生命の言葉

六月末のある日、介護の毎日乍らも外せない用事があってある方を訪ねました。暑い日で、フラフラな私は駅までの帰り道八幡宮があり,素通りも出来ないと無意識のうちに階段上がっていました。上を見ると若い男性が、大きな藁の輪っかをくぐっています。見よう見まねで参拝しました。実家の両親のこと、ホームにいる主人の母のこと自然と口をついて祈りました。参拝して道なりにお札のあるところへ寄ると、このような短冊を賜りました。

ちはやぶる 神の御坂に 幣まつり
いはふ命は 父母のため     神人部子忍男

(訳)荒ぶる神のいらっしゃる神坂峠に
   お供えをして道中の安全と
   無事帰還を祈るのは、
   自分のためではない。
   命を授けてくれた父母のためである。

神人部子忍男(みわひとべのこ おしお) 天平勝宝七(755)年、防人として厳しい任務を帯びて九州に派遣される折、東国と西国をつなぐ東山道の最大の難所である神坂峠で、故郷で自分の帰りを待つ両親思って歌ったと言われる。 と書いてありました。

介護中のこのタイミングで、巡り合った八幡様。境内にはベンチが置かれ、日陰で読書する人・何度も頭を下げては祈る方、様々な人の思いを寄せるこの場に居合わせたことを有難く思い、汗をぬぐって駅に急ぎました。思いがけない出会いでした。

2015/ 7/ 7 14:45

2015/ 7/ 7 14:45