生かされたんだから・・・

岩手大槌町と言えば、東日本大震災で町民1286人が犠牲になった大変な被害を被った町でした。当時地元を応援するポスターを手に入れ、診療室の各ユニットに掲示し、皆さんが見て下さり、受付の募金箱が一杯になったことも記憶に新しいです。患者さんの中には、「ここに親戚がいるの、このポスター外さないでね・・」と仰った方もおられました。

大槌町では、津波の後三日も火災が続き、お寺の鐘が焼けるほどの高熱で、付近は焦土と化したと報道されました。

その大槌町で最多の1600軒の檀家さんを持っていた江岸寺のご住職の記事が先日新聞に載っていました。町内の犠牲者の三分の一が見つからない大きな理由は、灰になってしまったからだ・・と言われているそうです。

檀家さんの680人が犠牲になり、供養を頼まれて応えていたが、住職さんも心が折れ、仮設住宅に引きこもりがちになったそうです。想像を超える惨状だったんですね。分刻みで続く葬儀は弟さんが引き受け声をつぶすほど読経されたとか。そんな中、他のお寺の協力を得て、このご住職も少しづつ現実と向き合えるようになったそうです。

このご住職の説いた言葉に、私は心揺さぶられました。お父様とご長男をもこの大震災で失ったご住職ならではの、同じ遺族としてのお話しだと思います。

「生かされたんだから」って慰める人がいますが、そう思えるのはよほど自分が強い人。何か責任を果たすために生かされたと言われるようで、大変な心の負担です。私は「たまたま生きたんだから、後は好きなように生きなさい」と言います・・・・・と。

震災から七年半。少しづつ新しい家が建ってきているそうで、この江岸寺もようやく本堂の上棟式をし「やっと否定的でなく、”生き残った”と思えるようになった」と述べておられます。
実際震災にあわれた人々のこの七年半、どれほどの思いでいらしたか?わかります!なんて間違っても言えない大変な事態でらしたのだなぁ・・と深く深く考えさせられました。

以前ここに書いたように、思いを寄せるということの難しさを痛感しつつ、また寄り添うということの難しさを痛感しつつも、自分事として考えられるようにありたいと、この記事を読んで思いました。

おりしも女優・樹木希林さんが亡くなり、その潔い、また飾らない誠実な言葉の数々。語彙の豊富さもさることながら、折々人への愛にあふれた言葉かけに、そしてウイットに富んだセリフに、誰しもが感動と感謝の思いにふけています。

ことばは魂だなぁ~と思うこの頃です。