悲しみは乗り越えるもの?

元日の、あの大きな地震から、はや2ヶ月が経った・・・

現地の様子を伝える映像や新聞に、恙無く過ごせている自分を有難く思うと同時に、能登の方たちの力強さとご近所のいたわりあいに、ハッとして、これまで丁寧に生きてらしたんだなぁ~と、我が身が恥ずかしくなることばかり

テレビ局からアナウンサーが現地に出て、リポートする際気になっていた言葉があった「頑張って乗り越えて下さい!」
家が崩れ屋根が地面につくほどに崩壊した自宅前で、親を助けられなかったと手を合わせる方に「悲しみを乗り越えて下さい」と言うレポーターもいた、その気持ちよくわかる、スーと聞き流せばよかったが、なんだかつっかかっていました

そうしたら、同じことが新聞にもあって、その記事を書いた記者さんは東日本大震災の取材で出会った子供達と、長年、年賀状のやり取り続けている方だそうで、その子供達も全員20代になられた
その中の一人、岩手出身の看護師になった女性から、津波で両親を失い、親戚の家から専門学校に通った。「震災からこれまでを振り返って、よく頑張ってきたね、と自分をほめたいです(パチパチ)」ただ追伸に、唐突に「悲しみは乗り越えられるものなのかな?」とあったと

どんな意味を込めたのか、記者さんは電話して確かめた・・
今回の地震で家族全員を失った父親の映像を受け、アナウンサーがその父親に「悲しみを乗り越え、強く生きて下さいと伝えたいです」と言った言葉が引っかかった、と彼女は話したそうです
この事を賀状やり取りしている他の方に聞くと「悲しみは抱き続けるものなのではないでしょうか」との返事がありましたと
その言葉を看護師の女性に電話で伝えると、彼女は「悲しみを乗り越えるより、抱く。そう、たしかに、その方がしっくりきます」とおしゃったそうです
一人一人が様々な思いを胸に抱き続けてきた、13年と言う時間を思ったと、その記者さんは文を終えておられます

今私は、がん患者さんとそのご家族に接することがある中、言葉の大事さをつくづく思うことがままあり、しかしながら臆せず言葉をかけて差し上げたいと思う気持ちもあって・・。だけれども、おもいを伝えるのはむずかしい
だからこそ、お気持ちを斟酌して、ホッとしてくださる言葉かけができたらなぁと悩むばかり。前に、海原先生のサジェスチョンをここに書きましたが「その方のおっしゃった言葉を一度受けとめる・引き取る」まさにそうだなぁ~と。

以前、柳田邦男さんのご著書「サクリフィス」にあったページが思い起こされます。意識が戻らないご子息に会いに行かれると、看護師さんが医療カルテとは別にその日の患者さんの些細なご様子を書き留めて下さっていたと。それを知って枕元にいらした時、窓に風が入りレースのカーテンが風にそよいで、ご子息がそれに反応したかのような気がして、沈黙であっても穏やかな時間だった・・と言うような記述であったと記憶しています。時には相手のお顔をみて沈黙する時間だって、言葉かもしれません