亡き父が元気な頃、東京に来るとよく行っていた日本橋・吉野鮨。
私も若い頃からよく連れてってもらい、結婚して新婚旅行から帰った日にも、父が主人の父も一緒にご馳走してくれたっけ・・。

田舎にいた父は、年老いて食べ歩き出来なくなって吉野鮨も話に出て懐かしむばかりでした。江戸っ子の父は何より小肌が好き。次にあなごでした。小肌も新子と呼ばれる小さいものは特においしそうでした。シャリはごくちっちゃく。

父亡くなってポカンとする母を、上京の折連れて混んでる中昼食を取りました。何年も前なのに変わらぬ店内に、以前の大将は居なくとも、人目で息子さんとわかる次男さんが握ってくれました。母は驚く程の食欲で平らげ、大切に大切に一つ一ついろいろ思い出しながら、噛みしめているようでした。

この吉野鮨。何年、ヘタすると何十年ぶりなのに何も変わっておらず、しかしながらみんなが常連さんと思われる混雑ぶり。保守的で古臭いと思われるかもしれないけれど、ブレのない味。
そして一見普通に見えるお鮨屋さんなのに、妙に安心感があって、何よりこだわりのありそうな普通のお客様!?が「何よりお鮨をおいしそうに召し上がっている」特別でないのに特別。

最近はやれこれはこうして食べてください・・だの、やたら押しつけがましいお店もあるけれど、実に普通で確立された味。久しぶりなのにそう思わせてしまうのだからすごい。父に代わってランチでしたが堪能させてもらいました。

こんな変わらぬお店の方と雰囲気が、お馴染みの味が、混乱した母にいっときの安らぎをくれたと思います。お味って本当に人を安心させますね。

今年90になる母の一日一日が、これから平安で、楽しい思い出巡る日々であって欲しいと願いました。又食べに来ましょうね。