日常の中の非日常

母が昨年九月から都内のホームに入っています。
当初一カ月の体験と聞いていたと、ずいぶん悩んだようですが半年たちました。丁度コロナ禍だったので、面会も思うようにできず、面会時間も限られ、居室で飲み食いダメと制約ある中、母の本音も引き出せずにいました。

4月からだいぶ緩和になり、母には外食も許可となり(娘の私が責任持つ条件で)慣れ親しんだお店にでかけ、老人用ではない普通のお食事に目を細め、噛み応えあるお肉に舌鼓を打ち、忘れっぽいのに昔父と来た日のことなど・・饒舌に話して楽しそうでした。
このような日が来て私もホッとしました。

と言うのも、年明けてすぐ位だったでしょうか「今日だけでね、三人の方が出てったのよ・・」といきなり母が言う日がありました。ギョッとした私は、母の顔を見ながら「寒いし、未だコロナもゼロではないし、お病気の状況によって、病院で治療なさるための一時的なご移動じゃないの?」と言ったものの、母は返事をしませんでした。その代り「私もいつああなるのかしら・・」と言ったので、慌ててあったかいお茶入れましょうと話題をかえました。

そのことがとっても気になっていた折、偶々訪問した日曜の午後、ホーム前に黒い車が停まっていて、今日は日曜だからご面会が多いんだわと、玄関に入ったら、ホーム職員が揃っており、何人かのご家族がいらした・・と思ったら、ストレッチャーに乗ったお布にくるまれた方が運ばれてきました、思わず後ずさりし、ご一緒に手を合わせてお見送りしました。

傍にケアマネさんが飛んできて、ご面会が丁度このような時になってしまい申し訳ありません、ご一緒に手を合わせて下さり有難うございましたと言われました。このご逝去の方、病院ではコロナでご家族が傍で見送れないので、こちらで皆様がお見送りされました・・と。

気を取り直して母の居室に行き、母の顔を見て安心し持参した大好物を差し出すと大喜び。食べながら「さっきお一人亡くなって運ばれたのよ、見た?」と母から口火を切ったので、ご家族でお見送りしてらしたから、「手を合わせさせていただいたわよ」と言ったら「そう、そりゃよかったわ」と言っただけでした。

家に居ればこのような場面にそうは遭遇することではないのに、90も過ぎてこのような事が日常にあるということは、しんどい事だろうなぁと、帰りの車の中でもずーっと思ったことでした。

桜の花もすっかり散って、新芽が春の日に透きとおってキラキラ美しい時、日々このような事が普通にあるのだ・・と言う現実に、母の気持ちを慮りながら「春は進んでるわね、ハナミヅキの白い花も一斉に咲いたし、チューリップは満開、又外食に行きましょうね」と他愛ない会話をしましたら、「今度は何が食べたいかしら・・」と母も前向いてくれました。

「戦争経てるから、大概の事は大丈夫」と強がりいう母の背中が、少し丸くなってきたことに今日は気づきました。
なるべく行って、その折々に一緒に居てあげようと思った春まっ盛りの一日でした。