100歳の入居者 目が輝いた瞬間  (介護福祉士の方より)

私が働くサービス付き高齢者住宅に、寝たきりで介護が必要な100歳の女性が暮らしている。ある日、彼女に京都・天橋立の近くで育ったと聞き、私は耳元で「大江山~」とささやいてみた。すると即座に、「いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」と、はっきりとした声が返ってきた。彼女の目が輝いて、空気がふわりと明るくなった。
それ以来、私たちは車椅子で食堂に向かうひと時、百人一首を詠み交わしている。「あまの原~」「ちはやぶる~」と続き、エレベーターを降りる頃には、他の入居者も声を合わせて楽しい唱和になる。
これは実は、誤嚥を防ぐための嚥下訓練でもある。高齢で難しい発声練習も、百人一首なら楽しみながら自然にできる。彼女の記憶と誇りを呼び起こすことで、心身の力が引き出されるのだ。

介護とは単なる作業ではなく、心を通わせる何げない時間こそが大事で人生を豊かにするものだと、私は彼女から教わっている。
100歳を迎えた彼女は今、「いにしへの奈良の都の八重桜」の歌のように、静かに、そして誇らしく咲き続けいる。

           介護福祉士 鈴木百合子 (神奈川県 64)

という投稿でした。すばらしい取り組みです。しかし誰でもできることでもないし・・。介護に従事下さる年齢にもよりますし・・、百人一首でなくとも、その方の「推し」を探ることはできるかも・・・

 
 今ホームにいる私の母の状況をみても、人手が足りておらず、中年の経験ある介護士のもと、若い介護士の方々が踏ん張り、頑張っておられます。百人一首かぁ~と思いながら、この投稿された介護士さんのようにはなかなかいかないなぁ~と思いつつ、その世代世代の生活を知る事で、教えてもらって引っ張り出すことで接点が見いだされ、眠っていた思い出や事象が蘇って、それは年齢云々、認知機能云々を超えて、ふわっと蘇るものなんだな・・とつくづく思ったことでした。そう言えば、母も昔の唱歌などは、歌詞もしっかり覚えていますものね。
先日は訪問の折、とても暑い日でしたので、板ずりしたきゅうりを棒状のまま、美味しいお味噌をタッパーに入れて持っていきましたら、「よく海に行く時持ってって、海辺で食べておいしかったわね」と、自分の歯で美味しいおいしいと、お味噌をぬって、きゅうりをポリポリ楽しんでいました。
思いつきで持参したきゅうりとお味噌で、懐かしい話が沢山出来ました。いい時間でした・・

そうそう、丁度咲いた鉢植えのアマリリスを持って行きましたら、すぐ口をついてでたのは「ラリラリラリラ♪、調べはアマリリス♪」の歌でした
それ聞いた若い介護士さんが「え~可愛い歌ですね、いつ頃ですか?」とアマリリスの歌を知らない介護士さんに言われ、得意になって母は、思い出して歌詞を紙に書きました。全部は思い出せずとも、とてもいい時間でした

また先日はたまたま新聞で見つけた歴史的なページ、なんと横須賀の防空壕の写真。なんとその防空壕をご自分の車庫にしようとなさった方がいて、防空壕に小さな愛車を納めた写真でした。そこに若い介護士が通りかかり、「何ですか?この穴!って。
母は得意になって防空壕の話をしました。目を丸くして聞き入る若い介護士さん。「また教えてくださいね、ちっとも知らなかった・・」と。母のうれしそうな得意そうな顔・・

世代を超えて、いくらでも会話のきっかけはあるんだとつくづく思ったことでした。