやっていたとなれば、その仕事に異議を申し立てるのはますます難しくなるだろう。最初にその仕事を頼んだ経緯は忘れられて、前からそうなっている、と物事は進んでいってしまう。自分にも「正解」がわかっていたわけではないけれど、質問すればよかったこともあるし、話し合えばもっと良いやり方がみつかったかもしれない。

違いますと言うべき時に言えなかったことの後悔がある。業務をやることになったとしても、なにかのやり取りがあれば次の機会は変化があったかもしれない。

何も言わなければ、それでいいと思われてしまう。

仕事だけでなく、家族など身近な人間関係でも、社会のもっと大きなことに対しても、通じる事なんじゃないかと思っている。
そして「その時言わなかったからもうダメ」と言うことでもなく、気づいた時に異議を申し立てていいし、そのとき自分ができることをできる限りやっていくのがいいのだと思う。

 わが身にも、小さいけれど大きな気づきをくれた記事でしたので、ご紹介しました・・。

植物性ミルクは牛乳の代わりになる?

豆乳に加え、アーモンドやオーツ麦など人気の植物性ミルク。様々な使い方で牛乳と同じように使われているが、はたして栄養面でも牛乳の代替になるのか?管理栄養士の解説が載っていました。

「一言でいえば、見た目は似ていても、代替にはならない。含まれる栄養素の種類や量が違い、牛乳で接種できるものを補えるとは言えない」とのことです。そうなんだ・・。

日本人が一日に牛乳を約180㎖取るように示されているバランスガイドでは、カルシウムの重要な供給源と位置付けられているからで、普通牛乳100gにカルシウムは110mg含まれる。同じ量の豆乳では15mg。いわゆる植物性ミルク商品にはカルシウムの含有量は不明だそうです。

逆にアーモンドミルクにはビタミンEや食物繊維などと特長がパッケージに書かれているので、比較するには定量的にみる必要があり、それぞれの栄養成分を詳しくチェックする必要がありそうです。

又、乳糖不耐症や食物アレルギーなどで牛乳が摂取出来ない場合、植物性ミルクは代替と考える方も多いのかもしれません。その場合にも、食事のバランスがとれているかをチェックした上で選択しては如何でしょうか?と説明しています。

体に良い食べ物を取り入れたいと思うのは人情ですが、一つの食べ物を別の食べ物におきかえれば、得られる栄養素も失う栄養素もあると理解して、食事全体のバランスを考えてはいかがでしょうか?とアドバイスです。

アーモンドミルクはコレステロールが0と言うところに注目が集まっているようです。私も牛乳と似たもの・・くらいの認識だったので「栄養素はそれぞれに違いがある」ことを知って今後は区分けして利用しようと思いました。

ギョギョギョ!

何という大きさでしょう!

駿河湾から南に400キロ沖、水深2091メートルの深海で、世界最大!と言う魚が発見されました。

テレビ画像で見るとなんとも大っきい!他の魚を威嚇してどかせてしまう大きさです!威厳があります・・!

発見された2メートル53センチ!のこのお魚「ヨコヅナイワシ」と言うそうな。
「デカい~!」

そう言えばいつか、さかなクンが番組でなんだこれは「ギョギョギョ!」と言ってたのがこれ!ですね。さかなクンがビックリなんですから、よほどのお魚なんでしょうね!

またこの時期に現れるはずのない、又海面近くに居ない「竜宮の使い」が現れたとのニュースも。自然界に異変が起きているとの指摘もあり、それは関係ない・・の意見と様々です。6月に40度の猛暑、7月に入りあちこちで大雨となっています。不思議なことが起こると、どうか大きな自然災害などが起こらぬようにと、祈りたくなります。

目分量

・目分量と言うのは大したもんだなと思う。 宇多喜代子
  「厨に暮らす、語り継ぎたい台所の季語」より

若い頃、台所に立つと、ミシンをかけている母親に「お醤油ちょっと入れなさい」「はい、って言ったら火を止めなさい」と指示されたと、俳人は言う。食材をどう使い切るか、家族の誰に合わせて今日の味付けをするかなど、料理の手順と塩梅を背中で量りつつ。その上で匙加減と言うか、一定の可動域も残す。
なんと知的な作業。

この文を目にして、小さい頃の台所の映像が目に浮かぶと同時に、お醤油のにおいと湯気を思い出したから不思議です。

そう言えば話は違うけれど、もう20年くらい前のことですが、日野原先生の予防を提案するクリニックで、食事療法必要な患者さんにだったかな?「手ばかり」(食物を手に乗せてだいたいのg数を見当する)を教えていた場面に出くわしたことがあり、料理をする私でさえ、手のひらに乗せたトマトが何gってわかんないなぁ~と思ったものでした。

この記事読んで、目分量ってとても大事だと思うと同時に、感覚って日々研ぎ澄まされるものとも思いました。

ルバーブ

毎年アカパンサスの花が咲く頃、気になるのはルバーブ。赤いふきだから野菜になるのかなぁ~。近所にはないので毎年同じデパートに出向きます。
今年もあった!あった!ホッ。

いつも必ず買ってると、通りがかりの方から声かけられます。「何して食べるんですか?」私はジャムしか知らないし・・。だけども煮上がった鮮やかな色!とほのかな酸味が我が家は大好き。
昔はルバーブパイにしたけど、今は専らジャムとして、パンにつけたり、ヨーグルトやアイスクリームに添えたり。

ともかくこの色!今年もつくることが出来て感謝感謝。

堂々・・(謹んで再掲載致します)

MCを清塚信也さんが勤めるクラシックTV(Eテレ)は時々拝見しています。ある日の渡辺宙明さんとヒーロー音楽は、マジンガーZなどで知られる方だけに、期待を持って拝見しました。

なんと渡辺宙明さんは御年96歳の現役作曲家でらして、にこやかにお座りになってる風貌がなんともゆったりで、尚且つお答えがユーモアあふれて適切で、ビックリしました。

清塚さんがピアノを弾きつつ魅力に迫りました。その間、アニメ・特撮ファンにはたまらない音楽や映像がたっぷり流れました。

巨大ロボットの重さを出すのには、「ティンパニーとトロンボーン」だそうで、ヒーローの勇壮さにどこか悲哀が薫る「宙明節」の秘密は、「二六抜き短音階。普通の短調だと、悲しいけど二六抜きでやるとロックやジャズのようになるの」と作曲の秘密を明かされました。

「もうやることはやったし、ひと休みしようかな。こういっちゃあアレですけど・・」の後、96歳のレジェンドはこうおっしゃたのでした。ニコニコ顔でさりげなく「印税入って来るしね・・」。これには大爆笑で、MC清塚さんは思わず天を仰いだようです。約70年の作曲歴を誇る人でないとこうは仰れないでしょうし、何ともサラッとゆったり堂々の発言でらっしゃいました。

続けて、「チャンスあったら、一発いいのをかいてみたい」と。
ゆったり堂々と、チャーミングな96歳でした。

  ・クラシックTVでの、渡辺宙明さん96歳の軽やかなトークがとても素敵で、こちらに紹介させていただきましたが、28日朝刊に訃報を見て目を疑いました。90代に入っても創作意欲は健在だった・・とありました。軽快なジョークを仰って、嬉しそうに清塚さんとテンポの良い会話をなさって、楽しい時間をありがとうございました。謹んでお悔やみ申し上げます。

「させていただく」(街のB級言葉図鑑)

「○○させて頂く」という言い方は、人によって好みがわかれますが、何かと役立ちますという記事です。

原宿の洋服店にこんな注意書きがありました。
「キャップの付いていないドリンクや食べ物の持ち込みはお断りしています。見かけたらお声をかけさせていただきます」食べ歩きをする客への警告です。

「見つけたら注意します」と言う意味を、「お声をかけさせていただきます」と婉曲に表現しています。角の立たない、うまい表現です(「お声」は単に「声」の方がいいかも)

「○○させて頂く」はへりくだった気持ちを表す一方、断固として迷わない感じもあります、注意書きに使うと、謙虚さと威厳を備えた微妙な表現になります。

注意や警告などの内容を伝える文章はきつくなりがちです。そこに、あえてへりくだった表現を使うことで、「従わないとまずい」と相手に思わせる効果が出るのです。

へりくだっても威厳ありですね。

素にもどれる「裏」を大切に

作詞家・精神科医・白鴎大学長の きたやまおさむさんの「わたし流」です。本名は北山修、1965年フォーク・クルセダーズ参加、「戦争を知らない子供たち」等を作詞。この世代の方には懐かしいお名前です。

そのバンド・フォーク・クルセダーズの時、京都府立医科大の医学部一年生だったそう。2年後、解散記念で製作したレコード「帰ってきたヨッパライ」が300万枚売れてデビュー。医大を休学しコンサート活動していたが、ひどい忙しさの上、観衆やマスメディアの要求にこたえる日々が苦痛になり、これ以上続けると逃げ場がなくなると感じて、1年で医学部に戻ったそうです。

音楽に熱中し、休学してデビューもしたけれど、合わないと悩んだとき、ご自分には帰る場所があった。「放り出した」「ずるい」などいろいろ言われたが、表舞台を下りても受け入れてくれる人たちが居た。実にありがたかったと。

「裏」は大事です。「楽屋」と言ってもいいのだが、すべて表だと人は辛くなります。外に向けた顔から素顔の自分に戻り、自分を保つ場所が誰しも必要。それが自分にとっては大学だったと。不特定多数とやり取りする表ではひらがなの名前を使い、裏で漢字の表記を用いるのも根っこは同じだそうです。

京都から札幌医大に移り、心療内科・精神科の道を歩み、同時に作詞や音楽活動も続けてらっしゃるようです。「あれもこれも」って悪いイメージだけど2足のわらじ、「あれとか、これとか」でいい、潔く生きないのがポリシーだとも。

人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、虚しさを抱える。だから、学生には遊びや余裕を大事にと伝えます。試行錯誤するモラトリウムの時間も必要でしょう、学長としては授業に来なくてもいいとは言えませんが・・と結んでいます。近著は「ハブられても生き残るための深層心理学」だそうです。

                  新聞記事「進路 わたし流」より

完璧すぎるとつまらない

NHK・Eテレの「ピタゴラスイッチ」が20周年を迎えたそうです。「だんご3兄弟」で知られたクリエーターの佐藤雅彦さんが慶応大学教授だった当時、研究室のメンバーと作ったアニメーションなどが源流です。

一つは先ずは全体を貫く規格を立て、その設計に合わせてつくっていくパターン。もう一つは、様々なものを手で動かしながら、本来と違う使い方の、面白い動きを発見し、それをつなげて装置にするパターンだそうです。

前者の場合、設計の段階で、物理の基本は踏まえておいて、具体的な距離は試しながら決めていくそうです。平均して、30テイクぐらいは撮り直すとか。精度よく作りこむとつまらくなるからと。10年ほど前に、みんなが装置作りを「うまくなり過ぎた」時期があり面白くなかった・・反省のようです。

重たい球を速く動かすと成功率は高まるが、軽い球がふらつきながらも無事ゴールするからこそ、グッとくるんですよね。だから最初から完璧を狙いすぎずにやってます・・と。

ピタゴラスイッチをつくる上で大事にしてる価値観は、世の中や、普通の生活の中に潜んでいる様々な「考え方」を伝えることを目指しているんだそうです。何かが「わかった!」と言う瞬間に私たちが感じる気持ちよさや充実感を、子ども達にも映像通して感じて欲しいと言っておられます。

商品化の誘いもあるが、「家にあるもので作るのが面白いと思うんです」を理由にお断りしてるとか、例えば本を立てると、それだけで球が転がるレールになります。視点を変えて、本に新しい役割を再発見する。予想と現実は違う。それに気がついて想像力の解像度を上げていくのがおもしろいんです。

そうおっしゃる番組作りに携わる方の意図に、今日もぴったしハマって!「ああじゃない、こうじゃない・・、じゃ~んけんぽん!パーだ、ヤッタァ!」といつもハラハラドキドキの我が家です。短い時間ですがいい歳の大人も夢中!
ずっと続けて欲しい番組です。

 

アンパンマン

ビックリするほど、子ども達はアンパンマンが大好きだ。未だ片言しか話せない幼児も、目をきらきらとさせながら食い入るようにあの顔を見つめる。やなせたかしさんが生んだ優しいヒーローは、世代を超えて人々に愛され続けている。

砂漠の真ん中で倒れていた旅人や、森で迷った子供に、自分の顔を食べさせる。顔が全部なくなったアンパンマンは、パン作りのおじさんに新しい顔をつくってもらい、再び「おなかのすいたひと」を助けるために空に飛び立つ。

やなせさん生前のインタビューによると、出版直後の反響は芳しくなく「顔を食べさせるなんて残酷だ」「図書館に置くべきではない」と批判され、出版社からも「こんな絵本はもう描かないで下さい」と言われたという。

それでも、子ども達の間でじわじわと支持され、88年のアニメ放送をきっかけに一気に全国の人気者になった。作家として売れる売れないにかかわらず、「どうしてもアンパンマンに託したメッセージを世に残したいとと言う強いメッセージを感じる」とアンパンマンミュージアムの事務局長は言う。

アンパンマンは弱点の多いヒーローだとも言う。顔が欠けたり、水にぬれたりするとすぐに力が出なくなってしまう。「完全無欠ではない存在が、大それた正義でなく、困っている人に手を差し伸べ、分け与えるという身近な正義を実行している。そんな部分が、人々の共感を呼ぶのではないか」とも言っておられる。

漫画家の里中満智子さんは、
やなせさんは何でも本気の人。「子どもだから、こういう表現をしないとわからないだろう」と言う遠慮は一切なくて、作詞した「アンパンマンのマーチ」も「なんのために生まれて なにをして生きるのか」って、すごい歌詞ですよね。むしろ子供が相手だからこそ、ちゃんとしたことを伝えなきゃという思いはいつも感じましたと。

「グロテスクだ」という批判もあったそうですが、やなせさんはめげずに描き続けた。飢えがどんなに辛いか、戦中に自身が体験したからこそ、目の前で飢えている人がいたならば、顔を分け与えるのは当たり前の行為なんだと、信念をもっていらしたと。

アンパンマンは戦いもするが、「分け与える」ことが主になっていると思う。東日本大震災の時、アンパンマンのポスターを、どこでどう使ってもいいからと提供なさって、被災地では「アンパンマンのマーチ」が流れると、子ども達がみんな歌うのを見て、大変な状況の中でも、みんなが助け合い分かち合う。あの時、歌詞の意味を改めて考えさせられました、「分かち合う」ことは、人と人とのつながりの基本と、里中さんはおっしゃっておられます。

不変な人気の、アンパンマンの魅力を垣間見た良い記事に出会い、時代を超えて大切なことは何も変わらないと思うと同時に、子ども達の目はちゃんと見ている、心はちゃんと感じてると、そのことを、周りに居る我々が大事にしなければと思ったことでした。

違う(どこからか言葉が 谷川俊太郎)

違う

小さな
水色の

小さな黄色の
花が
春先の庭の
雑草の緑の中に
点々と
咲いている

去年の春も咲いていたのだろうが
目をとめなかった
今もそれを
じっくり観察はしない
もう小学生ではないのだから

ウクライナと呼ばれる地方にも
きっと小さな花は咲いている
それに目をとめる心と体のゆとりは
誰にもないとしても

巨大で複雑に絡み合う世界に
私たちは圧倒されているが
そのほとんどを言語と映像で知っているに過ぎない
私の目の前で咲いている小さな花は
違う

スマートな社会の果て (小さな新聞記事より・・)

ある日の新聞記事が目に留まりました。(荒井裕樹の生きていく言葉より)

某地のホスピスを訪ねた時のこと。単線電車に延々揺られて目的の駅に着いた。私の前には降車に難儀する高齢の男性がいた。片足が不自由なようで心配になり、降り切れるまでドア付近で待つことにした。

次の瞬間、男性は私をにらんで叫んだ。「なんでそんな意地悪するんだ!」
ぽかんとする私に怒声は続いた。「別のドアから降りればいいだろう!」

どうやら降車に手間取る高齢者に対し、私が「さっさと降りろ」と圧をかけているように受け止められたようだった。

その場では「なんだか気難しい人だな」としか思わなかったが、帰りの電車でふと気づいた。身体の不自由な人は日常的にこうした圧に晒されているのだと。

世間には「スムーズでない人」へ圧が溢れている。電車で人身事故が起きれば、SNS上には「電車をとめた人」への誹謗中傷が飛び交う。かく言う私も、改札やレジで手間取る人をじれったく思うことがある。

こうした苛立ちの底には「社会は円滑であらねばならぬ」と言う義務感があるように思う。この感覚が「私も効率よく動かねばならぬ」という焦燥感となり、「私を滞らせる者」へのいらだちとなるのだろう。

近年あちこちで「スマートさ」が賞揚される。だが、今以上にスマートを追求した社会は「歩調を合わせられない人」にとって超高圧な社会になるだろう。
         (障害者文化論研究者・荒井裕樹の生きていく言葉より)

みなづき

この「みなづき」と言う和菓子。我が家の初夏の定番です。

下がういろうで小豆がのっただけじゃないか?と思われますがとても美味しいのです。スタンダードは下が白いういろうみたいですが、我が家はこの黒糖味が好き。6月中旬にはお茶のういろう版もいっとき出るので毎年楽しみです。

ところで「水無月」は水の無い月ではなく、陰暦では水の月、田んぼに水を引く必要のある月。即ち「無」は「の」を意味する連体助詞の「な」なのであるとお客様に教えて頂きました、ありがとうございました、と添えられた栞を読みながら、ほんわかした気持ちで、みどりの田んぼを思い描きながら、今年も頂きます。

 

お茶を入れる

新茶の季節になりました。
きれいな色と香りに、一瞬でゆったりした空気感にひたれます・・。
10年くらい前の新聞記事だったかと記憶している、その時も結構驚いたので覚えていますし、先日もまたどなたかが仰っていて思い出したお茶の話です。

と言うのは(その10年位前の記事によれば)、ある講演者が小学校?でお話をしたとき、「お茶って自分の家で作れるんですか?」と聞かれたと。「はい」とその演者が答えると「私のお母さんがお茶を作ってるところ、見たことがない。いつもペットボトルのお茶を飲んできた」と。彼女はどうやら、お茶を「いれる」と言う言い方も知らないらしい・・と言うものでした。

その頃、期せずして料理教室の先生に急須を「これはなんですか?」と聞く受講生が居たと聞いた覚えもありました。また、高校の家庭科授業で、急須を直接火にかけようとする生徒もいた!と言う話もその頃聞いて驚いた記憶もありました。

茶畑の多い埼玉だから、五月の新茶の季節になって、新聞の埼玉版には茶どころの話題が満載。しかしよくよく読むと、お茶人気が低迷しているので、紅茶にチャレンジとか、スイーツと手を組みお茶がもっと親しみやすく広まるように・・とか。それはそれでいいとしても、お茶そのものの魅力、文化や歴史をまとう「お茶」の本来の美味しさと魅力を伝えてからじゃないのかなぁ・・と思うのですが、今の時代に合わないのでしょうか・・。

高級茶でなくとも丁寧に入れたお茶には、心和むものがあります。
器や急須を温めてちょっとした時間を置く。その一瞬のことだけでも、フ~ッと落ち着き、いただくお茶がよりおいしく香りよく感じるものです。

とは言うものの、私もティーバッグのお茶も使うし、ペットボトルのお茶も便利に使うことの多い今日この頃。
そんな日々だからこそ、急須で、土瓶で「入れる」お茶はなんとも美味しい。

そう言えばしばらく「茶柱が立つ」なんてこと言ってないなぁ~。それに今まさに新茶の季節を迎え、きれいな色と香りを楽しむ頃。食後のほうじ茶の香ばしさもいいですよね。

最近マイボトルで飲み物持参する方も多いと言われていて、一時はマイボトルを持ってくとお茶屋さんが、入れたての香り高いお茶を分けてくれるサービスを聞いた覚えがあります。でもコロナ禍で出勤も減って、お茶屋さんも少ないし・・で。

お茶だけでなく、コンビニエンスと引き換えに忘れそうなものってありますね。でも「お茶はいれる」と伝えたい。「茶葉」はつくるだけれど・・。そんなことどうでもいいのかなぁ~。なんだかなぁ~。

恐竜研究が新しいステージに入る!?

先日、恐竜ものどの痛み・・云々ご紹介しました。
又プロフェッショナルで見て、北大に小林先生と仰る、素晴らしい恐竜研究のパイオニアがいらっしゃることもしりました。

そうしたら今度は、岡山大学にも、恐竜研究の素晴らしい先生方がいらして、何と恐竜は生ものである!等と楽しそうに仰っておられるのです。
恐竜とは過去に生きていた生物で形しかわからなかった、化石(骨)ととらえられていたが、生物学的な恐竜学として、化石研究が新しいステージに入った!と言うのです。

その根拠は、岡山大学の先生が、恐竜の骨からコラーゲン(タンパク質)を発見されたというのですから・・。モンゴルの化石からと仰っていました。

恐竜は化石(骨)とでしか思っておらず、形しかわからなかったのが、過去に生きていた「生物学的な恐竜」として研究が発展していくようです。

形しかわからなかった恐竜の骨からコラーゲンのバンドが出て、タンパク質が発見されたのですから大変な発見です。タンパク質(アミノ酸)の配列を他の動物と比較したら、マッチする動物は一つもなかったそうです。そして未知のタンパク質が数百も出てきた由。何と言っても一億年経っているのですから・・。想像以上に特別なたんぱく質・・のようです。

恐竜研究と生物学が共同研究すれば大きなパラダイムシフトになり、化石の研究が新しいステージに入ると、岡山大の先生方は目を輝かせていました。

単なる興味本位でしかない私ですが、小学生から、この化石の分野に興味を持つ子供たちが増えていると聞き、なんだかとても楽しみで嬉しい気持ちになりました。ロマンがありますね。

風流のちがい・・

風流と言う言葉。

あまり普段使わないけれど、日本では高揚した美意識の一つと言われています。万葉集では「みやび」とよんで、今でも上品、優雅と言った認識だと思います。

ところがところが・・。
先日クイズのような番組だったでしょうか?お国によっては全く違う意味ですよ!と言ってたので「うん?」と不思議に思って聞けば、中国では「風流」と言えば、→チャラい・好色・・と上品とはま反対の意味で使われると・・。
聞いてみないとわからないことばかりですねぇ。

今季のオリンピック見て、国によって細かに違うことは多々あれど、一生懸命ひたむきに競技に向かう人たちに、心揺さぶられるのは世界共通かもと思ったことでしたが、この、言葉の意味の違い、知らないで使うとえらいことですね。

恐竜も のどの痛み・せき・発熱?

米国で発掘された約一億5千万年前(ジュラ紀)の草食恐竜の化石から、呼吸器感染症にかかっていた跡とみられる首の骨の異常が見つかった。恐竜も人間と同じように、喉の痛みやせき、発熱に苦しんだのかもしれない。米国などの研究チームが科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。

恐竜の化石は、米モンタナ州の地層から出土。研究チームによると、首が長く四つ足の竜脚類の仲間で「ドリー」という愛称で呼ばれていた。

ドリーの首の骨を調べたところ、変わった突起を見つけた。異常に変形した骨でできており、感染症が原因で生じたと考えられた。

骨の突起は、空気が通る「気嚢」と言う器官が、骨の中に入り込む部分の近くに出来ていた。先ず気嚢に病原体が感染し、その後、首の骨まで広がったとみられる。

気嚢は恐竜のほか鳥類にもある。研究チームは、鳥類の病気「気嚢炎」のように、感染した恐竜にもせきや発熱、呼吸困難などの症状が死因になった可能性もある、と指摘している。今回のような感染症は、骨から推測するのは難しい。研究チームには、古生物学者のほか解剖医も参加し、医療用のCT検査装置も駆使して詳しく調べたという。

恐竜化石に詳しい岡山大学の林昭次講師は「CT撮影など最新技術を用いることで、化石の表面だけでなく、内部も観察できるようになり、更に古生物学者が医学系研究者と連携することで、多くの新知見を得ることができるようになった」と話している。

先日プロフェッショナルで、日本人の化石発掘のエキスパートで世界中に有名な小林先生が紹介されていた。世界中の岩場や険しい山をいとも軽々と探し回って、それこそ遠くからでも「これは!」と小さな化石を見つけ出す姿に、ビックリもし感動した。日本でもこの学者の姿を追う若者が増えていると聞き、ロマンな世界だなぁ~と思うと同時に、このような地味な分野を研究する方々を応援する仕組みを心から願う日であった・・。

「コツに頼らないこと」

コツに頼らないこと、いつも白紙に戻すことが、大事だとおもっている。

                         松本隆

折々のことばに松本隆さんの言葉を見つけ、ハッとしました。
続けてこうあります・・。

詞を書く時に「コツで書かない」ようにしていると、作詞家は言う。「こうやったら売れる」という体で憶えた方法論に頼らず、むしろそれをつねに外してゆくこと。不安ではあるが、そうしないと、今人々に足りないもの、つまり時代の「ひび割れ」が見えず、だからその向こうも見えずに終わってしまうと。”松本隆のことばの力”(インタビュー・編・藤田久美子)から。

あれほどの作詞家が・・。フーッとため息つきながら、医療も何もそうだなぁ~と、深くふかく思い感じいったことでした。

 

チャイティーヨーパゴダ/ミャンマー

ビックリ仰天の切り抜きが見つかりました。
あらためてビックリ! ついていた文も一緒にお伝えします。

山の伝承・作家 リービ英雄
あの山は、誰かに連れられて登る山である。
あるいは自分で登るとき、誰かからその山の話しをよく聞いた上で、頂上に向うのだ。あの山は、とにかく、たった一人で登れる、とか、ひとりで征服するのだと思いこんで登れるような山ではない。
・・・・中略。

あの山に登ろうと思えば、 まずは他人の説明を聞き、他人の解釈を読み、自分の頭の中で翻訳しなければならない。
他人のことばに身をまかせながら登るあの山の、頂上にあるめずらしい風景についても、自分がそこまで登りつめたから理解する権利がある、と思ってはいけない。あの山は、謙虚な気持ちになってはじめて登れるのである。

切り抜きせざるを得ないほど衝撃うけた記事。月間の雑誌で始めて拝見し、大勢の僧侶と目をむく岩の姿に、今改めて度肝を抜かれる。何年経ってもこの切り抜きの画像を見ると、心静かに敬虔な気持ちにさせられる。

再びIVY・石津謙介さん

青山三丁目角に、かつてあったVAN!
一世を風靡した石津謙介さんのVANジャケットです。今再び人気がじわじわ・・だそうで、本も売れているのだそうです。

当時はこのアイビールックに身を固め、洒落た紙袋を小脇に抱えて、みんな歩いていました。若々しくて清潔で、カッコ良かったです。

再び人気!?と聞いてなんだか嬉しい。石津謙介さんって、ご自分の考えがハッキリしてらして、それはファッションだけでなく、すべからく筋が通っていたと思います。

一度何かの本で、「いかなごのくぎ煮」を推薦してらして、今まで見た”いかなご”とは見た目が違うので取り寄せてみたら、見た目もさることながら、その美味しさにビックリ!以降くぎ煮はここに限る!と確信、感謝したい気持ちでしたら、石津さんは岡山ご出身でした。

食べること含め、生活そのもの、発言もファッションの一部なんですね。今こう言う方おられるでしょうか・・。懐かしい思い出ですが、今また若い人の目が向いてると言うニュースに素敵なことだなぁと感じます。

 

 

 

 

 

頭の体操

この物体が通り抜ける形はどんな?でしょう。
頭が柔らかくなりますね。 大好きピタゴラスイッチより。

 

ミルポア

ソフリットとも言います。先日銀座のイタリアン・ベットラの落合さんも紹介されていました。

セロリ・人参・玉ねぎをひたすら30分くらい炒めただけで、味も何もつけてませんが、そのままトーストにのせても、付け合わせにしても、煮込み料理にも使えます。今回手を抜いて、ニンジンがちょっと大きめでしたがドンマイです・・。

野菜の甘みをじっくり感じて、思いのほか量も食べられ、ホッとする味です。
バターで炒める方もありますが、私はお気に入りのオリーブオイルで。

セロリが大株で、新鮮で安い時に作ります。
ちなみにセロリの葉は、サッとゆでてから刻んで絞り、ちりめんじゃこか、桜えびと炒め合わせ、ご飯のお供(ふりかけ)を作ります。

ミルポアは炒める手間はかかりますが、炒めてるときに変わるいいにおい、色の変化、音!その時間も楽しいです。お試し下さい。

シルバー川柳(選抜7選・・)

  むせび泣く
  ことはないけど
  むせて泣く

  30回
  噛んだらあごが
  疲れ果て

  さっきとは
  3日前だと
  気がつかず

  歯磨きを
  いやがる孫に
  入れ歯見せ

  百歳の
  患者に秘訣
  聞く主治医

  IPAD
  指舐めスライド
  孫怒る

  寝坊して
  雨戸開けば
  人だかり

パッション

若い頃買った栞(今はしおりなんていわないかな?)。
ブルーもマティスらしくて思わず買った栞。あの若い頃のパッションは無くとも、好奇心持って、面白がって生きていたいと思うけれど。けれどけれどで何もしないのは、ダメですね。

日野原先生99才の折、聖路加の理事長室でお目にかかる機会を頂いた折、前の週ヨーロパにご旅行だったそうで、黒海で泳がれたと!「黒海ですからね、どのくらい浮くのかと確かめたかったの」とさりげなく仰ってビックリ。さぞや周りが大騒ぎして大変であっただろう・・と驚く私達を笑うように、明日は野球チームに行ってやらないと、と軽々と仰る日野原先生でした。

「いくつになっても新しいことを創めなさい」と。

その随分前から「新老人の会」を作られ、お楽しみの会かと思いきや、平均寿命が上がるのに高齢者の健康が若い方の平均データと比較して評価されるのはおかしい!だから70以上の新老人に集まって貰い、楽しい時間を過ごしながらからだの健康データを採りたい!が会発足の真意でした。
そう言えば「医療はサイエンスとアートをどう案配するか」を説いた方でした。

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幸せって何だろう(再掲載いたします)

幸せになりたい、と思って生きてきた。今も幸せになりたい、とおもっている。しかし、さて、幸せって何だっけ?私が口に出して「しあわせ」と言ったのはいつだったか?二日前だ。意外と近い。
友達が遊びに来て、乾杯して美味しいもの食べて「しあわせ~」と言っていた。そう。私が実際、口に出して「しあわせ~」と言うのはお風呂上がりのビールだったり、友達と乾杯して美味しいもの食べた時である。

なんだ。わりと、ささやか。
たとえば、長年かけたプロジェクトが決まった時。「しあわせ~」と叫ぶ人がいるだろうか?「やったー!」とガッツポーズはするかもしれない…また少し違った気分だったと記憶する。

みな幸せになるために生きていると思うのだが(これにあまり異論はなかろう)さて、しあわせを感じる時と言うのは、美味しものを食べた時とか、機嫌のいい日にふわりといい風が吹いた瞬間とか、そんなものではないだろうか?「しあわせ」と言う言葉に大仰な意味を持たせ過ぎでは?幸せの呪縛・・。

もしかして、しあわせは目指すものではないんじゃないか、と言う気がしてくる。何とか日々を生きていれば、それなりに人生を拗ねずに真摯に生きていれば、自然にくっついてくるのではないか?おまけみたいに。

しあわせの瞬間は、いつもささやかだ。客観的に見たら大変な時にだってそれは来る。お腹の病気で三か月入院して二カ月半絶食をしていて、やっと許可が下りてほうじ茶を飲んだ時、本当に美味しいと思った。あれは、しあわせな瞬間だった。退院して帰って来ると、眠っている寝室に、リビングから夫と娘の笑い声がもれ聞こえて来た。今、しあわせだと思った。

しあわせの確約は出来ない。しあわせになるために生きる、とはどういうことだろう、と考えてしまう。

しかし、自分なりに真面目に人生を生きようとする人には、きっとしあわせは、ひょいっと顔をのぞかせるのだと思う。どんな人にでも。
                   あるエッセイより   北川悦吏子

今起きている戦争で、人々のささやかなしあわせ、かけがえのないしあわせが見るも無残に壊されている。じっと言葉少なに見つめる、小さな子供たちの純粋な目は何をどう見ているのだろう・・。