ことばあそびうた🌸また

谷川俊太郎さんの詩・瀬川康男さんの絵・福音館書店刊です

かってくった

いたかったら
いたかった
いたくったが
いたくはなかった

かゆかったら
かゆかった
かゆくったが
かゆくはなかった

うまかったら
うまかった
うまくったが
うまくはなかった

くさかったら
くさかった
くさくったが
くさくはなかった

 

ほっとけ    いつかご紹介済みのをもう一度

いけはほっとけ
こけははっとけ
たけはきっとけ
おけはおいとけ

つけはほっとけ
ふけはとっとけ
はけはほしとけ
かけはまけとけ

ごけはほっとけ
みけはかっとけ
さけはさけとけ
やけはやめとけ

     もう、ほんとに!フフフ・・

リハビリは人間の尊厳の回復である・多田富雄さん2006年

この9月に折々のことば3088・多田富雄さんの言葉を紹介しました。その中に、以前私たちが予防歯科発会の折、基調講演として免疫の第一人者でおられた多田富雄先生の難しいお話しに戸惑いながらも、「サイトカイン」という言葉だけは覚えていて、先ごろのコロナ蔓延でサイトカインストームという言葉に触れ、「あの時のあれだ!」と感じ入ったと書きました。またその後多田先生は脳梗塞患われ、専門部署にご意見申し述べたことを知りその内容知って尊敬申し上げたとも書きました。その記事が見つかったので遥か18年前のものですが、ご紹介したいと思います

・診療報酬改定、リハビリ中止は死の宣告  多田富雄 東京大名誉教授         2006年朝日新聞オピニオンより

私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身まひに言語障害、嚥下障害などで物も満足に食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。

ところがこの3月末、突然医師から今回の診療報酬改定(2006年)で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣告された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。
私の場合は、もう急性期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば動けなくなってしまう。昨年別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50㍍は歩けたのに、立ち上がる事すら難しくなった。身体機能はリハビリをちょっと怠ると瞬く間に低下することを思い知らされた。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかはない。その先はお定まりの衰弱死だ。私はリハビリを早期に再開したので、今も少しづつ運動機能は回復している。

ところが、今回の改訂(2006年)である。私と同様に180日を過ぎた慢性期、維持期の患者でもリハビリに精を出して居る患者は少なくない。それ以上機能が低下しないよう、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流しているのだ。そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るより明らかである。今回の改訂(2006年)は、「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落とすのか」と3月25日に書いている。ある都立病院では,約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。
私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。構音障害が運動マヒより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年経ってやっと少し声が出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生話せなくなってしまう。口蓋裂の子どもなどにはもっと残酷である。この子らを半年で放り出すのは、一生喋るなというようなものだ、言語障害者のグループ指導などできなくなる。

身体機能の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっている。医療費の抑制を目的とするなら逆行した措置である。
それとも、障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者の為のスペースを商業施設に流用した東横インより悪質である。

何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気づいて欲しい。
今回の改訂によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。そして一番弱い障害者に「死ね」と言わんばかりの制度を作る国が、どうして「福祉国家」といえるのであろうか。

以上2006年4月8日朝日新聞オピニオンより
多田富雄 1034年生まれ。医学博士(免疫学)「生命の意味論」「独酌余滴」   等著書多数。

脳梗塞の後遺症と闘いながら、ご自身だけでなく人々のことを考え、人間の尊厳に言及し、国の策を憂いてこのような発信なさったことに頭を垂れます
この20年近い間に、病に伏す方々に光は当たるようになったのでしょうか?先日引用しご紹介した「医のアート」にも、医療はプリンシプルと現実のハーモ二イ、かみ合い。プリンシプルを立てる。そのプリンシプルを適用する時はいつもインディビジュアル(個別的)と1997年日野原先生、犬養道子さん共著の本にもありました(先月23・24・25日ご紹介しました)

体幹の大事さ みんな共通

長野五輪メダリストの清水宏保さん
最近はパラアスリートの方々との交流が増えてらっしゃると聞きます。今年のパリパラオリンピックでの選手の皆さんすばらしかったですね。深夜の放送でしたが時間忘れて応援してしまいました

清水さんおっしゃるには、体をひねることで、スピードやパワーが生まれるそうです。パラのトップアスリートは、手や足の動きが不自由なことが多い分、このひねりへの意識が高く言い方を変えると、体幹が強いのだそうです

体幹の強さは、パラアスリートだけでなく、健常者にも必要です。それはアスリートに限ったことではありません。一般の方にも、そして高齢者にも必要だと言っておられます
体幹と言うと、腹筋をイメージする人が多いと思うが、清水さんが大事だと思うのは、肋骨と肋骨の間にある肋間筋だと

椅子に座った状態で、自分の体ななめ後ろに45度ひねってみて下さいと。
その時に引っ張られる感じがするところが、肋間筋だそうです。あばら骨の間に筋肉があるそうです。多くのパラアスリートの活躍の秘訣は、ここにありそうだとおっしゃっています

この筋肉を鍛えると、たとえば転びそうになった時、バランスをうまくとれるようになります!の言葉に私も刺激されました。座った状態で出来るので、気楽にできそうです

パラアスリートを知ることは、高齢者の方々に分かりやすく体の使い方を伝えるヒントになる、そんなことを気づかされていますと言う記事に、アスリート清水さんのやさしい眼差しを感じました。これならやれそうです
「転んだら終わりよ!」私のそんな毎日に、いいこと伺いました♪
やってみましょう!

一生懸命だと

一生懸命だと 知恵が出る

中途半端だと 愚痴が出る

いい加減だと 言い訳が出る

そうだった・・そうだった、わかっちゃいるけどなんとか・な私
そう言えば、前にもここに同じ事書いたかも・・💦(言い訳)

ひとはどう生き、どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」③

②より続く(以下犬養道子氏・日野原重明氏 以下敬称略)

日野原・それを科学が補強するんです。それで、ウイリアム・オスラーがいったことは、「メディシン・イズ・アン・アート・ベイスド・オン・サイエンス」。医学はサイエンスに支えられたアートであるといったのです。論文を書く時にはどうしてもサイエンスが前面に出ないと格好がつかないから、論文ばかり書くのに熱中してると、臨床が出来ない医者やナースができてしまうことになる。そのときには、ケアがおろそかになってしまうんです。

犬養・英語にビー・ケアフルという言葉がありますね。

日野原・ええ。

犬養・ケアフルというのは、たとえば、子供相手にだって使うわけでしょう。ケアという言葉は、この聖路加看護大学の新館の磁石に書かれている言葉に通じるものでしょう。「愛」というとちょっと日本人にはピンと来ないかもしれないけれど、昔の言葉でいえば「御大切」なのよね。切支丹は「愛」を「御大切」と呼んでいました。

日野原・そうですね。

犬養・他人さま(ひとさま)に対しての「御大切」ということを考えれば、全部ケース・バイ・ケースになりますね。そこに一つのプリンシプル(原則)も通る。むしろプリンシプルの上に立つ、といった方が良いと思いますが、プリンシプルと現実との二つのハーモ二イというか、かみ合いでしょう。これが、いつか、いつの時代でも私は、人間のリアリティだと思います。

日野原・プリンシプルを立てる。そのプリンシプルを適用するときは、いつもインディビジュアル(個別的)。

犬養・そのとおり。

日野原・人によって違う、相手によって違う、時期によって違う、タイミングも違う。例えばガン患者にインフォームド・コンセントを得る時にも、何でもすぐにほんとうのことをいうのではなく、その人が受け入れられる態勢にあるかどうかをよく打診した上、タイミングよく情報を与えるに適切な表現の言葉を考える必要がある。

犬養・そうそう。

日野原・しかもステップ・バイ・ステップなんです。そういうことを考えることがアートの中に入って来る。

犬養・そうです。それがアートであるためには、その人がやっぱり人間としてまず成熟しなくてはいけない。

日野原・ところが、いま、日本でお医者さんになる医学生の入学選考には、偏差値のことばかり考えなければいけないから大変なんです。教養(リベラル・アーツ)をなくし、楽しい若い日の生活を犠牲にして進級させているところが多いのです。高校をでて、医学校に入って、二年、それから四年の、六年勉強しなければならない。
アメリカは、リベラル・アーツでもサイエンスでもいいから、何でもいいから大学を出なさいとなっている。出てから本当に医療にいきたい人は医学に進めばいいのです。医学はすべての教養がすんでから。
日本で医学部に入った若者には、ヒューマン・タッチなんかまるでわからないですよ。だけど、いま日本でも、自分はソーシャル・ワーカーになって病院にいったけど、お医者さんの行動を見て、やっぱり医者になりたいと思って医学部に入るとか、小学校の先生をしてたけど、医者になりたいから医学部に入るとかの人が出てきた。大人になってから医学をやりたいという方が本物かもしれないですね。ハーバードの医学校に入る学生は、みんなちょっと歳が言ってるんだそうです。そういうキャリアのある人を面接で医学生としてとるというんです。そのような受験者には動機づけがあるから。

犬養・ベッドで寝ている、苦しんでる人の事はわからない、人間的に成熟しないかぎり。
欧米が全ていいというのではないけれど、自分の体験からして、日本はもっとアメリカとかヨーロッパのやり方を謙虚に取り入れる必要がありますね。それは崇拝とか西欧一点張りとかとはまったく違います。アメリカ・ヨーロッパには、もっとヒューマンなものがあるのですから。

日野原・そうです。

犬養・もし人間としてのタッチがあるならば、この人の御一生というものを御大切にして、死期が迫っているということをどういうふうにいうかを真剣に考えることができる。一人の人の一生のけじめをつけてあげる。そのときにはモルヒネを使っても言い、家に帰してあげてもいい。

日野原・患者を介抱するとはどういうことかを、正岡子規が「病床六尺」に書いています。「看護とは」「介抱とは」と書いているんです。精神的看護と形成的看護の二つがある。精神的な看護がないと、形式的だけではだめだと正岡子規は書いているんです。それから、夏目漱石も「思ひ出す事など」の中に、「私は昼、夜を通して看護をしてもらって、吐血から助かった。私は病むことによって生き返った。これからは善人になろうと決心した」というようなことを書いているんです。

犬養・いい言葉ですねぇ。

日野原・ケアをうけた病の体験が漱石を変えたんですね。こんなに若い女性が自分の介抱のために挺身してくれたということに感動して居る。
それから、そういうケアのことは福沢諭吉も「教育論」の中に書いています。

以上「人はどう生き、どう死ぬのか」第一部・医学はアートより抜粋・日野原重明・犬養道子著 1997年発行岩波書店

ひとはどう生き どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」②

①より続く(犬養道子氏・日野原重明氏 以下敬称略)

日野原・日本においては特にそうですよ。これは医学の専門家が一般の人々や患者に情報を提供しないから批評が出来ないんです。ところが、芸術は聴いた人や見た人のアートの批判力が育つような雰囲気が出来てきたわけです。だから、私はいまの日本にもう一度医術を、すなわち医の臨床のアートが一般の人から批判を受けて、そのことで医術を進歩させたいのです。
さて、医の臨床の術には、その基礎にハイサイエンスとハイテクノロジーの科学が必要です。そこで病む人間にサイエンスとテクノロジーをどうタッチさせるかという技がアートなんですよ。ところが、いまは、タッチをしないで、サイエンスとテクノロジーをとにかく患者に与えればよいとなっている。誰にでも同じことを無差別に与えるような乱暴なことをして、受ける人がどんなフィーリングを持つかということを考えない。うけ手の事情を考えないで、ただただ与える。

犬養・いま、先生はタッチと言う言葉をお使いになったけれど、もっと単純な日本語で言うと「手当」ですよね。

日野原・はい。そう。

犬養・そして、手当てをするときには、相手がやけどをしている人とやけどをしてない人では、手の当て方が違う。

日野原・そうです。

犬養・だから、非常に素朴な次元においても、日本にはさっきおっしゃったような考えはあったわけです。ところが、いまは「手当て」ではなくなってきているのではないかしら。

日野原・日本で「看護」という言葉の前にあったのは、「介抱」という言葉です。

犬養・そうそう。

日野原・まず「介抱する」という言葉があるんです。その介抱と手当てをどう英語に訳すかと言うと「ケア」なんです。看護婦さんがやる場合には、ナーシングケア、医者がやる場合にはメディカル・ケア。この「ケア」という言葉はまさに「テイク・グッド・ケア・オブ・ユア・セルフ」。あなた自身があなたの体をコントロールして、健康になって下さいと言うことなんです。そのケアという言葉は1920年頃から医療界に出てきました。
それまではそういう言葉はなかったのを、ピボディと言うボストンのハーバードの医学校の教授が、医療で大切なことは患者へのケアだということを「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」という医学雑誌に論文書いたんです。それが最初。
ナースの方はそれからさらに遅れて、ナーシング・ケアという言葉が使われ始めた。日本では看護と言うと、看護大学の先生たちは、看護学と言ってくれと言うんですが(笑)、看護と言うのは、ケアそのものでしょう。

犬養・その通りです。「学」では困るんです。(③に続く)

 

ひとはどう生き、どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」①

1997年6月出版されたこの本は、当時衝撃的で、折に触れ開いては、ため息つきながら大事に読んで参りました、この本の企画は犬養道子さんが思いつかれたと日野原先生があとがきに書いておられます
ハイデッカーの言う「最期の死への挑戦」であり、老人にとっては、ヘルマン・ヘッセの言った「老いへの成熟」の姿だろうと。ここに取り上げられた問題のいくつかが、読者諸氏により、解決を早急に要する現実の問題として広く取り上げれればよいと思うとあり、特に医と医療をめぐる問題のいくつかが、深く掘り下げられて考えられ良い方向に変えられることを願ってやまない・・ともあります

僭越ですが、この中の第一部・医と医療をめぐる対話に「医学はアート」があり、その部分の抜粋を三回にわけてここにご紹介いたします。1997年のものです

医学はアート①(以下犬養道子さんは犬養・日野原重明先生は日野原と敬省略)

犬養・今日の対談のテーマではないのですけれど、「医と医療と医学」が総合して初めて「全人的」になると思います。そして、繰り返しになりますが、患者はみんなユニークな、個別的な人間であるということです

日野原・ヘルスと言う言葉は、古いアングロサクソンの言葉(古代英語)では、ホール(hal)からきてるそうです。halと言うのはwell(健康な)という意味です。それが中世ではhelthとなり、近代英語ではhealthとなったと言われます。またこのhalからwhole(全体)やholy(聖なる)という言葉がつくられたとのことです。ヘルスというのは臓器一つの事ではない、手の一本ではない。そこには全体がある。心と体を含む全体と言うのが、ヘルスすなわち健康の一番の語意なんです。
いま、あなたは、医と医療と医学と言われたんですが、日本でもともと一番ポピュラーだった医に関する言葉は医術です。医術は医のアートの事です。

犬養・そのとおりです。

日野原・医学部と言うための医学という言葉はあったけれど、医術と言うのが一般的だった。

犬養・術と言うのはいいですね。

日野原・そのうちに術を使わなくなって、医学一点張りになった。英語ではメディシンと言う言葉が最初にあった。薬もメディシン、医学もメディシン。さらにそれが科学的になってくると、メディカル・サイエンスと言う言葉ができてきた。それでもギリシャのころから、西洋には、医術と同じような言葉があって、それがアート・オブ・メディシンです。いや、正確に言うと、「アート・オブ・プラクティス・オブ・メディシン」。多くのアートがギリシャにあった、絵のアート、音楽のアート。医のアートもその一つだったんです。
アートは批評を伴うものです。音楽は批評され、絵も批評される。だから音楽や絵画は進歩する。音楽家のパフォーマンスも上手になっていく。

ところが、二千五百年前にギリシャの医術の祖と言われたヒポクラテスは、世の中には多くのアートがある中で、アート・オブ・メディシンが一番貧困だと言ったのです。なぜならば、他のアートは批評家を作ってきた。自分は弾かなくても、聞く耳を持ってる人がいた。これはすごい絵だと、見る目を持っている人がいた。そういう芸術はそれぞれ批評家を育ててきた。ところが、医のアートは、受診者にあまり情報を提供しなかったから、批評する能力のある人が育たなかった。それで医術の発展がプアだったと言ってるんです。

犬養・なるほど。

日野原・それが今でもずーっと続いてる。医療は何度も反省されてきたんだけれども、なかなか改善されない。日本においては特にそうですよ。(②につづく)

谷川俊太郎さん

真っ青な空に銀杏の黄色も美しい日に、谷川俊太郎さん死去のニュースが飛び込んできた。一昨日、月一回の書下ろしの詩が掲載され、読んだ私は胸騒ぎをおぼえたばかりでした・・

感謝

目が覚める
庭の紅葉が見える
昨日を思い出す
まだ生きてるんだ

今日は昨日のつづき
だけでいいと思う
何かをする気はない

どこも痛くない
痒くもないのに感謝
いったい誰に?

神に?
世界に? 宇宙に?
分からないが
感謝の念だけは残る   

     「どこからか言葉が」谷川俊太郎 11月17日朝日新聞掲載

 

・以前、このブログに武満徹のPOPSONGS、石川セリ歌唱のCDから「翼」ご紹介しました。そのCDには谷川俊太郎さんの「死んだ男の残したものは」「恋のかくれんぼ」「見えないこども」の他、この歌ものっていて大好きな一曲です。ご逝去を知って谷川さんのこの歌を辿りながら ファンとして私もたくさんの感謝を捧げたいと思います。

うたうだけ

むずかしいことばは
いらないの
かなしいときには
うたうだけ
うたうと、うたうと、うたうと
かなしみはふくれる
ふうせんのように
それが わたしの よろこび

なぐさめのことばは
いらないの
かなしいときには
うたうだけ
うたうと、うたうと、うたうと
かなしみはふくれる
ふうせんのように
それが わたしの よろこび

アゲハの遺伝・10歳の昆虫博士の話

びっくりしたぁ~と言うより、たまげた!というのがふさわしいかも・・だって
小学校5年生の男の子が、国際昆虫会議でポスター発表し、英語で質問に答えてる!この小学生可愛い!すごいー!

長井丈君10歳・神戸の小学5年生
何でも「アゲハの幼虫の記憶は、成虫やその子孫に遺伝するのか?」がテーマの研究だとか・・

もとはと言えば、レモンの木にアゲハが卵を産み、幼虫からサナギになるのに死んでしまうという経験から関心持ったらしい・・
アレっ?誰かの話に似てるなぁ~。

と言うのも、以前診療室のベランダに、食べたグレープフルーツの芽が出てる種を植えたことがあり、芽が伸びて枝ぶりも立派な鉢植えとなり、気がつけば黒い糞のようなものが沢山あって、それがあっという間に青虫になり子供たちが面白がっていました。青虫に葉っぱ食べられて、グレープフルーツの木は裸ん坊になりそうこうしてるうちに、壁に幼いアゲハが、飛び立つ練習をしているのを見守った経験を思い出したからでした・・

この丈君は、それでは終わらない・・
一年生の時、僕とチョウチョの35日間というレポートをし
二年生では、アゲハの過齢幼虫(5~6回も脱皮)の大発見をし
三年生では、育てた蝶を離しても自分の周りを飛んでくれるが、野生の捕まえた蝶は自分の周りを飛んでくれない、なんでだろうの疑問持ち、記憶では!と思って、幼虫の時にラベンダーの匂いをかがせ、触る代わりに低周波をあてて記憶するようにしてみた!と。スゴイ~!

その理由がおもしろい。ママが片頭痛で、僕もそう、おばあちゃんもそうなんだよ・・と。アゲハを1世代から3世代まで飼育し、交尾させ研究に励んだらしい・・スゴ過ぎて言葉がありません

幼虫時に、ラベンダーの匂いと低周波をあて、嫌な事がある!と記憶させた結果、成虫の68%とその子孫もラベンダーの匂いを避けたそうです
その結果、アゲハも記憶は遺伝すると思うと結論付け、幼虫も可愛いけれど、成虫に遺伝するとわかってもっと好きになりました・・とにっこにこ笑顔でした

将来は生物学者になりたい、困ってる動物や人間を助けたいんです・・と、どこまでも目がキラキラ笑顔の丈君でした
最期にママが出られて、実験装置などお手伝いしたんですか?の質問に答えて「百均に連れてって、本人に考えさせ、自分で作るように促しただけ・・」とサラリとお答えになりました、拍手!

追記・何故あえて蝶の話題と思いましたが、最近よく、と言うより、今まで気づいてなかっただけかもですが、何かの時に「アレっ?蝶々だ」とアゲハが近くを舞うのに遭遇することがあり、友人にも「アゲハが来てるよ」と指摘されることも多くて、なんだか最近アゲハとご縁があるなぁ、不思議だなぁと思っていたので余計この丈君の着眼点と、10歳の素直な気持ちが繋がった研究に驚きながら、親近感持ったことでした
将来の生物学者目指して、丈君頑張って下さい!

滑舌体操に 若隆景

超高齢化社会の日本 
認知症予防には・・何々を食べる・・、毎日1000歩歩く!腸内細菌・・云々、テレビでも新聞でも、雑誌でもあ~ぁ忙しい・・!
唯一私の続けてること、早口言葉です、それも決まったものだけですが、よく
このブログにも書かせて頂くので、皆さま呆れておられるかもしれません、言うほどはやってないのです、ええ加減がいい加減だと勝手に思っている私

それでも何年前!?この「若隆景」がテレビに出た時にはビックリしました。なぜってアナウンサーが言い難そうにしてましたからねぇ(笑)
思わず「何?」って見ちゃいましたし、自分で言ってみて「こりゃアナウンサー泣かせだわ」と思ったものです
なので、日に一回実践のパタカラ体操(滑舌予防)に「若隆景」を加えてみました。難しいわぁ、こりゃアナウンサー泣かせというより、イジメかもです

そしたらこの度届いた九州場所番付表みて、東西の上から順に発音してみたら、「若隆景」どころか難しい四股名のオンパレード!
「一山本」「錦木」「錦フジ」「尊富士」・・

「美ノ海(ちゅらのうみ)」を「チラのうみ」と発音した自分に笑っちゃいました。こんな身近にいい教材があったんだぁ~と上から順に読むことにしました。いつまで続くか「?」ですが、やらないよりやった方がいいに決まってるので、少しでもおもろいやり方がいいかな?と。どうぞ皆様もよろしかったら、番付表発音してみて下さい、疲れますよ~でも、有効じゃないかなぁと確信します

そう書いている時丁度、若隆景と美ノ海の対戦、アナウンサーもどなたも若隆景の名を言う時には、一瞬ゆっくりのような気がします、ですよねェ
「若隆景」は前頭ですが、発音の難しさにおいては横綱です💦!ファイト!

4・4・8呼吸法

あっ、またやって下さってる! 4・4・8呼吸法
と言うのも、前にも紹介している番組見て、これはいいわ!と二三日やって、相変わらずの三日坊主で中断してたものでした・・

緊張をほどくのにとてもいいらしく、血液を全身に届けますよ・・と優しそうな先生が伝授されていました

4数えて息を吸って

4数えて息を止めて

8数えて息を吐く

これだけですが、やってみると結構大変!
歳とともに、吐く力が弱ると言いますからね。これを機会に忘れないように続けてみたいと思います。 フーッ!

山藤章二さんを悼む  東海林さだお

暑さが残る中金木犀も咲いたりする今年の秋、著名な方の訃報が届く猛暑後でした。9月30日に亡くなった山藤さんへ寄せられた、東海林さだおさんの追悼文です

山藤さんはまっすぐにものを見る人だった。
まっ直ぐに物を見て、まっすぐに表現する人だった。
小細工はしない。
だが”ズケズケ”と言うのともちがう。
歯に衣着せぬ、と言うのとも違う。
ありのままをありのままに表現するのだが、ありのままをどう捉えるか。
そこのところに”山藤流”があった。
山藤さんは相手を鋭く指摘する。
批評はとかく切り捨てゴメンになりがちである。
山藤流はそこのところを独特のユーモアにもっていく。
ユーモアに持っていくので、鋭く指摘された人の心は緩む。
緩んで安心する。
安心するのでつい頷いてしまう。
頷いたついでに、つい、ニヤリとしてしまう。
自分の事なのに、つい、ニヤリとし、苦笑し、その苦笑が,いつのまにか。肯定の苦笑になっている。
山藤さんは自分のことをしばしば「戯れ絵師(ざれえし)」と称していた。
世間一般で言うならば「イラストレーター」。
それをわざわざ「戯れ絵師」。
「戯れ」るは「ふざける」。
「絵師」に至っては何をかいわんや。
まさに江戸時代?鎌倉時代?
そういう反逆精神を常に忘れなかった。
忘れなかった、というより、心掛けていた。
山藤さんには世間一般ではあまり評価されていない一面がある。
あまりに当たり前なるがゆえにみんなが気がつかない面。
それは山藤さんの描く似顔が本人によく似ているということ。
実によく似ている。
当代随一、天下一品、唯一無二。
こんなこと(似顔が本人に似ている)をわざわざ書くのは、本人に似てない似顔を描いて平然としている人がいかに多いか、ということを言いたかったからである。
そしてまた、本人に似せて描くことがいかにむずかしいか。
本人に似せて描くことがいかに研鑽が必要か、ということを言いたかった。
そういうことを含めて、山藤さんは”さりげなさ”を大切にしていた、ように思う。
大げさを嫌った。
大げさは粋じゃない、と思っていたような気がする。
「戯れ絵師」はいかにも時代にそぐわない。
そぐわないし大げさである。
そぐわないし、大げさと知りつつ戯れ絵師を名乗る。
只者ではない。
また一人、「只者」が消えて行った。残念。

ビックリ!パリのメロンパン・ドバイの焼きそばパン

ヒェ―ッ!
パリのパン屋さんで、皆が日本のメロンパン買って食べてる!
しかも、アレンジがいっぱいあって、どの方も「美味しい美味しい」と
更に、ソーセージパンやら、カレーパンも大好評!

そしたらもっとビックリ!
次に出たパン屋さんの一番人気は、な~んと「焼きそばパン!」
こちらはドバイのパン屋さん、経営はなんとドバイのイケメン殿下!
もう、ビックリマークばかりですみません

アッ!(またビックリマーク)そうだ5月にアップしたデーツだ!と気づきました。なぜって焼きそばパンって言ったら、ソース焼きそば?
繋がりました!デーツ!

5月に私の大好きな「デーツ」のブログ書いた時、日本のソース会社の方がイギリスのウースター州訪問した際、ソースにデーツが使われていると知り、日本のソースの甘みに使っていた砂糖を→デーツに変えたという情報とぴったんこ合いました。

なぜって放送で焼きそばパン一位の、パン屋さんを経営するドバイの殿下が「デーツの甘みを使ったおたふくソースを使った焼きそばだから、ドバイの人に親しみがあるんですよ」と言ってるじゃありませんか?納得!にっこり
デーツ好きとしては、それが日本のソースの甘みに使われ、そのソースを使った焼きそば挟んだ「焼きそばパン」が、はるかドバイにつながるとは思ってもいませんでした。ハナマルのご縁ですね、
なんだか超嬉しい「デーツ縁」でした!(ビックリマークだらけすみません)
いやはや本当にビックリ! 繋がるなぁ~

折々のことば 3248

日本人だけが安全で豊かなことって、ありえないんですから。
                     緒方貞子

元国連難民高等弁務官は、国家の安全は社会の安定なしに確保できないと語る。ある社会集団ばかりが不公正な状況におかれることがテロや紛争の温床となる。日本が国際的な安全に依拠しつつ経済大国となったことを考えれば、国際社会でいま果たす役割も見えてこようと。
2001年のインタビューの再放送(NHK・Eテレ「テロはなぜ生まれるのか」10月2日)から。

チェロの堤剛さん 文化勲章受章!

8月26日付、チェロの堤剛さんの、ドボコンの放送を楽しませて頂いた記事をここに書き、随分前のお若い頃の再放送でしたがこれぞ!ドボコンと感動したと書かせて頂きました。そうしたら、この度の文化勲章受章の報!!何と嬉しいことでしょう

日本の音楽界全体を牽引し現在は霧島国際音楽祭音楽監督、サントリーホール館長でも居られます
「音楽は人間の心に内なる豊かさを育み、多様な背景を持つ人々の心を繋ぐ架け橋となります」と堤さん
亡き・小澤征爾さんらと後進の育成に奔走、今日本のチェロ界は個性、技術とともに充実の極みにあります「今の若いチェリスト、誰一人似た人がいないでしょ」と相好を崩し、若い作曲家から今も新作を託される日々だそうで、好奇心が先に立ち、嬉しくて挑戦をやめることができないとおっしゃるそうです

先日私が感動した、お若い頃の堤さんのドボコンとともに、いつぞや「題名」で放送された円熟味を増された今日の堤剛さんの演奏が、再放送なることを心から願います。
文化勲章受章おめでとうございます♪

川柳のらりくらり お題・虫歯

たまたま知り合いのところで普段見ない週刊誌をパラリと見たら・・
落語家・柳家喬太郎さん選の川柳コーナーが!
偶然お題は「虫歯」!

・歯医者さんが悪魔に見えた幼き日 (広島県・65歳)

・明日抜くと言う歯を舌で舐めている(千葉県・94歳)

・一睡もさせてくれない蚊と虫歯 (大阪府・82歳)

・カトチャンの歯ぁ磨けよを聞いとけば(静岡県・74歳)

・虫歯でもいいから欲しい自分の歯 (北海道・94歳)

☆彡今週の特選句!
・自然治癒しない虫歯と夫婦仲 (千葉県・75歳)

   以上選ばれたのは何故かすべて男性の句のよう。ご高齢の方が多く、のらりくらりと投稿なさるだけでも素晴らしい!気持ちがにじみ出ていて全部ハナマルですが、全てお気持ちお察し致しました・・ハイ

おかゆ大福

先日「あんこ愛」というブログあげたものとして、この記事にはビックリしました、と同時にご高齢者などに喜ばれるだろうなぁ~と直感しました

高齢者が超高齢者となり、口から食べることへの関心高まるわりには、なかなかお食事への対応が進みません、いえ、進んでいる所はすっごく進んでいるのですが、全体がその認識になってはいません

お食事がそれですから、ましてやお楽しみの和菓子に至っては、今回のようなご提案は耳に入ってきませんでしたからビックリ、介護の現場で大歓迎だと思います

先日「あんこ愛」を書いたように、ご年配者に限らず闘病中の方、特に甘みを制限されている方を除けば、大概「甘いもの特にあんこ」はみんな大好きです、
特に男の方は・・

前文が長くなりました(いつものことですが)
戦国武将・藤堂高虎の城下町、三重県伊賀市の総業400年余りになる和菓子店の18代目、もう一つの肩書が、市の災害ボランティアセンター長である中村伊英さんが「のどに詰まらない大福」を作ったそうです
食品による窒息死は年4000人以上も報告され、高齢者に多いそうですが。中村さんの祖母の弟さんも、お餅がのどに詰まって亡くなったことから「安心して食べられる和菓子を作れないか」と工夫されたとか・・
粘り気の出るもち米を使わず。うるち米の粉や寒天でこしあんを包むと、口中でほろりと溶けた、それで「おかゆ大福」となりました
販売から8年、全国の介護施設約500か所に広がってるとのこと、ちっとも知らなかったです、迂闊でした・・
「ゼリーや水ようかんしか食べられないとあきらめてていた」感謝の声が届いているそう、良かったですね。ハナマルです💓

市民活動を支援するNPOの立ち上げを考えていた頃、阪神・淡路大地震が起き、ぜんざいを振る舞おうと、小豆を持参して避難所での餅つきを考えた中村さん、「反発されないだろうか」恐る恐る始めると、お祭りのような雰囲気に
「災害からひと月ほどすると、甘いものが食べたくなる。お菓子の力を見た気がします」・・と中村さん、良かったですね。

今年2月には、能登半島地震の被災地の介護施設を車で回り、おかゆ大福を配りながら。被災者の声を聞いた、今も月に一度、10人乗りのレンタカーを運転し、ボランティアと7時間かけて通ってらっしゃるとのことです
「人間らしい日常生活を取り戻すということでは、ボランティアも、お菓子も、目指すものが同じです」と.。誤嚥に配慮した「おかゆ大福💓」
召し上がった方にどれほど笑顔と、ホッとなさる幸せをお届けしたことでしょう
すばらしいご活動、少しでも多くの方に召し上がって頂けますように、素晴らしい方がたくさんおられますね。思っていても動かねば・・と反省です

以前ここに、バイオリニスト廣津留すみれさんがアメリカ留学中に「意見を言わないのは、居ないのと同じです」と言われ衝撃うけた・・と言う記事を書きました。おかゆ大福考案され、広められている中村さんもまさに、信念もって行動に移された方、人を想う信念には人々の共感が伴うんでしょう、素敵なお話しに目を覚まされる思いがいたします

同じ月を眺めている

猛暑の後、まだまだ暑い中にも秋は来たようで、お月さまが冴え冴え見えます
スーパーのチラシにも、いきおい十三夜の案内やお月見団子の案内など、にぎやかです。今はご自宅でお月見団子を作るのも珍しんでしょうね・・
先日はスーパームーンとやらでしたが、曇りだった上、いつもと同じでした

でも、夜空を見上げると、金色の輝きを放つ月が、私達のことをいつも見守っています。幾千もの星の輝きを見ることが難しくなった現代であっても、月は変わることなく私達を照らしてくれていると感じます

月かげの
いたらぬさとは
なけれども
ながむるひとの
こころにぞすむ

大好きな歌です

あんこ愛

我が家には絶大なるあんこ好きが居て、魅力的なあんこに目がないのです。どら焼きは上野のうさぎや、あんみつはミツバチ、豆大福は群林堂、最中は空也・古印最中、どちらかと言うと「こしあん」好みですが、もちろん粒あんも大好きです。な~んだどっちだっていいんじゃない・・と言われればそれまでですが・・

いつぞや「あんパンとクリームパンどっちが好き?」と言う記事があり、「何言ってんのアンパンに決まってるじゃない」と思ったら、やっぱりアンケートとったら71%対21%であんパン好きの方が多かったそうです、にっ!
・あんパン食べるとホッとする
・あんパンは一個でも安心の満足感、忙しい時はあんパンと牛乳で決まり!

あの人もあんパン好きだったらしい、食に詳しいジャーナリスト重金敦之さんは「あんパンのへそ」と題してこう書いています
< ところで銀座のパンと言えば、誰でもが四丁目にある木村屋総本店のあんパンを思い起こすはずだ >
あんパンは日本初のパン屋、木村屋がつくったとされる。1875(明治8)年に明治天皇へ献上、天皇は「御感斜めならず」と返す。<  もってまわったいいかただが、要するに「気に入った」ということ。これが契機となって、日本中にあんパンブームが巻き起こった  >
やっぱり我々日本人「あんこの国」「あんこの民」なのだろうか・・

この後記事では、対するクリームパンは新宿中村屋が最初に作ったとされる云々・・続くが、あんこ好きとしてはここまで・・

里の父も大好きな木村屋のあんパン、父は桜の塩漬けがのったのが大好きでした。美味しいねぇの言葉に折々持参、最後の入院の時ロマンスカーに乗る直前デパ地下に飛び込み「桜あんパン」買ったものです。「随分小さくなったねぇ」。他の認識乏しくなってもあんパンの大きさにはすぐ気づき、細くなった手で、いつものように半分に割って、鼻を抜けるパン酵母のにおいに目を閉じて満足そうに頂くのでした・・「美味しいねぇ」いつものように言ってくれたことが家族みんなにご褒美のように耳に残っています
ほどほどの桜塩漬けの塩味と、美味しいあんこ、そしてパン酵母のにおい、ホッとしたんでしょう
みんな大好き、あんこ!

この新聞記事には、明治天皇の「あんこ愛」とありました
そう言えば高輪の高松宮邸そばに、松島屋さんと言う、豆大福の有名なお店がありますね、赤い暖簾だったかしら、しばらくご無沙汰の昨今です・・
おいしいお茶入れてあんこ食べましょう、何にしようかなぁ~

明日は明日の風が吹く

La  nuit  porte  conseil (夜は忠告をもたらす)
                  フランスのことわざ

田辺貞之助編「フランス故事ことわざ辞典」によれば、「何か重大な決定をするときには、すぐに決めずに、一晩落ち着いて考えろという訓え」重要な決断は即決しないで一晩塩漬けにして待てということだと

「夜は思案の母」「枕と相談せよ」とも言うらしい(折々のことば・鷲田清一)

たしかに、反省反省・・
猛暑の後ストンと肌寒くなり、ようやく秋晴れ、冴え冴え現れたお月様にハッとします。日に日に変わる自然や空気、大事にしなきゃもったいない、もったいない・・大事な時間

 

再び、アルフォンス・デーケン先生

喜び、悲しみ、苦しみを
分かち合う人間関係がないと
いらついたり、むかついたりする

喜びも人に話せば二倍
悲しみも人に話せば二分の一になる
周りの人は有難い 
             

朝日歌壇「番外地」選者・馬場あき子さん

馬場あき子さん選の時は、いつもクスッとしたり、ユーモアのセンスになんかいいなぁ~と拝読。猛暑の夏の終わり、セミの声も聞かなくなった頃の人生の達人の真面目とおかしみと、あります

・本名です結婚以来名乗ります「かいじゅう」なのです驚かないで 
                          海住 秀子
   「驚かないで」と言われれば驚かないが、いきなり「かいじゅうです」と名乗られたら耳をうたがい、「えっ」と顔を見てしまうだろう。「海住」の文字でやっと納得。次にすぐ友達になりたくなるにちがいない。実に魅力的なお名前だ

・長男の帰省する度知らぬ貌ポールスミスのパンツを洗ふ 
                          斎藤 紀子
    このお母さん、結構楽しんでいる。息子のブランド趣味を通してその心の世界を除いているのかも。ポールスミスはイギリスのファッションブランド。オシャレだなァ。家で手洗いしていいのかなあ。どんなパンツだったのだろう

・家のみで〆の焼きそば振る舞えば上品な味やねとソースかけられて
                          山田 啓子
    この家飲みの場面は親しい人々の賑わいの中でのこと。下句が断然面白い。啓子さんが振る舞った〆の焼きそばは、関西風の味だったのか。客の一人が「上品な味やね」とほめたそばからソースの入った器を取ってじゃーっとかける。「あっ」と思う日々の顔が見える。

選外ながら・・とユーモアあふれる短歌を目にして、またこれらを選ばれる馬場あき子さんのセンスにこころがふわっとしました。ほっこりハナマル!

小田凱人君、金メダルおめでとう!

昨晩テレビで放映あるかなぁ~と、BSのフジ子へミング特集見ながら探していたけど見つからず、それでも眠い目をこすってチャンネル移すも見当たらず!エ~ッ!こんな大事な時に放映ないんだと、ブツブツ言ってたら少しして、小田選手金メダル!とテロップ出て、バンザーイ!

準決勝に進む前も、「金メダル取るために来た!」と強い決心を言ってただけに本当にすごい!おめでとう!
時々自分を鼓舞するようにとがったパフォーマンスする小田君に、頑張れ~と、そのキッパリさに、手に汗握りながら応援の声も大きくなりました。練習に明け暮れる中、小さい子たちにテニスを教えたり、関心持ってもらえるように活動する、小田凱人君まだ18才!

大きな手術をし、車いすになって大変なのに、レジェンド国枝さんを見て車いすテニスをやろうと決め、車いすの操作も体調も大変な日もあっただろうに、決めたら一生懸命、追いつき追い越せその成長ぶりはどなたもご存知のように清々しい
先日ここに那須川さんとのやり取り載せましたが、想像超えるご苦労おありでも、それを微塵も見せずに挑戦する小田君の姿、日々の自分のちっぽけな事なんか、ぐずぐず言ってられないわ!とこんな歳の私にも思わせてくれるパワー頂きました
頑張れ!小田凱人君、なんだか清々しく嬉しい!

素麺イタリアンと一汁一菜

素麺イタリアン!名前に惹かれ、土井さんだし・・なんだろう、やってみようと見ました。それがそれが画期的!お素麺を茹でないで、味つけもしないで美味しく仕上がりました。猛暑の夏に最高!

土井善晴さんは、大阪出身の料理研究家、スイス・フランスでフランス料理を学び大阪吉兆で日本料理を修行の、知る人ぞ知るお料理のプロ。日本料理の土井勝さんの息子さんです。かの昔フランス料理は飯田深雪さん、中華は陳さん、日本料理は土井勝さんと言われた時代でした

その土井勝さんの息子さんが最近「普通に美味しいもん」今日幸せになるなら家事は捨てたっていい、完全無欠より大切な「一汁一菜」(ご飯、味噌汁、漬物)がある。具だくさんの味噌汁にすれば、おかずも兼ねながら、漬物はなくてもいいと・・言い始められたもんだから話題沸騰!

日進月歩の家電の進歩で、家事が驚くほど楽になって・・いないのはなぜだ?と土井さん。家事は本来生きること、「家事からの解放を」と
整えられた部屋、品数の多い食事、糊のきいたシャツ、そんな理想が私達を苦しめる、嫌なら手放したっていい。完璧な食事を捨てよ、ご飯と味噌汁だけ、家庭料理はその「一汁一菜」で充分と大胆発言です、幸せになろうと

ワーキングマザーから一人暮らし、子どもの巣立った家庭まで、多くの人が料理を「しんどい」「億劫」だという。本来料理には「ケとハレ」があるが、これがごちゃごちゃになってるのが原因と土井さんは言う
家庭でもレストランのような料理を作り、まるでグルメ番組のように「美味しい」と言われないといけないという勘違いがある。美味しい、まずいでなく家庭料理は普通がいいんです・・とキッパリ

家庭料理は「家族の心の置き場」だから、お祭り騒ぎのような「美味しさ」でなく、手作りの安心できる「ふつう」が大事
ご飯炊いておけば、具沢山の自由で手軽な味噌汁だけで普通に美味しい
「そこでできた時間や気持ちの余裕」を大事にしてほしい。一汁一菜に何か加えたくなったら、それも構わない

「一汁一菜」を始めたら、もっと料理を作りたくなったと言い出す人がいます
余計なものから解き放たれたからでしょうねとも、付け加えています

一汁一菜の提案は、「家庭料理の初期化の提案でもあります」どんな家事家電やサービスが便利になっても、軽減されない負担感。余計な家事を捨てようとする「捨て家事」がここ数年の大きなトレンドです!とおっしゃいました。自分の家事を「棚卸し」しましょうとキッパリおっしゃる大阪弁に、ハッとします

素麺イタリアン作るのを拝見しても、僭越ですがお料理を知り尽くされ、基本をしっかり踏まえておられるからこそ、材料の性格もきちんとご存じな上でのご提案なので、本当に心に響き「こうあらねばならぬ」に風穴をあけて下さったんだとおっしゃること深く心に沁みました
何でもそうかもしれません・・お料理の専門家から大きな示唆を頂きました。

暑さ残る中にもスーパーには栗も売られたり、秋の兆し垣間見るこのごろです
この夏の暑い日々、水分補給!とガブガブお水やお茶飲む日が続きました。どれほど胃も疲れていることでしょう。具だくさんのお味噌汁でほっこり胃を労わってやるのもいいかもしれませんね
素麺イタリアン!もぜひお試しください。いけますよ!

折々のことば 3088

迷惑をかけたり、かけられたりしながら、
濃厚で味わい深い人間関係がつくられてきたのだ  多田富雄

 幼い頃から人に迷惑をかけるなと教えられてきたが、歳がいって真っ先に甦るのは、とんでもない不注意や失敗で迷惑をかけあった経験ばかりだと、免疫学者は言う。師弟や友人、家族の間でも、迷惑をかけあう中で関係が濃くなる。迷惑をかけないよう気を配るばかりの付き合いはなんとも「味気がない」と。
随想集「独酌余滴」から

1998年熊谷崇先生が、「虫歯も歯周病も細菌の感染症」とヘルスケア研究会を立ち上げられた発会の日、基調講演はこの免疫学者の多田富雄先生。蝶ネクタイで登壇され、歯科の予防の会の立ち上げに一番スゴイ免疫学者がなぜ?と、不勉強の私達は思ったことでした。難解なお話の中で「サイトカイン」だけは、何故か耳に残っておりましたが、その後感染症として口腔内を学び実践する中でも、この言葉は忘れておりました
それが、世界中を混乱に落としたコロナの出現!で俄に蘇りました。あっ「サイトカインストーム」1998年あの時、多田富雄先生がおっしゃったのがこれだった!

多田富雄先生、ご専門を離れると趣味豊かな方でらして、お能も嗜まれていたと知り、今から26年前にこのような第一線の免疫学者のお話を拝聴出来た幸運に、感謝するばかりでした。熊谷先生のおかげです
しかしながら晩年、多田富雄先生は突然の脳梗塞で声を失い、半身不随でご不自由になられた時には、患者さんとして専門部署にご意見述べられたと記憶しており、ご立派な方だなぁと尊敬申し上げておりました
偶々「折々のことば」に先生のお名前を見つけ、再び感じ入ること大なりでした

ゲリラ豪雨や暑い中にも、空にはいわし雲、9月の風のにおいがいたします

産経新聞 「朝の詩」から

凧が空高く飛べるのは
誰かが糸を
引っぱっているから
でも凧は
その糸さえなければ
もっと自由に
空を飛べると
思っている
その糸がなければ
地上に
落ちてしまうのも
知らずに       宮川優

本を整理していて、曽野綾子さんの文庫に目が留まった。その本の中にこの「朝の歌」から・・があって再読。凧の糸は、それは確かに自由を縛るように見えるが、その重い糸に縛られた時に、初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのであると

見るともなくページをめくって、再び感動したりしているからちっとも整理が終わらない。しかしそれもいいと思う・・猛暑の夏の終わり

堤剛さんのドボコン

先日に続き、たまたま堤剛さんのドボコン、再度お聴きする幸運に恵まれました
1981年6月NHKホールにおけるN響コンサートです
少し前惜しまれつつ亡くなったピアノ・中村紘子さんの同じ年のコンサートも放送され、友人たち皆興奮しました、エレガントな中村紘子さん、堤さんと仲良しだったと記憶しています

ツウぶってドボコンと言いますが、ドボルザーク作曲・チェロ協奏曲ロ短調です。かの昔、ロストロポービッチがこの曲を弾いてから、その演奏に魅せられこのように呼んでいるように、勝手に理解しています
小澤征爾さんとも通じてらしたロストロポービッチは、実に人間的でおっきくて
その演奏は心揺さぶるものでした

1981年の懐かしい堤さんのドボコン♪♪
若々しさみなぎる中にも、壮大に歌いあげ気持ちいいくらいでした

それにしても、もみあげの立派なこと!不謹慎にも「また逢う日まで~、会える時まで~」の尾崎紀世彦さんのもみあげを思い出してた私です・・あの頃、流行りだったのかなぁ

第三楽章のおわり、朗々と歌うチェロの美しい調べは、何度聴いても、演奏終わってもからだ中に響いて、とても豊かで幸せな気分になりました

そう言えばその頃のオケには、女性の演奏者が少なかったことが見て取れ、時代の移り変わりに興味深いものがありました
その後ご活躍の、ホルンの千葉薫さんの若々しいお顔もありました、隅々まで懐かしく、豊かな演奏聴かせて頂きました。みずみずしい気持ちを思い出しました
音楽ってだからステキです!

甲子園のトンボ

高校野球真っ盛り、仕事しながら何気につけてた、テレビから聞こえて来た「トンボ・・」

「トンボ歴30年のベテラン・・」のアナウンサーの声に、「うん?」と画面を見ました。そうしたら甲子園球場の地ならしをする方々にカメラが回っていて、その地ならしする器具のカタチが竹とんぼのようだったので、「トンボ」ってこの事かぁと初めて知った次第です

まるで聖地のようにきれいに整われた球場の地面は、このようなプロの方々によってなされたものだと初めてしりました。
しかもその一人の方が、「少し雨降ってくれると助かるなぁ、いや、経験値だけなんですけどね」と空を見て又、黙々とトンボと言う器具を動かすご様子に、どの部署にもこうしたプロフェッショナルな方々がいらして、成り立ってるんだなぁと、そのプロ意識の凄さに感嘆しました
だからこそ、甲子園を去る若者たちが土を持ち帰りたくなるんだろう、その甲子園の土には自分の達成感とともに、かけがえない人々、表に出ない支える人々も含めてのおもいも詰まってるから、持ち帰りたくなるんだろう・・と

ふと、島根県の足立美術館の庭師たちの話を思い出しました。2003年以降アメリカでも有名な庭園の人気ランキング一位を続けている日本庭園です
人工の庭と、自然の山々とで究極の美を創り出している庭師の集団、
拝観者が来る前の早朝に、一枚の落ち葉もゴミもチリ一つ残さず、お客様を迎えるそうです。ランキングの為でなく、今日見えるお客様の為に、「掃除に始まり掃除に終わる」といって憚らないプロの庭師たちだそうです
剪定もハサミを使わず、手でつまむ時もあり、人の手が加わって自然は美しい魅力を増す!と言い切ります

甲子園のトンボを知って、トンボ使っておもいを込めて整地し、全国を駆け上がってきた球児たちに最高の舞台を陰で支える甲子園の整備の方々を見て、足立美術館の庭師と重なり、やはり、晩秋の足立美術館に行きたくなりました

そうそう、待合室の新刊本コーナーに置いといた「大事なものは表から見えない」と言う絵本。土の下の植物の根っこやらを紹介した私の大好きな絵本でした。子供たちが、ただ飽かずページをめくってるのを見るだけで幸せでした

高校野球の選手たちの頑張りに拍手!
そして関わる方々にも、大きな拍手差し上げたいですね

後記・試合も終わった25日の情熱大陸が、たまたまこのお話しでした。今月”100歳”を迎えた「阪神甲子園球場」を支える現場を8カ月にわたって見つめたと。1月、内野の土を耕運機で掘り起こす「阪神園芸」の職員たち。春までの3カ月が、その年の命運を握っていると言う。目指すのは、水はけと水持ちのいいグラウンド。この一見相反する整備の真髄。ファンの間で語り草の”神整備”には、気の遠くなるような準備があるという。つい正座してしまうような心に響く番組でした。トンボに気づいて、いろいろ知れて有意義でした

パリの漫画喫茶 続き

8月2日にパリの漫画喫茶7月24日放送のテレビ時評のレジュメを、ここに載せさせていただきましたら、先日の夜番組の再放送がありました

興味深く拝見したら、息子に漫画喫茶を勧められて一緒に来たママとか、そのママが「漫画には人生の哲学が描かれて面白い」等、また夫と交互保育!?なる言葉も初めて知って、思いがけず知らないことだらけでした・・

パリで年間約100冊もの、日本の漫画の新刊本を出してることも驚きを持って、初めて知りました。漫画喫茶に関わる流ちょうな日本語のフランス人男性が一番好きなのは、手塚治虫の「火の鳥」だそうです、日本は世界で一番影響力のある国だよ・・と

読書の合間に、供えられてるカップ麺を、特にインスタント焼きそばのUFOが人気で、若者が器用に「美味しい」とすすってました。カップ焼きそばを大事に抱えて帰る若者に、クスっとしました

「あきらめないで、前へ」
漫画で言われると勇気出てくる!と小学生くらいの男の子が、マジ顔で言うのでした、そして一生懸命、日本語を話そうとしてて・・その位日本の漫画に魅せられてるご様子、なんだか嬉しいなぁ

又、あらためて日本の漫画のラブコメでは、女性が男の人の為に頑張ろう!だけど、欧米の女性は、自分の為にきれいになろう!と思うんだよ・・編集に携わる男性の言葉はすんなり、痛いほど届きました・・

ちなみに人気の一位はワンピース
       二位はNARUTO
       三位はドラゴンボール
       鬼滅の刃・・と続きます

日本の漫画喫茶に集うフランスの方々から、知らないことを沢山教わりました
見方が変われば、理解も変って面白い!とあらためて痛感でした
それにしても、その漫画喫茶に集う方々が、どなたも穏やかだったこと・・

草熱れ くさいきれ

今年に入って、ある方から頂いた「美人の日本語」山下景子・美しい文庫本は日めくりのように、毎日開かせて頂くのが新しい習慣になった
そして8月13日が「草熱れ」(正直読めなかったです・・)

元気への変換 
生い茂った草が強い日光に照りつけられて発する、むっとした熱気の事です
「熱れる(いきれる)」、熱くなるとか、蒸れるという意味で、「息切れ」や「息有る」が語源だそうです
炎天下で、草たちも一生懸命息をしているのですね。
「熱る(いきる)」となると、調子に乗って勢いづくという意味もあります。
暑い時は息づかいも荒くなります。ところが、息づかいが荒いのは、暑さのせいではなく、興奮して、勢いづいているからだと思い込んだわけです。
楽しくなくても、笑ってるうちに楽しくなるように、暑くて息を切らすことを元気に変えてしまったのです。
私たちも草たちを見習って、この夏の猛暑を元気に変えてみませんか。とある

はて?本の後ろを見れば平成20年4月初版、平成24年8月3版発行
今、令和6年8月。3版から約12年経った。毎日35度以上の気温を聞くことが当たり前になった昨今の夏、ひどい時は優に40度を超す日もある
山下さんが「草熱れ」を書かれた頃の8月13日は気温何度位だったのだろうか?
おもえば私も小さい頃、野原を走り回った時の気温の記憶は全くないものの、なんだかム~ッとした草の青いにおいは思い出す。「くさいきれ」は微かに記憶があるような、ないような・・
現在の猛暑では、子どもでも外を走り回るのも憚れ、嘆くばかり・・
なのでそんな子供たちを見る影もなく、私も「くさいきれ」はすっかり忘れてしまいました。皆さまは草熱れ、覚えておいででしょうか・・?

池江選手応援しています

パリ五輪も随分進んで、メダルを手にした日本人選手が、帰国する映像も見られます

早くに水泳に登場した池江選手!
白血病の過酷な闘病を乗り越え!再びオリンピックに登場下さるなんて、なんともすごいことです!がんばりましたね
闘病からプールに戻った時の、筋肉落ちてやせたお体の映像をおぼえている人は、きっと誰しも「すごいことだぁ。頑張るなぁ!すごいなぁ、応援したいなぁ」と思ったはず・・
その時、池江選手は「水の中に戻れてうれしい」と顔をくちゃくちゃにして、インタビューに答え喜んでいらして、こちらも思わず「やったね」と叫んでしまいました

思うこちらは勝手だけど、それからどれほど大変な鍛錬の日々を送られて来たのか、計り知れません。彼女は頑張った!海外に鍛える場を求めて日本を飛び出してまで頑張った!だから、今回の結果は彼女にとって不本意かもしれないけれど、私達はわかったと思う。「あきらめないこと」「やってみること」

不本意な結果の後のインタビューで「無駄だったのかな?」と池江選手。そして一呼吸して「次の4年後頑張ってみようと思う・・」と付け加えた、すごい!

「無駄」ではなかったですよ、気楽に言って申し訳ないけれど、どれだけ大変か想像つかない治療と闘病経て、私達は前向くあなたを見ました
みんなそれぞれ、いろいろあるけれど、「前を向く勇気を頂きました」
だから、心から「頑張りましたね!ありがとうございます」です

その後のリレーに参加されたあと、めまい?起こされ医務室に入られたとニュースで知りました。おおごとにならぬことを願い、しっかり休息取られてご快癒を祈り、おからだ専一にと願うばかりです。

みつけた幸せ

「似ている言葉 みつけた幸せ」
             こんな宮城県の女性の投稿がありました

ある朝、食事で「ドレッシング」を使った後、「ストッキング」を探していたら、二つの言葉が似ていると気付き、嬉しくなった。
嬉しさは、朝の通勤電車でも職場でも消えず、幸せだった。他にも似ている言葉がないかと考えた。
「ホイップ」と「ポリープ」は、やだな。「ビジネス」と「美人です」も似ている。言葉遊びだが。
なゼドレッシングとストッキングがうれしいんだろう。それぞれの世界が素敵だからだ。朝食はいつだって爽やかで、笑顔がこぼれる。ストッキングをはいて、先輩女性たちは奮闘してきた。居場所は、一方は冷蔵庫、一方はタンス。そうしたイメージが組み合わさり、偶然の出会いに不思議な気持ちになる。
日本語の語彙数は30万~50万語ほどと言う。言葉の海で、二つの言葉が偶然、仲良く浮かんで輝いた。さりげない日常を送っていたら、また言葉たちが浮かび上がるかしら?・・と

見知らぬ方の投稿に、ステキなことを考えてる方がいらっしゃるなぁ~と知った一日。この春BSでとても楽しかった番組「舟を編む」。「言葉」がとても深く面白かったので、なんだかもう一度見たくなりました・・
いつになく他愛のないお話し失礼しました、なんだかほのぼの響いたのでした

パリの漫画喫茶

7月24日の「ドキュメント72時間SP」何気に見たら、現在オリンピック真っただ中の、パリの漫画喫茶が舞台でした
他局の「Youは何しに日本へ」でも、いかに日本の漫画が世界中で愛されてるのかとしばしば感じていたけれど、このドキュメント見て思いがけずいろんなことを知る機会となりました。以下、興味深いテレビ時評のレジュメです

☆「パリの漫画喫茶」が舞台のドキュメント。この場所を訪れるのは大学の試験が終わったばかりの女性や、大学卒業後、なかなか就職が決まらない移民の男性、児童養護施設から月に一度訪れるという少年などさまざま。ステップファミリーや、離婚した元夫と交互に子どもを育てる女性など、フランスの多様な家族の在り方が見えたのも興味深かった。

番組によると、フランスで人気の漫画は「ONE  PIECE」や「ドラゴンボール」など日本と変わらないようだ。しかし、漫画喫茶に来ている人たちが手に取る漫画はもっと個人的なことが描かれてる作品だ。読んでいる漫画についてスタッフが尋ねると、皆その内容を的確に説明する。日本の漫画の成長ストーリーに勇気づけられたという人や「善と悪がグレー」で「完璧じゃなくて欠点があったり」するところが良いと評価するひともいた。

特に漫画喫茶を訪れる人の発言で驚いたのは、フランスで日本の漫画を出版している会社で働く男性が、少女漫画、特にラブコメは売れていないと言っていた場面だ。その男性が言うには
「(日本のラブコメが)男性の為にきれいになろうとか頑張ろうとする主人公が多いけれど、欧米の女性は、男性のために活躍したいわけではなく、自分のためにきれいになりたいから」とその理由を語っていた。
日本の漫画の多大な影響力を感じる部分もあったが、日本では当たり前に思っていたことが、海外では新鮮に受け止められたり、不思議に思われたりしていることが分かるという意味でも面白い企画であった。(ライター・西森路代さん)

ふむふむ・・

晩期合併症

先日、珍しく朝早くに地方の先生からメール頂きました
「今朝のNHKで、小児がんの晩期合併症のことやってました。全然知らなかったので大変勉強になったんですよ。診療前にお知らせしようと思って・・」とのことでし。こうして関心寄せて下さる方が増えて、嬉しいですね
私どもが12年位前から、小児がんのこどもの治療に伴走する、ファシリティドックの支援活動を続けていることをご存じで、下さった有難いメールでした

頂いたお電話の中で、今年1月映画「ケアを紡いで」の自主上映と、静岡県立がんセンター口腔外科部長・百合草先生の「周術期のケア」についてご講演頂いたので、お電話くださった先生も、がん患者さんの抗ガン剤服用や、放射線治療でのお口のケアに関心寄せて下さっていたので、小児がんの治療を頑張り、漸く日常を取り戻すようになられても、「晩期合併症」があるということを更に認識され、よりご理解深めて下さったようでした

小児がんの患者さん方が難しい困難な治療を乗り越え、退院なさって学校やスポーツ・音楽にと、さまざま前に向いて頑張られてる姿に、すごいなぁと心突き動かされ応援しながら、こちらも学ばせて頂く事大なり!といつも感じています

どうか皆様には、治療中も、治療後にもさまざま症状が見受けられたりする中でも、前向いて頑張ってらっしゃるお子さん方沢山居られますので、ご理解頂戴し引き続きあたたかく応援くださいますよう願いあげます

 

エ~ッ!虫?草?

増刷出来!の新聞の見出し、何々・・誰のベストセラー?とよく見れば

「食べられる虫ハンドブック」
びっくり!おいしい!食用に適した132種を紹介。揚げる・茹でる等の調理法や味・食感をまとめた本邦初・虫の食材図鑑 オールカラー 1540円

「食べられる草ハンドブック」
採集方法や適した調理法、美味しい「イチオシ」まで、食べられる野草160種を季節ごとに紹介!アウトドア・自由研究に オールカラー 1540円   

びっくりしちゃって何度も見ました。いよいよそんな時代?・・
虫をおかずに買いに行く時には虫かご持ってくのかなぁ~とふざけて友人に言ったら「バカなこと言わないでよ!」と一蹴されましたけど、本が出るくらいなんだから・・と私。もうそんなことになっているのだぁ
まだまだでしょうけれど・・大変だぁ~!

 

爽やかな二人 小田凱人さんと那須川天心さん

珍しく暑さ負けし気力も落ちてヤレヤレ・・と歳を実感のこの頃、何気に新聞に「対談で省みた固定観念」とあり、固定観念と言う言葉にギクッとなって読みました。ある記者さん60歳を前に一番関心ある「パラリンピックは社会を変えられるか」をテーマに仕事をしている方の編集考記でした

掲載の写真を見ると、小田選手がボクシングのポーズして立っていて!傍でなんと那須川選手が杖をついている、アレ~ッ・・?

「この杖、カッコいいっすよね。持って撮りたい」二人の対談終了後「決めポーズ」を撮影しようとした時のこと。記者さんは二人の空気感をどう表現するか?決めかねていて希望を尋ねたところ、那須川選手の発したこの言葉に、正直「やられた」と思ったんだそうです
1998年の長野冬季パラリンピック前からパラスポーツの取材をし、「義足や車いす、手足の欠損が分かる写真をそのまま載せていいのか」そんな声が社内から上がったこともありどこまで見せていいか自分にも迷いがあったと
「ありのままを伝えて」選手たちからそう言われたこともあり、パラリンピックの父、グッドマン博士の「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」に共感し選手におもいをよせてきたつもりだった

だが、緑色の杖を持ちたいと言った那須川選手の発想にハッとして「杖は障害がある人が持つもの」と言う固定観念が自分にあったと気づかされたとあります

「多くの人に競技を知ってもらうのが大事、カッコいいのが一番」対談で盛り上がる二人を見て、新しい時代が切り開かれていく感覚があったと、素直にのべておられます、きっといい雰囲気だったんでしょうね

長野大会から26年が経ち、パラスポーツを取り巻く環境も激変し、五輪との一体化が進み、パラ選手も国内最高峰の練習施設「ナショナルトレーニングセンター」(東京)が使えるようになり、またパラ選手をアスリートとして雇用する企業も増えてる昨今、厳しい練習に耐え、結果を残してきたパラ選手たちの影響力や発信力がいま、社会を変える源になっていると感じる・・と書いています

小田選手は「思い描いている未来像やロマンは天心さんと一緒。車いすテニスプレーヤーだけで終わりたくない。いろんな側面のある人として、やっていきたい」と語り、那須川選手も「ぼくとマインドがすごく似ている」と応じたそうです、なんだか文章読んでるだけでもワクワクが伝わり、素直でカッコイイ!

パリ・パラリンピックで金メダルが期待される車いすテニスの小田凱人選手(18)とキックボクシング界の「神童」と呼ばれ、ボクシングに転向した那須川天心選手(25)のこの爽やかさに私も記事読んで「やられた」と思うと同時に、小田選手が歩く時に使う緑の杖持ってポーズする那須川さんと、ボックスのポーズする小田君に、固定観念かぁ!?頭カチカチはダメだなぁ・・と素直に思ったいい日になりました
若いお二人ありがとう、応援するね!

ファシリティドック

最近、時々テレビでも紹介される、病院で働く犬「ファシリティドック」

今晩BSTBS10時「いぬじかん」に、現在日本で活躍する4頭のうちの1頭アイビーが大橋ハンドラーさん(ナース)とともにちょこっと登場するらしいです
決まった病院に常勤勤務するファシリティドックで、番組には仕事中の光景か?オフタイムかはわかりませんし、お時間も僅か?かもしれませんが、ご覧になれたら幸いです

運営はシャイン・オン・キッズ
小児がん難病などで闘病中のこども達に、海外のプログラム訓練を経て病院勤務となり、検査や治療に伴ったり、ベッドでご一緒したり、実務経験有したナースであるハンドラーとの二人三脚で、闘病中のこども達を支えます。現在訓練犬2頭がおり、新たに候補犬2頭が来日しました
応援頂ければ幸いです。頑張れ~💓

オランウータン 薬草使い治療?

この見出し見て!興味深々、だって「森の賢人」オランウータンですから。自ら薬草を顔の傷に塗って治療する!?素通りは出来ません

ドイツのマックスプランク動物行動研究所などのチームがそんな様子を観察し、サイエンティフィック・リポーツに掲載されたそうです、「植物を使った積極的な治療を初めて体系的に記録した」と

今まで類人猿による自己治療として、薬草をのみこんで体内の寄生虫を抑えようとしたり、つぶした昆虫を傷に塗ったりすることは知られていても詳細は不明だったそうです

今回、スマトラ島北部に住む、スマトラオランウータンの雄「ラクス」40歳位が、2022年6月22日、顔の右側頬に目で見てわかるほどの傷が出来ていた。同25日、ラクスは植物の葉や茎を口に含み、噛んだ。その汁を指で顔の傷に塗り付けていたというものです。その植物はフィブラウレア属の一種で、鎮痛解熱作用で知られているそうで、その後、傷口は化膿することなく、30日にはふさがった

チームは、ラクスが植物の汁を、からだの他の部位ではなく、顔の傷だけを選んで塗っていたこと、行動が数回繰り替えされ、傷口がふさがるまでに植物の汁だけでなく、果肉もぬっていたこと、などから、治療のための意図的な行動だと推測したそうです

今回の成果についてチームは「人類と最も近い親戚の、セルフメディケーションの存在や、創傷治療の進化の起源について新たな洞察を与えてくれる」としています。我々人間も超高齢化社会に突入する中、セルフメディケーション言われて久しい昨今、少々違うかもですが、この記事は大いに興味を持って感嘆しながら読みました

追記・丁度興味ある記事があるので買った週刊誌に、脳研究者・池谷裕二先生の「全知全能」と言う連載があって、そこに「オランウータンは塗り薬を使う」とありビックリ致しました、それほど今回のニュースはスゴイことなんだと!
池谷先生によればアフリカでは駆虫薬として薬用植物を経口服用するチンパンジーは知られているが、野生生物による植物の塗り薬としての利用を発見したのは、今回が初めてであると.。このアカルクニンは、現地の人々は薬用植物として利用しているが、オランウータンも薬効成分が含まれていることを知っているのでしょうか?と

「薬」の語源には諸説あり「草」は有力な説の一つであるが、「奇すし(くすし)」とする説もあり、動物たちの「奇」跡的な行動が関係してるのかもしれません・・とロマンティックに結んでおられます
なんとも素敵なニュースですね

 

みなづき (水無月)

一昨年だったでしょうか?やはりこの水無月のことを書きました。出先で久しぶり「食べたいなぁ」と買って帰った三角のお菓子。台は外郎で氷をあらわし。上には小豆を散らしてあります。もっちもちで美味しいのです。この短期間だけ台がお抹茶もあり、台が白と黒糖のとお抹茶を買います

6月30日夏越しの祓いの神事にちなんで今なお京都の方は召し上がるそうな
その昔、冬の間に出来た氷を天然の氷室に枯草、雑木、藁などで覆い夏まで保存していた。夏の熱い盛りに氷を掘り出し宮中に運び、夏の健康の為氷のひとかけを食したという

ちなみに「水無月」は水のない時期ではなく、陰暦では水の月、田んぼに水を引く必要のある月。即ち「無」は「の」を意味する連帯助詞の「な」なのであるとの注釈付きです
今年は梅雨入りが遅れ、雨が少なくて心配されています、水の月「水無月」の意味が一層意味深く感じる今日この頃です

「ぶり」以外に読む余地も

海の傍で育った今年96になる母は、「ぶり」と言えばすぐ、「知ってる?ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリよ!その位覚えてるでしょ?」が口癖です・・参った!
ブリは魚へんに「師」と書くと丸覚えの私、この記事読んでビックリでした

何でも香川県のすし店で目にしたポスターに「鰤」と言う漢字の下に「はまち」と読み仮名が書いてあったというのです!エ~ッ!?
「鰤」は「ぶり」で「はまち」ではないはず・・

説明によると簡単には割り切れないようで、福島市の公設地方卸売市場協会のサイトでは、「現在では天然物をブリと呼び、養殖物をハマチと呼んで区別することが多い」と述べてあったそうな

元々西日本ではハマチ「鰤の若魚」の養殖が盛んで、それが東日本に多く出荷された結果、東では大きさを問わず、養殖物を「ハマチ」と呼ぶようになったんだと。大きさはブリでも、養殖ならば「ハマチ」したがって「鰤」を「ハマチ」と呼ぶ余地はあるんだという見解・・

また香川県では県内のハマチをブランド化しており、「ひけた鰤」と「鰤」の名をいれてるので、そう厳密に考えなくていいでしょう・・とB級言葉図鑑編纂者は言う。何やらややこしいけれど、まっ美味しければいいいとしましょうか?

通じない言葉

件名にはこう書きましたが、「若者に通じない言葉」と読んだものにはありました。俗にいう「含ませ言葉」と言うそうですが、結構私、今使っています・・
「含ませ言葉」とは、いやらしい言い方ですね、裏にもう一つの意味がある・・更にこういわれると、もっといやらしい・・でしょうか?

①「どうにも首が回らない」
②「たまたま耳に挟んだもので」
③「踏み台にする」
④味噌をつける
➄寝た子を起こす
⑥息がかかる
➆顔に泥を塗る
⑧枕を高くする
⑨油を売る
⑩釘を刺す
⑪峠を超す
⑫色をつける

果たして皆さんお使いになっておられますか?よく読むと私、独りよがりで随分使ってるかもです

ついでですが、「ロートル」と言う言葉ご存知ですよね?ご存じないですか?
この「ロートル」も、若い方に聞いたらと言うインタビューがあって、若い女性に聞いたら→「エッ何これ~、ローソンで、出前トル?」と言う答えもありました。こんな現実知らないと、こちらが慌てますねぇ~

これを書きながら、テレビつけてましたら、レポーターが「てみずばち」と言ってたので、「うん?」と画面見たら、手水鉢のことでした、神社などで口をすすぎ手を清める器です。私は「ちょうずばち」と思っておりましたから、読み方が変わったか!とびっくりしました、茶道では「つくばい」と言いますか・・・
「てみずばち」と言う読み方になっちゃったんだろうか・・と一瞬思いましたが
「ちょうずばち」でしょうね・・

身近にない日本語は、本当にむずかしい
だけれども、日本語はなんて美しんでしょう!とあらためて思います
大事に使っていきたいものですが・・・さて

コンビニ50年 現代短歌が映す

半世紀前の1974年5月、セブンイレブンが日本初となる本格的なフランチャイズのコンビニエンスストアを東京・豊洲にオープンさせたのだそうです
人々の暮らしに欠かせないものとなったコンビニが、社会を映す現代短歌でどのように読まれてきたのか、寄稿されていました

時代背景を持って数々ノミネートされていた中で、思わず笑ったのがこの二編です

・「お客さん」
 「いえ、渡辺です」
 「渡辺さん、お箸とスプーンお付けしますか」斎藤斎藤「渡辺の私」(04年)

・持ってません温めません付けません要りませんいえ泣いていません 
 西村曜「コンビニに生まれかわってしまっても」(18年)

コミュニケーションが重要視される時代にあって、描き方が対照的で面白い、抒情の対象が日常風景に移っていることが、コンビニが単なる消費の場ではなくなってきていることを物語って何より面白い・・と

最近は「袋どうしますか?」と間髪入れずに聞かれます・・

 

「聴く耳」があってこそ 山根基世さん

私も大好きな「病院ラジオ」
見逃すこともあるけれど、見ると本当に心に沁みる・・そして残る
あの心に沁みる声の山根さんが、「病院ラジオ」についてテレビ時評に書いてらしたので、そのままお伝えします

ボーッと見ていて途中で面白さに気づき、もう一度見ようと思っても放送していない。たった一回見ただけなのに心に深く残ってる番組がある。4月29日朝、NHKで放送した「病院ラジオ」

お笑いコンビ、サンドイッチマンの伊達みきお・富澤たけしの二人が、福岡の九州がんセンターに赴き、一日だけのラジオ局を開設する。そこで患者の皆さんから話を聞き、リクエスト曲をかけるというシンプルな番組。何が印象に残っているかというと、患者さんたちが語る「言葉の力」だ

働き盛りで血液のガンが見つかった30代の男性。受験直前、体調に異変が起こったという若い女性、等など。一度は死を覚悟し、生命について深く考え、テレビで語っても良いと腹を据えた人たちだからだろうか。素直な真実の言葉の力を感じた
又彼らのリクエストする曲が、語った内容とピタッと重なり、ああこの人の人生にはこの曲が必要だったのだと納得する。言葉と音楽にしみじみ胸打たれる、まさに「ラジオなテレビ番組」だった

日頃、考え抜いた言葉を連射して観客を爆笑させているサンドの2人は、この日はほとんど語らない。発するのは「みんなそう思うよね」と言ったような、失礼ながら月並みな言葉。彼らはインタビューする人とではなく、ただのトナリビトのように、ひたすら患者さんの言葉を聴いて、深くうけとめている

この「聴く耳」があってこそ、患者さんは心を開いて語ることができたのだろう。一瞬の表情から、どう聴いているのかまで伝わる。それがテレビの怖さでもあり、面白さでもある。  山根基世 アナウンサー

発酵性食物繊維と発酵食品は別です・・エッ!

時々、健康番組でお見かけする、京大の内藤裕二先生
この方が出ると、腸の話です
京丹後市の調査で知られ、京丹後市は健康長寿の町として有名です、大腸がん罹患が全国平均より少なく、血管年齢も平均より若いと評判の町です

この日の番組を聞くともなく聞いてると、饂飩を薦めていることにコメンテーターから異論が出ました、すると饂飩は炭水化物だけど、糖質がないんだそうです
前から白いお米、白いパンは控えてとおっしゃってた先生ですから、突っ込み入るのも当然です・・

そしてすすんで食べてほしい食品の写真が出ると、そこにキムチや納豆が載ってなくて、又!質問が出ました、そしたら
「発酵性食物繊維と発酵食品は別です!」のコトバだったのです、へ~ツ知らなかった!
細かに言えば、このような勘違いがあるのでコンビニなどの小さなサラダをちょっと食べたからってあんまり意味ないんですよ、レタスはほとんど水分ですから食物繊維取ろうと思ったら、レタス何個も食べないと・・と
それよりも、わかめ・ごぼう・人参・大根・山芋・海苔・饂飩・オートミールなどなど、毎日色んな食物繊維を取りながら、納豆やキムチを一緒に食べるのはいいんじゃないですか?と言うお話しでした

前からおっしゃってることですが、パンも真っ白でなく、ブランが入ったもの・・と。ブランの入ったパンを最近愛用している私は、そうでなくとも入荷量少ないから手に入りにくいのに、TVでおっしゃると又品薄になるのかなぁ~と心配になりました
出演してた方が、「そうは言っても真っ白なフワフワのパンって魅力的ですよね、美味しいですよね」と嬉しそうにおっしゃって、素直にそうそう・・と言いたくなりましたが、最近はブラン入りのパンにすっかり慣れて美味しくてお気に入りです。ご飯ももち麦入れたり、玄米混ぜたり美味しく頂けるようになってきました。快腸です

デーツ

デーツをご存知ですか?
私はいつも常備している甘み!です。ちょっと甘いものが欲しいな・・と思った時2~3個つまみます、美味しいドライフルーツです
バッグにも少し入れ持ち歩いています・・

いつも買うデーツは決まっていて、と言うよりいろいろなデーツを食べて、今の商品に落ち着きました、チュニジア製です。
原材料→デーツのみで、保存料も入っていないようです
この商品の袋に面白い記載があって「黒糖やあんこのような上品な甘みと柔らかな食感」とあります。日本向けに書いたのでしょうが、あんこのような甘み!には素直に同意します(笑)

このデーツ、食物繊維・マグネシウム・カリウムがバッチリです
ドライフルーツ好きの方に聞いても、「デーツは食べないわ・・」と仰る方多くこんなにおいしいのに、もったいないな・・と思ってしまう私です
多分、少し手がべとつくから、イヤなのかも・・です

たまたまある番組で,なつめやしの実と言ってたので見たら、「デーツ」の話でビックリでした!それもスーツ着た男性が話していたのです
その方はソースの会社の方で、その会社ではお好み焼きのソースを作っており、以前は甘みは砂糖を使っていた、ところがイギリスのウースター州訪問の際、フルーツ由来の甘みとしてソースの甘みにデーツを使ってると知り、それ以降お好み焼きソースの甘みにデーツを採用したとのことでした、ヘーッ!でした
デーツ好きとしては、嬉しいお話しで、メソポタミア文明からあるフルーツが、今栄養的にも評価されていて、尚かつ美味しく、持ち歩くのにも便利だからもっともっと広まるといいなぁと思いながら、チャック袋のデーツを開け、レディグレイの紅茶を入れて一服しました、結局なんだかんだ言って、デーツを食べるのです・・

そうそう思い出しました、アルピニストの野口健さんが以前、デーツを男の別腹としてコメントしてらっしゃいました。お母さまがエジプトの方だからよく食べていたと・・
コンパクトで食べやすいので、山にもよく持っていく。登山ではいろいろな原因で便秘になり易いけれど、繊維が多いのでその対策にもなり、又鉄分・亜鉛も多いので低酸素地帯の対策や疲れにもいいとのことだったと記憶しています

ものによっては、すごく固くてボソボソしたのもありますので、いくつか試して
美味しいお好みのデーツを見つけて楽しんでください、くせになると思います
栄養もバッチリです

老年期と思春期に違いはない  

「かたわれ」とおっしゃる夫、作家・藤田宣永さんを亡くされ、「月夜の森の梟」を書かれた小池真理子さんの文章の一部です

「月夜の森の梟」は新聞に連載され、思いを共有する方々の反響大きく、美しい本となって出版されました。こちらは2021年4月に連載された新聞の一部です

・・・
若いころの私は、人は老いるにしたがって、いろいろなことが楽になっていくに違いないと、思っていた。のどかな春の日の午後、公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は、皆、人生を超越し、達観しているのだろう、と信じていた。ささくれ立ってやまなかった感情は和らぎ、物静かな諦めが心身を開放し、人生は総じて、優しい夕暮れの光のようなウ“ェールに包まれているのだろう、と。
だが、それはとんでもない誤解であった。老年期と思春期の、いったいどこに違いがあろうか。生命の輝きも哀しみも不安も、希望も絶望も、研ぎ澄まされてやまない感覚をもてあましながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは、たぶん、ほとんどの場合、見せかけのものに過ぎず、たいていの人は心の中で、思春期だった時と変わらぬ、どうにもしがたい感受性と日々、闘って生きている。

ここのところ、風の強い日が増えた。山から森に吹き降りてくる風は、ごうごうと凄まじい音をたてながら、まだ芽吹きを迎えていない樹々の梢を大きく揺らして去っていく。
ミソサザイの鈴のような美しい声音が四方八方から聞こえる、振り向けば、雲ひとつない群青色の空。あまりに青く眩しくて、どこまでが夢でどこまでがうつつなのか、分からなくなる。

使う言葉のメンテナンス

ちっとも進まない断捨離中です
普段からきちんとしておけばいいのに、わかっちゃいるけど・・です
山のような本の中にある雑誌みつけ、何かなぁ~と見始めたから手がとまる!わかっちゃいるけど・・です

その中にいたく感心するページがありご紹介したくなりました。断捨離中断、やむ無し・・です

☆彡「はじめの一歩は使う言葉のメンテナンス」
ここに一杯のコーヒーがあったとします。一口いただいてAさんは「なにこれ、美味しくないわ!」とおっしゃたとします。対してBさんは「わぁ。美味しい!」とおっしゃったとしましょう。Aさんが飲んだコーヒーも、Bさんが飲んだコーヒーも同じです。でもそれをどう捉えたかによって、世界は変わりました、Aさんは「美味しくないコーヒーを飲んだ」世界の主で、Bさんは「美味しいコーヒーを飲んだ」世界の主になったのです。つまりこの世は定まった不変のものではなく、あなたが、そして私がそれぞれ作り上げている仮想現実であるという訳です
その世界をカタチづくるものはなにかというと、コトバですと

コトバの持つ音には周波数があって、その振動によって形が作られていることを、ドイツの物理学者にちなんで「クラドニ図形」に見られ、コトバがあってカタチが出来ることは、科学的にも道理があるそうです

一人暮らしだから誰とも話なんかしてないわ・・でなく、私たちが一番多く話している相手は、自分自身なのですよと、一人で暮らしてる方とて、言葉は使っていると
そして今言ったようにコトバには、もともと持ってるカタチ(周波数)があって例えば「ありがとう」とか「愛してるよ」と言ったコトバのカタチはまあるい。そして私たちの心にもカタチがあって、「好きだなぁ」と思う心はふわふわだけど、「嫌い」と言う心はとげとげしてる。心のカタチとコトバのカタチが合わさって、あなたの周りの世界がつくられるということです

たとえば、とげとげのカタチ(✕)の心で、とげとげののカタチ(✕)のコトバを使ったら、世界はいたたまれない状況に出来上がる、でも、たとえ心のカタチがとげとげ(✕)でも、まあるいカタチ(〇)のコトバを使えば、あなたの世界には光が差してくるのですよと、看護師、僧侶、ケアマネージャーである玉置妙憂さんの言葉でした

なので、まずは、口にするコトバのカタチを整えましょう、心のカタチを変えることはそうそう簡単にできなくとも、コトバのカタチを変えることは簡単にできるはずですと

「あぁ、疲れた~」を「ああ、よく頑張った」にメンテナンス
それだけで、あなたの世界が変わりますの言葉に、ガッテン!!
(これだから・・断捨離ちっとも進みません、又言い訳です‥)

連休が終わりました
お休みの間、公園で大はしゃぎする子供の声に、楽しそうな様子になんとも幸せな気持ちになりました。子供の数が心配される昨今、自分たちはどうだったっけ・・と思い出し、さんざん、大人に叱られるようないたずらもしたけれどと冷や汗かきながら、応援の手を差し伸べなければな・・とつくづく思います
いろんな世代の関り、あたたかい声がけがいるのかもしれません、スケボー練習してる子供に「カッコイイね!」って言ってあげようかな~

 

ヘアードネイション

随分前から、病院で働くファシリティ・ドックの活動に賛同しているので、小児がんのお子さんを取り巻く状況や、様々周辺医療や関連する数々のことを、多くの方に教えて頂けて深く社会をより知るきっかけにもなり、有難く思う今日この頃です

いつぞや東北のある町で、小学生はじめ多くの若い方々が、地域でヘアドネイションを実践していることを知りました。髪の毛を伸ばすことの意味を学び、それに伴うご不便もものともせず、お役に立てる喜びを話す小学生の方に、感動すら覚えました

連休に入ったある日の朝日歌壇にこんな作品が選ばれており、なんだか心が軽やかに、ほっとあったかくなりました。ご紹介します

・このかみがだれかのウイッグになるんだと
 三年のばしたかみ切りおえる (成田市)かとうゆみさん

選ばれた永田和宏さんが「かとうさんは小学生だろうか。三年伸ばした髪が誰かの役に立つという喜び」と評しておられます
私も、小学校低学年でらっしゃるのかなぁ・・など思いをはせながら、なんだかほっこりあったかい気分にさせていただきました
今まで、新聞でもこのようなコーナーは読んでませんでした。朝日歌壇をスキップしていたことをとても後悔したこの春、これからは折々拝見したいと思いました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌壇・スマホ三態

朝日歌壇の、ある日の永田和宏選が興味深くおもしろい

・かくれんぼもう降参とラインきて公園に戻る小六の子ら (堺市)黒田麻里子

・次々とスマホ渡しつ渡されつ校門に撮る卒業 (焼津市)増田謙一郎

・休日の街でスマホをオフにして今日の私は空白になる (横浜市)佐藤隆司

いまどきのかくれんぼはラインで降参するのかと驚く、とある中、卒業写真もスマホだし、スマホをオフにしてやっと自由にの感想にすんなり共感しました

ユーモア

桂文枝(三枝)師匠の最後の講義、医学生と現役若手医師に向けてを見ました

医療の小話はこと欠かない・・と言いながら・・
・主治医の先生 「最近食欲よくありますか?」
 患者さん 「ハイ、おかずによります・・」(笑い)

・初めての手術に不安な患者さん 「先生!手術初めてで緊張して居ます」
 手術する先生 「大丈夫ですよ!僕も初めてですから」(エ~ッ!)
 
ひそやかに笑う医学生の方々、どうしてもっと声出して笑わないんだろう・・緊張してんのかな?と見ている私
すると「緊張を楽しむには?」と医学生から質問、「うん?楽しむ?」

それを受けて師匠がご自分の初舞台のことを話し始めました
緊張しないとダメでしょう、笑ってくれないとさらに緊張して口先から言葉が出る!心から出る言葉でないとね・・と
そう言いながら、「しかしね、僕の初舞台でドッと笑ってくれたことがあったんですよ、しかも話の面白いとこじゃないのに!」と

それは、三枝さんが話しても笑いが起こらず困ってたら、ドッと笑ってくれた時があり、見ると舞台に黒い猫が現れ、猫もビックリしてそでに入ったんですよ。それでみんなが笑ったの! 聞けば楽屋で着物を畳むお茶子さんの飼い猫だと。それであとで三枝さんがそのお茶子さんに聞いたら「初舞台で猫が出てった新人は、皆あと出世してる、大丈夫、頑張り!」とおっしゃった由
そのことを後になって、かしまし娘さんに聞いたら「うそだった!」
「おばちゃんの気遣いやで~」と

こんな話を聴いた医学生や若い現役医師の中から「ユーモア持った医師になれと、言われたことはなかった」との、思わぬ感想が出ました・・

医者の小話なんていっぱいあるよ、医者になる人の前であまり言えないから控えたぁ~の文枝師匠の表情から、「肩の力抜いて患者さんと向き合ってごらんなさい・・」と言うようなメッセージを感じた私でした
以前、柏木哲夫先生の面白い逸話を、何回もここに書きましたが、黒猫登場の後の、お茶子のおばちゃんのようなフォローアップが出来たらいいなぁ~と思ったことでした。みんな誰しも最初は新人ですもんね、大丈夫だいじょうぶ・・