「命」とは

日野原先生が亡くなって早一年あまり・・。
BSで先生の105歳を振り返る番組を拝見しました。105年ですから長い長いドラマティックな人生でらっしゃいました。よど号に始まり、サリン事件の時、聖路加国際病院に沢山の患者さんが運ばれ、廊下やチャペルに設置されていた酸素の準備が、思いがけず役に立って先生の「万が一の時の為の予めの装置」が図らづもお役に立った瞬間でした。

病院改装なさる時、巷では随分やかましい声も聞こえましたが、もしもの時の為に・・がまさかに役に立つ時が来ようとは思わなかったと思われます。装置があったおかげで野戦病院のようではあったにせよ、治療が施されたのですから何よりでした。

日野原先生と言う方は、本当に先見の明がおありでらして、成人病を「生活習慣病」という名に替えるのに厚生省とたたかったり、常にチャレンジしてらして、おそばの方はきっと大変でらしたでしょうが、私達、国民は知らずに多くの恩恵を賜りました。

又、お洒落でウイットに富み、チャーミングな方でしたので、番組には親しくされていらした著名な方が、愉しかった!と皆さん仰っておられました。

放送されませんでしたが「新老人の会」を高齢社会に先んじて作られ、この方たちは超高齢社会となった今、中核となって活躍されています。エプロン姿のボランティアを病院にいち早く採用されたのも日野原先生でした。

「葉っぱのフレディ」は有名ですが、小学校を訪ね子供たちに「命の授業」をしてらして、聴診器を沢山持参され、子供達のペアに互いの心臓の音を聞かせたりしてらっしゃいました。こうして「命とは、自分が使える時間のことだからね、皆さん」
「いのち」をいいことの為に使いましょう。”人の為に使いましょう”と説かれ、キラキラした目で聞き入る子供たちの映像に、見ている私もうなづくばかりでした。

最後に、ベッドに臥せった日野原先生の映像が流れました。「死ぬことはおそろしい」と。でも、別れとは「出逢ったことを、逢ってよかったと再確認すること」でもあるのよ・・と。最後まで心に沁みる日野原先生のあったかな言葉でした。

「あなたねぇ。・・どう思いますか?」お会いするとあの独特のお声で目じりを下げにこにこ顔でよく仰ってらした、また、いつもピンと糊のついたワイシャツのお袖から見える、あの柔らかなお手を思い出したりしてる内、番組は終わりました。
一瞬お会いしたような気が致しました。