5年経つのですね。

東北の大きな震災から、もう5年。
被災なさった方、亡くなられた方には、心よりお見舞いとお悔やみ申し上げます。

と言葉で申し上げるのは簡単です。震災の教訓生かす為でもありますが、テレビの映像をご覧になるだけでも心乱れ、恐ろしかったあの時間を思い出され、再び涙なさるのではと案じます。どのような言葉をおかけしたらよいのか、それすらわからない自分が情けなくなります。
自分は、現在何不自由なく過ごさせて頂いているからもう5年ですが、当事者の皆様には大変な5年でいらして、「もう」でも「未だ」でも言葉に言いあらわせない時間であったと拝察します。地震だけでも大きなことですのに、津波、原発・・。
当院は、近隣に国際的な研究所がありますが、当時海外からの研究者が本国からの命令で急遽帰国したこと。それに伴って来院中のご家族が一気にご予約キャンセルになったことを昨日のことのように思い出します。地震に伴って”原発”の文字が伝えられてすぐのことでした。地元のタクシーが帰国する方のピストン輸送に終われたと当時話していました。

3月11日に向け、新聞やテレビで現在の様子が伝えられています。その中でまだ尚、仮設でひっそりと亡くなる方のニュースが伝えられると、深い悲しみにくれます。そして時間では解決しない、ことの重大さを感じいります。どうしてさしあげたらいいのでしょうか。

そんな中でも、被災なさったけれど元気を持ち直された人々によって、自分達で何とかしたい・・と言う活動も昨日テレビで見ました。他所で暮らしていた若い方が、被災地である出身地を思い、一念発起して「地元で”もち米”を育て,鏡餅にして届けよう」というプロジェクト立ち上げ、大勢いして農作業に携わり、はれて収穫したもち米で「鏡餅」を全国に避難中の被災者にお届けして、大喜びされている放送でした。
お正月を過ぎ、続々と届くお礼状にお互いに涙してらっしゃいました。今年は1反だったけどこんなに喜んで頂けるなら、来年は3反にしてみんなで美味しいもち米作って・・と張り切るご様子に、なんてすばらしいのだろうともらい泣きしました。このリーダーの方は空いた時間は、原発関係の仕事をしておられるようでした。

国は国でやってるんでしょうが、なんだかもどかしいですよね。
結局、被災者の皆さんサイドにおんぶしてるような気がしてなりません。官僚的というか、結局この国は、こまかな一番大事なところを民間に頼るというか・・。ボランティアにおんぶするというか・・。ですから担当大臣が、心に刺さるような発言を不謹慎にしたりするのです。他人事なんですね。そういう私も、地震起こった時にお見舞いの口腔ケアグッズをお届けしたくらいで、その後何も実際やってはいないのですが・・。

ですので何もやっていない自分が言う筋合いないのですが、この国は何かあっても自分で責任取らざるを得ないのだな?といつも思ってしまいます。
地道な活動なさる方々を称えて応援し、ささやかなご支援差し上げたり、又知り得た情報を広め、ご協力者を増やす協力したりして、力にはならないですが声は上げていきたいと思います。いつも「忘れないでいる」と言うことも大事ですね。恙無い毎日送れる自分は「おかげさまなのだ」といつも感謝を忘れずにいたいとつくづく思います。

以下は、法政大学総長の田中優子さんのご発言です。

あれから5年。私たちは誰かや何かに任せておけば、うまくいくわけでないということを知りました。既存の仕組みに対するかなり深い疑いを内面に抱えるようになり、それゆえ自分なりに考えなくてはならないということにも気が付きました。とても大変でしんどいことですが。(中略)語り始めた被災者の話をまずはひたすら聞く。聞いたらそれを消化して、自分の言葉で他の人に伝えられるようにする。そうやって言葉を交わしながら、自立した個人同士がつながる。その先に、次の社会を作っていく知恵や発明を生み出していく。これを実現することこそが、「文明災害」としての3・11を社会として記憶していくことだと思う。人ごとでなく、自分や自分の周囲にも同じようなことが起こるかもしれない。そうした意識の共有が、風化を防ぐのに役立つはずです。と。

人間は忘れる生き物と言われますが、被災者の方々はあれほどの体験を忘れられるはずがありません。ですからなお、私たちは「忘れてはいけない」と思います。