無駄に見えたことが重要だった

俳優の片桐 はいりさん。すばらしい俳優さんです。その片桐さんのコメントが目を引きました・・。

5~6月、リモートで演劇を作りました。稽古が終わると同時に自分の生活にもどれて無駄がない。現場にいて、ああだこうだ言いながら作っていくもの。私は稽古場ではすごく笑っているんですけど、笑い声って、「賛成!」「私これ好き!」という意見の表明だと思うんです。でも、リモートでは出番でない時は音声も映像もオフ。無駄に見えるコミュニケーションがいかに重要か気づかされました。

以前、一人芝居で全国を回りました。「よく一人でやるね」よ言われましたが、一人で芝居なんかできませんよ。お客さんがいるからできるんです。お客さんの波動が芝居をつくる。だから一人芝居を経験した後あと、客として観劇する時には緊張するようになりました。

2000年代はインターネットと共にありました。
2020年、人は人と会えなくなった。もちろんウイルスのせいですが、助走はずっと前から始まっていたんだなと思うんです。

先日仕事した人は、一緒にいる時間の三分の二くらいスマホに目を落としていました。また、いつからか演劇の稽古場ではリンゴのマーク(アップル社のノートパソコン)に向かって芝居してるような感じになりました。スタッフみんなが広げているから。

今からネットなくして生活は出来ません。でも、映画館で映画を浴びること、ライブでももみくちゃになって騒ぐ喜びを、簡単に手放せないと思うんです。オンラインが便利にしたことと奪ったものを知ったうえで、どう生きていくか。後戻りは出来ない、この状況を生きていくしかないわけですから。

引き合いに出すのも畏れ多いお話しですが、昭和天皇が「雑草と言う草はないのよ」と仰ったということを思い出しました。

はいりさんの記事、何度も読み直しました。