「死んだ男の残したものは」谷川俊太郎作詞・武満徹作曲

11月13日亡くなった谷川俊太郎さんに、詩人の伊藤比呂美さんがその魅力を語っている。谷川さんの詩はわかりやすいと言われるが、読み終わった時に人間の本質的なもの、暗いものに気付かされることが魅力と

そんな谷川さんの詩は、多くの作曲家にに手渡され、メロディ―となって羽ばたいた、その中で、故武満徹さんが曲を付けた「死んだ男の残したものは」は、20世紀を刻印する稀代の反戦歌となった。「すぐに曲をつけて欲しい、明日の市民集会で歌えるよう」。谷川さんの想像力は、無辜の命が奪われている「いま」を起点に飛翔し、国も時代も超えた普通の祈りへと到達した
詩は、六つの連からなる

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石一つ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった(続く)

「残さなかった」から「残せなかった」へ。個の意思を奪い、すべてを虚無とする。これが戦争の本質なのだと「さ」と「せ」のたった一文字の違いで語り尽くしてみせた。最も大切なものを失った人の痛みを、どう自分事として感じるか。谷川さんの永遠の自問に、様々なジャンルのアーティストたちが連なり、この曲を歌い継いだ。そうして谷川さんは、世界に壮大な連詩を築いた。私たちはいま、それを未来へと手渡す言葉を持ち得ているだろうか、と谷川さんを偲びつつ、伊藤比呂美さんは投げかけておられる・・

再び、武満とのCDをかけてみる。谷川さんの言葉にいつも触れさせていただいた幸運に心から感謝しつつ、伊藤さんの言う未来へと手渡す言葉を持ち得ているだろか?という問いかけに、戦禍を伝える毎日の新聞記事見ながら立ちつくしてしまう・・
ここ数日ニュースで流れる、神宮の銀杏の黄色が青空にきれいすぎる映像に、未来へと手渡す言葉・・、ないがしろにはできない

ひとはどう生き、どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」③

②より続く(以下犬養道子氏・日野原重明氏 以下敬称略)

日野原・それを科学が補強するんです。それで、ウイリアム・オスラーがいったことは、「メディシン・イズ・アン・アート・ベイスド・オン・サイエンス」。医学はサイエンスに支えられたアートであるといったのです。論文を書く時にはどうしてもサイエンスが前面に出ないと格好がつかないから、論文ばかり書くのに熱中してると、臨床が出来ない医者やナースができてしまうことになる。そのときには、ケアがおろそかになってしまうんです。

犬養・英語にビー・ケアフルという言葉がありますね。

日野原・ええ。

犬養・ケアフルというのは、たとえば、子供相手にだって使うわけでしょう。ケアという言葉は、この聖路加看護大学の新館の磁石に書かれている言葉に通じるものでしょう。「愛」というとちょっと日本人にはピンと来ないかもしれないけれど、昔の言葉でいえば「御大切」なのよね。切支丹は「愛」を「御大切」と呼んでいました。

日野原・そうですね。

犬養・他人さま(ひとさま)に対しての「御大切」ということを考えれば、全部ケース・バイ・ケースになりますね。そこに一つのプリンシプル(原則)も通る。むしろプリンシプルの上に立つ、といった方が良いと思いますが、プリンシプルと現実との二つのハーモ二イというか、かみ合いでしょう。これが、いつか、いつの時代でも私は、人間のリアリティだと思います。

日野原・プリンシプルを立てる。そのプリンシプルを適用するときは、いつもインディビジュアル(個別的)。

犬養・そのとおり。

日野原・人によって違う、相手によって違う、時期によって違う、タイミングも違う。例えばガン患者にインフォームド・コンセントを得る時にも、何でもすぐにほんとうのことをいうのではなく、その人が受け入れられる態勢にあるかどうかをよく打診した上、タイミングよく情報を与えるに適切な表現の言葉を考える必要がある。

犬養・そうそう。

日野原・しかもステップ・バイ・ステップなんです。そういうことを考えることがアートの中に入って来る。

犬養・そうです。それがアートであるためには、その人がやっぱり人間としてまず成熟しなくてはいけない。

日野原・ところが、いま、日本でお医者さんになる医学生の入学選考には、偏差値のことばかり考えなければいけないから大変なんです。教養(リベラル・アーツ)をなくし、楽しい若い日の生活を犠牲にして進級させているところが多いのです。高校をでて、医学校に入って、二年、それから四年の、六年勉強しなければならない。
アメリカは、リベラル・アーツでもサイエンスでもいいから、何でもいいから大学を出なさいとなっている。出てから本当に医療にいきたい人は医学に進めばいいのです。医学はすべての教養がすんでから。
日本で医学部に入った若者には、ヒューマン・タッチなんかまるでわからないですよ。だけど、いま日本でも、自分はソーシャル・ワーカーになって病院にいったけど、お医者さんの行動を見て、やっぱり医者になりたいと思って医学部に入るとか、小学校の先生をしてたけど、医者になりたいから医学部に入るとかの人が出てきた。大人になってから医学をやりたいという方が本物かもしれないですね。ハーバードの医学校に入る学生は、みんなちょっと歳が言ってるんだそうです。そういうキャリアのある人を面接で医学生としてとるというんです。そのような受験者には動機づけがあるから。

犬養・ベッドで寝ている、苦しんでる人の事はわからない、人間的に成熟しないかぎり。
欧米が全ていいというのではないけれど、自分の体験からして、日本はもっとアメリカとかヨーロッパのやり方を謙虚に取り入れる必要がありますね。それは崇拝とか西欧一点張りとかとはまったく違います。アメリカ・ヨーロッパには、もっとヒューマンなものがあるのですから。

日野原・そうです。

犬養・もし人間としてのタッチがあるならば、この人の御一生というものを御大切にして、死期が迫っているということをどういうふうにいうかを真剣に考えることができる。一人の人の一生のけじめをつけてあげる。そのときにはモルヒネを使っても言い、家に帰してあげてもいい。

日野原・患者を介抱するとはどういうことかを、正岡子規が「病床六尺」に書いています。「看護とは」「介抱とは」と書いているんです。精神的看護と形成的看護の二つがある。精神的な看護がないと、形式的だけではだめだと正岡子規は書いているんです。それから、夏目漱石も「思ひ出す事など」の中に、「私は昼、夜を通して看護をしてもらって、吐血から助かった。私は病むことによって生き返った。これからは善人になろうと決心した」というようなことを書いているんです。

犬養・いい言葉ですねぇ。

日野原・ケアをうけた病の体験が漱石を変えたんですね。こんなに若い女性が自分の介抱のために挺身してくれたということに感動して居る。
それから、そういうケアのことは福沢諭吉も「教育論」の中に書いています。

以上「人はどう生き、どう死ぬのか」第一部・医学はアートより抜粋・日野原重明・犬養道子著 1997年発行岩波書店

ひとはどう生き どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」②

①より続く(犬養道子氏・日野原重明氏 以下敬称略)

日野原・日本においては特にそうですよ。これは医学の専門家が一般の人々や患者に情報を提供しないから批評が出来ないんです。ところが、芸術は聴いた人や見た人のアートの批判力が育つような雰囲気が出来てきたわけです。だから、私はいまの日本にもう一度医術を、すなわち医の臨床のアートが一般の人から批判を受けて、そのことで医術を進歩させたいのです。
さて、医の臨床の術には、その基礎にハイサイエンスとハイテクノロジーの科学が必要です。そこで病む人間にサイエンスとテクノロジーをどうタッチさせるかという技がアートなんですよ。ところが、いまは、タッチをしないで、サイエンスとテクノロジーをとにかく患者に与えればよいとなっている。誰にでも同じことを無差別に与えるような乱暴なことをして、受ける人がどんなフィーリングを持つかということを考えない。うけ手の事情を考えないで、ただただ与える。

犬養・いま、先生はタッチと言う言葉をお使いになったけれど、もっと単純な日本語で言うと「手当」ですよね。

日野原・はい。そう。

犬養・そして、手当てをするときには、相手がやけどをしている人とやけどをしてない人では、手の当て方が違う。

日野原・そうです。

犬養・だから、非常に素朴な次元においても、日本にはさっきおっしゃったような考えはあったわけです。ところが、いまは「手当て」ではなくなってきているのではないかしら。

日野原・日本で「看護」という言葉の前にあったのは、「介抱」という言葉です。

犬養・そうそう。

日野原・まず「介抱する」という言葉があるんです。その介抱と手当てをどう英語に訳すかと言うと「ケア」なんです。看護婦さんがやる場合には、ナーシングケア、医者がやる場合にはメディカル・ケア。この「ケア」という言葉はまさに「テイク・グッド・ケア・オブ・ユア・セルフ」。あなた自身があなたの体をコントロールして、健康になって下さいと言うことなんです。そのケアという言葉は1920年頃から医療界に出てきました。
それまではそういう言葉はなかったのを、ピボディと言うボストンのハーバードの医学校の教授が、医療で大切なことは患者へのケアだということを「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」という医学雑誌に論文書いたんです。それが最初。
ナースの方はそれからさらに遅れて、ナーシング・ケアという言葉が使われ始めた。日本では看護と言うと、看護大学の先生たちは、看護学と言ってくれと言うんですが(笑)、看護と言うのは、ケアそのものでしょう。

犬養・その通りです。「学」では困るんです。(③に続く)

 

ひとはどう生き、どう死ぬのか 日野原重明・犬養道子「医学はアート」①

1997年6月出版されたこの本は、当時衝撃的で、折に触れ開いては、ため息つきながら大事に読んで参りました、この本の企画は犬養道子さんが思いつかれたと日野原先生があとがきに書いておられます
ハイデッカーの言う「最期の死への挑戦」であり、老人にとっては、ヘルマン・ヘッセの言った「老いへの成熟」の姿だろうと。ここに取り上げられた問題のいくつかが、読者諸氏により、解決を早急に要する現実の問題として広く取り上げれればよいと思うとあり、特に医と医療をめぐる問題のいくつかが、深く掘り下げられて考えられ良い方向に変えられることを願ってやまない・・ともあります

僭越ですが、この中の第一部・医と医療をめぐる対話に「医学はアート」があり、その部分の抜粋を三回にわけてここにご紹介いたします。1997年のものです

医学はアート①(以下犬養道子さんは犬養・日野原重明先生は日野原と敬省略)

犬養・今日の対談のテーマではないのですけれど、「医と医療と医学」が総合して初めて「全人的」になると思います。そして、繰り返しになりますが、患者はみんなユニークな、個別的な人間であるということです

日野原・ヘルスと言う言葉は、古いアングロサクソンの言葉(古代英語)では、ホール(hal)からきてるそうです。halと言うのはwell(健康な)という意味です。それが中世ではhelthとなり、近代英語ではhealthとなったと言われます。またこのhalからwhole(全体)やholy(聖なる)という言葉がつくられたとのことです。ヘルスというのは臓器一つの事ではない、手の一本ではない。そこには全体がある。心と体を含む全体と言うのが、ヘルスすなわち健康の一番の語意なんです。
いま、あなたは、医と医療と医学と言われたんですが、日本でもともと一番ポピュラーだった医に関する言葉は医術です。医術は医のアートの事です。

犬養・そのとおりです。

日野原・医学部と言うための医学という言葉はあったけれど、医術と言うのが一般的だった。

犬養・術と言うのはいいですね。

日野原・そのうちに術を使わなくなって、医学一点張りになった。英語ではメディシンと言う言葉が最初にあった。薬もメディシン、医学もメディシン。さらにそれが科学的になってくると、メディカル・サイエンスと言う言葉ができてきた。それでもギリシャのころから、西洋には、医術と同じような言葉があって、それがアート・オブ・メディシンです。いや、正確に言うと、「アート・オブ・プラクティス・オブ・メディシン」。多くのアートがギリシャにあった、絵のアート、音楽のアート。医のアートもその一つだったんです。
アートは批評を伴うものです。音楽は批評され、絵も批評される。だから音楽や絵画は進歩する。音楽家のパフォーマンスも上手になっていく。

ところが、二千五百年前にギリシャの医術の祖と言われたヒポクラテスは、世の中には多くのアートがある中で、アート・オブ・メディシンが一番貧困だと言ったのです。なぜならば、他のアートは批評家を作ってきた。自分は弾かなくても、聞く耳を持ってる人がいた。これはすごい絵だと、見る目を持っている人がいた。そういう芸術はそれぞれ批評家を育ててきた。ところが、医のアートは、受診者にあまり情報を提供しなかったから、批評する能力のある人が育たなかった。それで医術の発展がプアだったと言ってるんです。

犬養・なるほど。

日野原・それが今でもずーっと続いてる。医療は何度も反省されてきたんだけれども、なかなか改善されない。日本においては特にそうですよ。(②につづく)

谷川俊太郎さん

真っ青な空に銀杏の黄色も美しい日に、谷川俊太郎さん死去のニュースが飛び込んできた。一昨日、月一回の書下ろしの詩が掲載され、読んだ私は胸騒ぎをおぼえたばかりでした・・

感謝

目が覚める
庭の紅葉が見える
昨日を思い出す
まだ生きてるんだ

今日は昨日のつづき
だけでいいと思う
何かをする気はない

どこも痛くない
痒くもないのに感謝
いったい誰に?

神に?
世界に? 宇宙に?
分からないが
感謝の念だけは残る   

     「どこからか言葉が」谷川俊太郎 11月17日朝日新聞掲載

 

・以前、このブログに武満徹のPOPSONGS、石川セリ歌唱のCDから「翼」ご紹介しました。そのCDには谷川俊太郎さんの「死んだ男の残したものは」「恋のかくれんぼ」「見えないこども」の他、この歌ものっていて大好きな一曲です。ご逝去を知って谷川さんのこの歌を辿りながら ファンとして私もたくさんの感謝を捧げたいと思います。

うたうだけ

むずかしいことばは
いらないの
かなしいときには
うたうだけ
うたうと、うたうと、うたうと
かなしみはふくれる
ふうせんのように
それが わたしの よろこび

なぐさめのことばは
いらないの
かなしいときには
うたうだけ
うたうと、うたうと、うたうと
かなしみはふくれる
ふうせんのように
それが わたしの よろこび

アゲハの遺伝・10歳の昆虫博士の話

びっくりしたぁ~と言うより、たまげた!というのがふさわしいかも・・だって
小学校5年生の男の子が、国際昆虫会議でポスター発表し、英語で質問に答えてる!この小学生可愛い!すごいー!

長井丈君10歳・神戸の小学5年生
何でも「アゲハの幼虫の記憶は、成虫やその子孫に遺伝するのか?」がテーマの研究だとか・・

もとはと言えば、レモンの木にアゲハが卵を産み、幼虫からサナギになるのに死んでしまうという経験から関心持ったらしい・・
アレっ?誰かの話に似てるなぁ~。

と言うのも、以前診療室のベランダに、食べたグレープフルーツの芽が出てる種を植えたことがあり、芽が伸びて枝ぶりも立派な鉢植えとなり、気がつけば黒い糞のようなものが沢山あって、それがあっという間に青虫になり子供たちが面白がっていました。青虫に葉っぱ食べられて、グレープフルーツの木は裸ん坊になりそうこうしてるうちに、壁に幼いアゲハが、飛び立つ練習をしているのを見守った経験を思い出したからでした・・

この丈君は、それでは終わらない・・
一年生の時、僕とチョウチョの35日間というレポートをし
二年生では、アゲハの過齢幼虫(5~6回も脱皮)の大発見をし
三年生では、育てた蝶を離しても自分の周りを飛んでくれるが、野生の捕まえた蝶は自分の周りを飛んでくれない、なんでだろうの疑問持ち、記憶では!と思って、幼虫の時にラベンダーの匂いをかがせ、触る代わりに低周波をあてて記憶するようにしてみた!と。スゴイ~!

その理由がおもしろい。ママが片頭痛で、僕もそう、おばあちゃんもそうなんだよ・・と。アゲハを1世代から3世代まで飼育し、交尾させ研究に励んだらしい・・スゴ過ぎて言葉がありません

幼虫時に、ラベンダーの匂いと低周波をあて、嫌な事がある!と記憶させた結果、成虫の68%とその子孫もラベンダーの匂いを避けたそうです
その結果、アゲハも記憶は遺伝すると思うと結論付け、幼虫も可愛いけれど、成虫に遺伝するとわかってもっと好きになりました・・とにっこにこ笑顔でした

将来は生物学者になりたい、困ってる動物や人間を助けたいんです・・と、どこまでも目がキラキラ笑顔の丈君でした
最期にママが出られて、実験装置などお手伝いしたんですか?の質問に答えて「百均に連れてって、本人に考えさせ、自分で作るように促しただけ・・」とサラリとお答えになりました、拍手!

追記・何故あえて蝶の話題と思いましたが、最近よく、と言うより、今まで気づいてなかっただけかもですが、何かの時に「アレっ?蝶々だ」とアゲハが近くを舞うのに遭遇することがあり、友人にも「アゲハが来てるよ」と指摘されることも多くて、なんだか最近アゲハとご縁があるなぁ、不思議だなぁと思っていたので余計この丈君の着眼点と、10歳の素直な気持ちが繋がった研究に驚きながら、親近感持ったことでした
将来の生物学者目指して、丈君頑張って下さい!

滑舌体操に 若隆景

超高齢化社会の日本 
認知症予防には・・何々を食べる・・、毎日1000歩歩く!腸内細菌・・云々、テレビでも新聞でも、雑誌でもあ~ぁ忙しい・・!
唯一私の続けてること、早口言葉です、それも決まったものだけですが、よく
このブログにも書かせて頂くので、皆さま呆れておられるかもしれません、言うほどはやってないのです、ええ加減がいい加減だと勝手に思っている私

それでも何年前!?この「若隆景」がテレビに出た時にはビックリしました。なぜってアナウンサーが言い難そうにしてましたからねぇ(笑)
思わず「何?」って見ちゃいましたし、自分で言ってみて「こりゃアナウンサー泣かせだわ」と思ったものです
なので、日に一回実践のパタカラ体操(滑舌予防)に「若隆景」を加えてみました。難しいわぁ、こりゃアナウンサー泣かせというより、イジメかもです

そしたらこの度届いた九州場所番付表みて、東西の上から順に発音してみたら、「若隆景」どころか難しい四股名のオンパレード!
「一山本」「錦木」「錦フジ」「尊富士」・・

「美ノ海(ちゅらのうみ)」を「チラのうみ」と発音した自分に笑っちゃいました。こんな身近にいい教材があったんだぁ~と上から順に読むことにしました。いつまで続くか「?」ですが、やらないよりやった方がいいに決まってるので、少しでもおもろいやり方がいいかな?と。どうぞ皆様もよろしかったら、番付表発音してみて下さい、疲れますよ~でも、有効じゃないかなぁと確信します

そう書いている時丁度、若隆景と美ノ海の対戦、アナウンサーもどなたも若隆景の名を言う時には、一瞬ゆっくりのような気がします、ですよねェ
「若隆景」は前頭ですが、発音の難しさにおいては横綱です💦!ファイト!

4・4・8呼吸法

あっ、またやって下さってる! 4・4・8呼吸法
と言うのも、前にも紹介している番組見て、これはいいわ!と二三日やって、相変わらずの三日坊主で中断してたものでした・・

緊張をほどくのにとてもいいらしく、血液を全身に届けますよ・・と優しそうな先生が伝授されていました

4数えて息を吸って

4数えて息を止めて

8数えて息を吐く

これだけですが、やってみると結構大変!
歳とともに、吐く力が弱ると言いますからね。これを機会に忘れないように続けてみたいと思います。 フーッ!

山藤章二さんを悼む  東海林さだお

暑さが残る中金木犀も咲いたりする今年の秋、著名な方の訃報が届く猛暑後でした。9月30日に亡くなった山藤さんへ寄せられた、東海林さだおさんの追悼文です

山藤さんはまっすぐにものを見る人だった。
まっ直ぐに物を見て、まっすぐに表現する人だった。
小細工はしない。
だが”ズケズケ”と言うのともちがう。
歯に衣着せぬ、と言うのとも違う。
ありのままをありのままに表現するのだが、ありのままをどう捉えるか。
そこのところに”山藤流”があった。
山藤さんは相手を鋭く指摘する。
批評はとかく切り捨てゴメンになりがちである。
山藤流はそこのところを独特のユーモアにもっていく。
ユーモアに持っていくので、鋭く指摘された人の心は緩む。
緩んで安心する。
安心するのでつい頷いてしまう。
頷いたついでに、つい、ニヤリとしてしまう。
自分の事なのに、つい、ニヤリとし、苦笑し、その苦笑が,いつのまにか。肯定の苦笑になっている。
山藤さんは自分のことをしばしば「戯れ絵師(ざれえし)」と称していた。
世間一般で言うならば「イラストレーター」。
それをわざわざ「戯れ絵師」。
「戯れ」るは「ふざける」。
「絵師」に至っては何をかいわんや。
まさに江戸時代?鎌倉時代?
そういう反逆精神を常に忘れなかった。
忘れなかった、というより、心掛けていた。
山藤さんには世間一般ではあまり評価されていない一面がある。
あまりに当たり前なるがゆえにみんなが気がつかない面。
それは山藤さんの描く似顔が本人によく似ているということ。
実によく似ている。
当代随一、天下一品、唯一無二。
こんなこと(似顔が本人に似ている)をわざわざ書くのは、本人に似てない似顔を描いて平然としている人がいかに多いか、ということを言いたかったからである。
そしてまた、本人に似せて描くことがいかにむずかしいか。
本人に似せて描くことがいかに研鑽が必要か、ということを言いたかった。
そういうことを含めて、山藤さんは”さりげなさ”を大切にしていた、ように思う。
大げさを嫌った。
大げさは粋じゃない、と思っていたような気がする。
「戯れ絵師」はいかにも時代にそぐわない。
そぐわないし大げさである。
そぐわないし、大げさと知りつつ戯れ絵師を名乗る。
只者ではない。
また一人、「只者」が消えて行った。残念。

ビックリ!パリのメロンパン・ドバイの焼きそばパン

ヒェ―ッ!
パリのパン屋さんで、皆が日本のメロンパン買って食べてる!
しかも、アレンジがいっぱいあって、どの方も「美味しい美味しい」と
更に、ソーセージパンやら、カレーパンも大好評!

そしたらもっとビックリ!
次に出たパン屋さんの一番人気は、な~んと「焼きそばパン!」
こちらはドバイのパン屋さん、経営はなんとドバイのイケメン殿下!
もう、ビックリマークばかりですみません

アッ!(またビックリマーク)そうだ5月にアップしたデーツだ!と気づきました。なぜって焼きそばパンって言ったら、ソース焼きそば?
繋がりました!デーツ!

5月に私の大好きな「デーツ」のブログ書いた時、日本のソース会社の方がイギリスのウースター州訪問した際、ソースにデーツが使われていると知り、日本のソースの甘みに使っていた砂糖を→デーツに変えたという情報とぴったんこ合いました。

なぜって放送で焼きそばパン一位の、パン屋さんを経営するドバイの殿下が「デーツの甘みを使ったおたふくソースを使った焼きそばだから、ドバイの人に親しみがあるんですよ」と言ってるじゃありませんか?納得!にっこり
デーツ好きとしては、それが日本のソースの甘みに使われ、そのソースを使った焼きそば挟んだ「焼きそばパン」が、はるかドバイにつながるとは思ってもいませんでした。ハナマルのご縁ですね、
なんだか超嬉しい「デーツ縁」でした!(ビックリマークだらけすみません)
いやはや本当にビックリ! 繋がるなぁ~

折々のことば 3248

日本人だけが安全で豊かなことって、ありえないんですから。
                     緒方貞子

元国連難民高等弁務官は、国家の安全は社会の安定なしに確保できないと語る。ある社会集団ばかりが不公正な状況におかれることがテロや紛争の温床となる。日本が国際的な安全に依拠しつつ経済大国となったことを考えれば、国際社会でいま果たす役割も見えてこようと。
2001年のインタビューの再放送(NHK・Eテレ「テロはなぜ生まれるのか」10月2日)から。