焦らずに目薬・日薬・口薬 (帚木蓬生さん)

病気と長く付き合わなくてはいけない患者さんと向き合う時、「治そう」という考えだけでは、どうにもなりません。私が逃げ出さずにやってこれたのは、約40年前に出会った「ネガティブケイパビリティ(負の能力)」という言葉に支えられたからです

どうにも答えの出ない事態に直面した時に、性急に解決を求めず、不確実さや不思議さの中で宙づりの状態でいることに耐えられる能力、を意味する言葉です
もとは19世紀の英国の詩人キーツが、詩人が対象に深く入り込むのに必要な能力として使った言葉でした

ネガティブケイパビリティによる処方を、私は「目薬・日薬・口薬」と言います。
「あなたの苦しみは私が見ています」という目薬
「なんとかしているうち、なんとかなる」という日薬
「めげないで」と声をかけ続ける口薬

患者さんは難しい状態にあっても、なんとかこれでやり過ごせます   
             作家・精神科医 帚木 蓬生

折々の言葉 1031(2018・2・24新聞掲載)

大事に大事にしていた古い切り抜きが見つかりました。なんと2018年!
あのすばらしい絵をお描きになる日本画家、堀文子さんです

 群れたり、慣れたり、頼ったりすると、迎合しなくてはなりません。力を抜いて心を空っぽにすることができなくなります。 堀文子

だから、ほめられそうになれば逃げると、日本画家は言う。「誰かと一緒にいて感じるさびしさ」や、「感性の違う人と過ごすつらさ」は、独りぼっちよりしんどいもの。つねにマニュアルなしの生き方を求め、70を前にイタリアにアトリエを構え、さらに中南米やヒマラヤを訪ね歩く。「99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で」から。

これを書いていて、ちょっと違うかもしれない?けれど、まったく違うかもしれないけれどこんな言葉も思い出しました。(堀文子さんご無礼致します・・)
  ・もてはやされている人に、擦り寄らない
  ・汗でおぼれることはない。かいた分だけ応えてくれる
                 あの・・草だんご屋のおかみ

 

指揮はドライブじゃなくてキャリー・カラヤン

この6月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と初共演し、喝采を浴びた指揮者の山田和樹さん(46)が、世界最高峰の楽団との濃密な時間を振り返られた。平常心を飛翔の糧とした。「いつもと同じ、出たとこ勝負。オケの変化にワクワクしました」

「第一級のソリストが100人集まり、それぞれが好き勝手に弾いている。それが一体となったとき。うねるんです。音楽も、見た目も、互いにリンクして。うまくいけばいくほど、とてつもなくうねり出す」

「僕が考えていたのは、どうやって空気をハーモニーの中に含ませていくか。そんなアプローチは、みんな経験したことがなかったみたい。珍しいことやろうとしてくるな、よし、試してみるか。そんな感じで向き合ってくれたみたいです」

2011年に振った佐渡裕さんが熱く興奮を語っていたのとは対照的に、山田さんの語り口はふんわりとした空気をまとっていた。
「フランスものをやったらいいんじゃないの、と背中を押してくれたのは、10年から第一コンサートマスターを務める親友の樫本大進。何といっても、ぼくと楽団の両方を熟知している唯一無二の人ですから」とイタリアもの(レスピーギ「ローマの噴水」)・武満の「ウオーター・ドリーミング」・サンサーンスの交響曲第三番オルガン付きを選んだ

演奏中、東京混声合唱団音楽監督の前々任者で、自身もベルリン・フィルを振った経験のある故・岩城宏之さんから聞いた逸話を思い出したという。
芸術監督時代のカラヤンが、「指揮はドライブ(運転)じゃなくキャリー(運ぶこと)だ」とよく言っていたのだと。それが、初めて腹に落ちた。
「自分がコントロールするんじゃないんだな、と。ある意味、オケって車じゃなく、お馬さんのようなものかもしれない。馬自身に強烈な意思がある。それを尊重しつつ、乗っかるわけです。行き先は示すけど、強制するわけじゃない。完全に対等で、100人全員と常に一対一。指揮者の合図なんかなくてもこのオケは大丈夫っていう、この感覚こそが、カラヤンに培われた伝統だったと思い知りました」

山田和樹さん、ベルリン・フィルとの初共演終え、これから楽しみたのしみ・・♪

再放送されました病院ラジオ・都立小児医療センター編

この五月にご案内、皆様に見ていただき「再放送はいつですか?子供に見せたい・・」とお声いただいたサンドイッチマンの病院ラジオ・府中の都立小児医療センター編。昨日10日再放送でした。後先になって申し訳ありません・・
再び、見逃し配信でご覧ください

番組最初と途中に、ファシリティドック(この度ホスピタル・ファシリティドックと改名)のアイビーと、ハンドラーの大橋ナースも出ています
困難伴う病気闘病中の子供たちが、先生はじめ医療スタッフの心あふれるサポートにより、子供たちなりによく理解し、前を向いて立ち向かう言葉と姿に、こちらこそ力をもらい、「よ~し私もがんばろ」という気持ちになります
摂食障害を克服した女子の、素直に語る言葉の数々にも、その道中寄り添った医療スタッフの心のケアのあったかさがあってこそと心揺さぶられます
自分の言葉ですなおに語る、闘病中の小児の患者さんにこちらこそエールをもらい、病院の環境だけでなく、スタッフ皆さんの明るいあったかいご尽力に感動致します

3か月たっての再放送です、ぜひに見逃し配信でご覧ください

クスノキ・福山雅治さん

わが魂は この土に根差し
決して朽ちずに 決して倒れずに
我はこの丘 この丘で生きる
幾百年超え 時代の風に吹かれ
片足鳥居と共に
人々の営みを
歓びを かなしみを
ただ見届けて
わが魂は 奪われはしない
この身折られど この身焼かれども
涼風も 爆風も
五月雨も 黒い雨も
ただ浴びて ただ受けて
ただ空を目指し
わが魂は この土に根差し
葉音で歌う 生命の叫びを

昨日は長崎被災80年の式典で、この「クスノキ」が子供たちによって歌われた。先日クローズアップ現代で福山雅治さん自ら歌われ、そのクスノキの歴史的逸話も伺った・・
9日の放送の中で、被災された96歳のおじいさまが、こうおっしゃった!

 「全世界が一つの船に乗ってるようなもんですよ」
 
教職に就いたばかりの若い女性は子供たちに「地球市民の視点で」教えたい・・と
子供たちが一生懸命歌う「クスノキ」聴いて自分事としなければ・・と思うばかりでした

編集視点で考える

”知のエディターシップ”、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである
      
                          「思考の整理学」  外山滋比古

100歳の入居者 目が輝いた瞬間  (介護福祉士の方より)

私が働くサービス付き高齢者住宅に、寝たきりで介護が必要な100歳の女性が暮らしている。ある日、彼女に京都・天橋立の近くで育ったと聞き、私は耳元で「大江山~」とささやいてみた。すると即座に、「いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」と、はっきりとした声が返ってきた。彼女の目が輝いて、空気がふわりと明るくなった。
それ以来、私たちは車椅子で食堂に向かうひと時、百人一首を詠み交わしている。「あまの原~」「ちはやぶる~」と続き、エレベーターを降りる頃には、他の入居者も声を合わせて楽しい唱和になる。
これは実は、誤嚥を防ぐための嚥下訓練でもある。高齢で難しい発声練習も、百人一首なら楽しみながら自然にできる。彼女の記憶と誇りを呼び起こすことで、心身の力が引き出されるのだ。

介護とは単なる作業ではなく、心を通わせる何げない時間こそが大事で人生を豊かにするものだと、私は彼女から教わっている。
100歳を迎えた彼女は今、「いにしへの奈良の都の八重桜」の歌のように、静かに、そして誇らしく咲き続けいる。

           介護福祉士 鈴木百合子 (神奈川県 64)

という投稿でした。すばらしい取り組みです。しかし誰でもできることでもないし・・。介護に従事下さる年齢にもよりますし・・、百人一首でなくとも、その方の「推し」を探ることはできるかも・・・

 
 今ホームにいる私の母の状況をみても、人手が足りておらず、中年の経験ある介護士のもと、若い介護士の方々が踏ん張り、頑張っておられます。百人一首かぁ~と思いながら、この投稿された介護士さんのようにはなかなかいかないなぁ~と思いつつ、その世代世代の生活を知る事で、教えてもらって引っ張り出すことで接点が見いだされ、眠っていた思い出や事象が蘇って、それは年齢云々、認知機能云々を超えて、ふわっと蘇るものなんだな・・とつくづく思ったことでした。そう言えば、母も昔の唱歌などは、歌詞もしっかり覚えていますものね。
先日は訪問の折、とても暑い日でしたので、板ずりしたきゅうりを棒状のまま、美味しいお味噌をタッパーに入れて持っていきましたら、「よく海に行く時持ってって、海辺で食べておいしかったわね」と、自分の歯で美味しいおいしいと、お味噌をぬって、きゅうりをポリポリ楽しんでいました。
思いつきで持参したきゅうりとお味噌で、懐かしい話が沢山出来ました。いい時間でした・・

そうそう、丁度咲いた鉢植えのアマリリスを持って行きましたら、すぐ口をついてでたのは「ラリラリラリラ♪、調べはアマリリス♪」の歌でした
それ聞いた若い介護士さんが「え~可愛い歌ですね、いつ頃ですか?」とアマリリスの歌を知らない介護士さんに言われ、得意になって母は、思い出して歌詞を紙に書きました。全部は思い出せずとも、とてもいい時間でした

また先日はたまたま新聞で見つけた歴史的なページ、なんと横須賀の防空壕の写真。なんとその防空壕をご自分の車庫にしようとなさった方がいて、防空壕に小さな愛車を納めた写真でした。そこに若い介護士が通りかかり、「何ですか?この穴!って。
母は得意になって防空壕の話をしました。目を丸くして聞き入る若い介護士さん。「また教えてくださいね、ちっとも知らなかった・・」と。母のうれしそうな得意そうな顔・・

世代を超えて、いくらでも会話のきっかけはあるんだとつくづく思ったことでした。