美しい死

大事に大事に机にしまってある記事です。(平成9年11月7日付)
随分前にもご紹介しましたが、今一度ご紹介させてください。

「美しい死であったと感じました」がんで亡くなった先輩学者の病理解剖に立ちあった時の感想を求められ、思わず口をついて出た言葉だったという。
「なぜ美しいと表現したのか。自問自答しました」

こんな切りだしで始まった森亘日本医学会長(元東大学長)の話は味わいがあった。
先日東京で催された日本医師会創立五十周年記念大会での「美しい死。品位ある医療の、一つの結果」と題する特別講演である。

森さんは病理学が専門。「優に千を数える」解剖の体験をもとに「必要にして十分な医療を施された遺体には、それらが見事に反映し、それなりの美しさが感じられる」という。
なぜか。

「その疾患の結末として起こるべくして起こった変化の集まりであり、大きな修飾は感じられない」からで、「節度ある医療であり、品位ある医療である」。

逆に「脳死状態に陥った後も長く心拍動、呼吸を保ち、脳やせき髄が融解しつくすまでに至った患者の病理解剖所見は、美しいとは映らない」とも。

「節度ある医療は、知識、教養、品位を併せ持った医師によって初めて下しうる。今日の医師にはこうした高度の素質が求められている」と訴えた。

さらに、言外に一部医師の過剰診療を批判して、「医師に与えられている大きな裁量権は、良識を欠く行使の下に置かれるならば、やがて取り上げられてしまう」と警告した。

講演は、制度改革や不正請求問題に揺れる医療界を心配する心情にあふれ、「医師には医学的力量とともに人間的教養と品位が求められている。このことを、ぜひ後輩たちに教えて欲しい」と結ばれた、

演壇を下りた森さんに、「感銘を受けました」という声が寄せられていた。

 

と言う記事でした。
読み終えて、スーッと頭の中を森の風が吹き抜けたような感動を覚えました。大事に大事に引き出しにしまってあった新聞記事ですが、当時歯科界では「MI」と言って出来るだけ小さく処置をしようと言う動きが出て、この記事直後の熊谷先生のご講演に行きましたら、この記事が最初の画面に大きく出て、「アッ」と驚きながらもこの森先生の文に感じ入り何度も何度も読み返した事を、今さらですが思い出します。
月日はながれても、大事な、心に止めおきたい、大切な記事となりました。

医療提供側にとっても、患者さん側にもお知らせいたしたく、再びご案内しました。